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それもまた愛なのだから


 最近、よくあの人のことを考える。それも、すごくふとした瞬間ばかり。
 自分が夕飯を食べている時にあの人は何を食べているのかなとか、同居人の吸血鬼さんに作ってもらっているんだろうなとか、自分が朝起きた時に彼はまだ寝ているのかなとか、そういうことを、考えるのだ。


「あ、こんばんは」
「あ、こんばんは」

 事務所兼自宅がわたしの家と近く、利用するコンビニが同じだからか、その人とはよく鉢合わせる。以前依頼をした時に助けてもらった吸血鬼ハンターのロナルドさん。今日は確か、四日ぶりだ。
 コンビニから出ると、丁度彼が駐車場を歩いてくるところだった。ぱちり、と目が合わさって、お互い自動ドアの前で不格好にぺこぺこしていたら、後ろのドラルクさんに奇妙な顔で見られた。しかし、これがわたし達の距離感なのである。

「今日はお仕事着じゃないんですね」

 今まではあの真っ赤な仕事着で会うことが多かったから、彼のラフな服装を見るのは初めてだった。なんだか新鮮な気持ちになって零した言葉に、ぴく、とロナルドさんが肩を震わせる。

「あッ! はい! ワンピースよく似合ってます!」
「……その、わたしじゃなくて、ロナルドさんが、です」
「えアッ! はい! 似合ってます!」

 こくこく、とロナルドさんが何度も首を縦に振った。貴方に会えるのを期待して、小奇麗なワンピースを選んでいるのだと知ったら、彼はどう思うだろう。
 打算的なわたしになんて気づかずに、ロナルドさんは「その、また困ったことがあれば、事務所いつでも、来てください」と事務所のある方向へ軽く指を向ける。

「ありがとうございます」

やっぱり優しい人。きっと彼にお願いしたい依頼人なんてごまんといるだろうに、いつも決まって優しく声をかけてくれるから、わたしはその度変に心臓が軋んで、息苦しいような、心地良いような、不思議な感覚になってしまう。

「今は吸血鬼関連では困ったことなくて。何かあれば相談させてください」

 吸血鬼に困らせられるようなことがあったらロナルドさんに会えるのに、なんて良くないことを時々考えては、自分がちょっと嫌になる。新横浜に住んでいるのに、わたしは殆ど吸血鬼に遭遇しない。きっと良いことではあるのだけれど、ちょっと残念に思う時も、やっぱりある。
それを隠しながら笑ってみせれば、ロナルドさんの脇からさっとドラルクさんが覗き込んできた。

「……吸血鬼関連では? では、と仰った?」

 あ、失言した。ドラルクさんは耳聡いというか、細かいことを聞き逃すことなく、気になる事ならぽんと突っ込んでしまう。けれど、わたしの悩みは頻繁にロナルドさんのことを考えてしまう、という何とも言い難いものなので、「本当に、今は困ったことないんです」と曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。

「……ふむ。そうですか、それは残念」
「困ってないのはいいことだろうが」

 心の底から残念そうにドラルクさんが言った途端、ロナルドさんが肘で彼の鳩尾を鋭く打ち、一瞬でドラルクさんがこんもりとした砂山になった。びく、と一瞬肩が震えて「わっ」と間抜けな声が漏れ、ロナルドさんが何故かわたしに向かって顔を強張らせて謝った。
 砂からじわじわと形を取り戻したドラルクさんが、にこりと笑って「では」と口を開く。

「事務所でお茶でもいかがかな。先程シフォンケーキを焼いてね、出来立てだよ」

 しふぉんけーき。無意識に復唱した言葉に、ジョンくんが幸せの詰まった笑顔で頷く。魅力的なお誘いだ。ドラルクさんのシフォンケーキ。絶対に美味しい。お邪魔じゃないですか、と不安になりながら尋ねると、ロナルドさんからも「ぜんっぜん!」と力強い頷きが返ってきた。
じゃあ、少しだけ、お邪魔します。浮ついた声にならないように慎重に、言葉を乗せた。緊張が悟られないように。


 コンビニからすぐ近く、ビルの階段を上がると「どなたでもお気軽にお入りください」の文字が見えてくる。そういえば、初めてここに訪れた時は、この文字に安心したのだっけ。今はその時よりもずっと、緊張してしまっている。
 ロナルドさんがふわふわと笑いながら事務所の扉を開け、「どうぞ」と口を開いた。扉の向こうには、以前見た事務所と変わらない光景が見える。

「へ」
「あ」

 一瞬だった。
お邪魔します、と声を出してロナルドさんに続いて事務所へ入ろうとした時、扉の向こうへ先に足を踏み入れた彼の顔が、突如、緑で埋め尽くされた。青々とした匂いが、ツンと鼻を刺す。

「セロウッピャクショヘナセイウアア!」
「え」

 何が起きたのか把握する前に、ロナルドさんが視界から消えた。悲鳴を上げて床を転げまわって、扉からすごい勢いで離れて髪に滴る緑色の液体をどうにかしようと暴れている。
 ぽかん、としているわたしの後ろで、ドラルクさんが爆笑していた。

「だ、大丈夫ですか?!」
「大丈夫大丈夫」
「には見えないですけど……」

 駆け寄ろうとしたわたしに、ひらひらとドラルクさんは手を振って、「ちょっと外で待ってね。ほら、床が滑るから」と言いながら丁寧にエスコートすると、事務所の扉を閉めてしまった。中の様子が分からなくなった後もロナルドさんの悲鳴は聞こえ続けていて、あの液体すごく危険なものなんじゃとか、転げた時に骨とかが折れているんじゃないか、その痛み故の悲鳴なんじゃないかと心配になってくる。

 事務所の扉が開かれたのは、それから数分後の、ロナルドさんの悲鳴がすすり泣きへ変わって少ししてからだった。

「け、怪我……」
「してないしてない。あれ、ただのセロリトラップだから」
「せろ?」

 開かれた扉の向こうで、ドラルクさんがジョンを抱え、にっこりと笑っている。それでも不安が拭えず、事務所の奥を覗き込むと、先ほどの緑の液体に塗れた服を着替え終わったらしいロナルドさんが、顔を両手で覆ってぶるぶると震えながらソファに座っていた。

「すごく震えていますけど、あの、」
「大丈夫。いつものことだから」
「いつも……?」

 どうぞ、と優しい声で促されて恐る恐る事務所へ足を踏み入れる。やっぱり青々とした匂いがすることに気が付いて、きっとそれがさっきの液体の匂いなのだと思い至った。ドラルクさんが言うに、セロリトラップの。
 ソファの上で震えたままのロナルドさんに戸惑いつつも、ドラルクさんに勧められるまま、彼と向かい合うようにソファに座った。この緊張感に気づいているだろうに、ドラルクさんは素知らぬ顔で隣の部屋へ「ケーキ持ってくるね」と引っ込んでしまう。

「……ロナルドさん、大丈夫ですか」
「オア!」

 なるだけ優しく、そっと声をかけたつもりなのだけれど、ロナルドさんが野生動物のようにびくりと身体を震わせて、勢いよく顔をあげた。そしてソファに座っているわたしの顔を見て、尋常じゃない程に強張った顔で震えたまま「ずみません……」と謝るとまた顔を覆ってしまった。

「セロ……セロ……が嫌いなだけであそこまで取り乱すなんてカッコ悪いですよね俺はゴミムシですすみません……」

 しおしお、と縮こまってしまいそうな様子に、少しびっくりした。ハンターの時に見せている頼れる表情よりも、眉が下がって、いまにも溶けてしまいそうだったからだ。かわいい、と思いかけた思考を隅に押し込めて、口を開こうとする。何か、言わなくちゃ。
けれど何を言えばいいのだろう。彼は決してかっこ悪くなんてないし、誰にだって苦手な物の一つや二つあって普通だ。わたしだっていっぱいある。黒板のキーキー音とか、全身から汗が噴き出すくらいに苦手だ。だから、だから……

「分かります」
「へ?」
「セロリっておぞましいです」

 あれ?
 一瞬自分でも何を口走ったのか分からなくて、少しの間固まった。ロナルドさんは覆っていた掌の間から、ぱっちりと見開いた目を覗かせている。
 そしてその瞳が、きらきらと、輝いた。



△△△



 最近、よくあの人のことを考える。それも、すごくふとした瞬間に。
 自分が夕飯を食べてる時にあの人は何食べてんのかな、とか、一人暮らしで自炊ってすげえよな、とか、自分が寝る時に彼女はどうしてるかな、とか。そういうことを、考えるのだ。


「えっと、ロナルド吸血鬼退治事務所さん、でしょうか」

 下等吸血鬼が実家の庭に巣食ってしまい困っている、と至極まともな相談にやってきたなまえさんは、俺と歳はそう変わらないのに随分と大人で物腰やわらかで可愛くて、それですごく、優しかった。
 俺が変態の相手にてこずっている時も、全裸以下の格好に「寒くありませんか、あの、これでよければ」と自分が寒くなることも厭わずにマフラーを差し出してくれた人だ。
 家が結構近いらしくて、コンビニでよく会うけど、その度に柔らかい声で挨拶をしてくれる。確実に最近、俺はコンビニに通い過ぎているし、その理由を察した砂に煽り倒されているものの、でも会いたい。ので殆ど毎日通っている。そういう日々を続けている甲斐あって、中々彼女と自然な会話ができるようになってきたと思うし、今日なんて、事務所に招くことができた。ドラ公も偶にはいいことをする。


「セロリっておぞましいです」

 瞬間、運命だ、と思った。
 好きなものが同じっていうのも大事だと思う。思うが、嫌いなものが同じっていうことに、それはもう、これ以上ないくらいに運命的なものを、俺は感じたのだ。俺はなまえさんに出会うためにセロリが嫌いになったのかもしれない。多分そう、いや絶対そうだ。
 温厚な彼女が「おぞましい」と評すなんて。
 興奮が駆け巡って、思わず勢いよく立ち上がった。きょとん、としたままの彼女が俺を見上げている。耳の裏がぴりぴりとした。

「っわ、分かります! 怖い! セロリ!」
「え、あ、……そ、そうですね……」

 気づけばなまえさんの手を握って上下に振っていた。今まで馬鹿にされることはあっても、共感されることなんてなかったのだ。嬉しい!という四文字が俺の脳をぐちゃぐちゃにして、俺はひたすら目の前の彼女に、ドラ公がシフォンケーキを持って入ってくるまで喜びを伝え続けていた。



△△△



 最近ロナルドくんが恋をしたことには気づいていた。当たり前だ、分かりやすい。
 お相手の彼女がどうかは知らないが、少なくとも脈無しって訳じゃなさそうなので、これまで適度に茶々を入れつつ遊ん……見守っていた。セロリトラップに目の前で引っ掛かって発狂した時はさすがに終わったかと思ったものの、彼女は思っていた以上に人格者だったらしい。むしろ仲が深まったんじゃないだろうか。
 まあ、そう。そうだと、思っていたのだけれど。


「最低です」
「ええっと……」

 ジョンと街中を歩いていたら「相談したいことがあるんです」とあまりに真っ青な顔で言われたので驚いた。ひとまず近くのカフェに入れば、「最低です」と開口一番、なまえくんはそう言うと唇を噛みしめ、その前では未だ口をつけられずにいる珈琲が湯気をのぼらせ続けている。

「わ、わたし、うそを」
「嘘?」
「嘘を、ついてしまいました……」

 彼女の顔色はこれ以上ないほどに悪い。大罪を犯しました、という表情で、じっと机へと視線を落としている。私はどうしていいのか分からず、ジョンに視線を移した。ジョンは彼女を落ち着かせるように、机の上に置かれた震える手に、そっと寄り添っている。
 ジョンの温もりに、彼女も少しは落ち着きを取り戻したのだろうか。私が「どういうことかな?」と勤めて優しい声をかけると、ぽつり、と「このあいだの」と呟きを落とした。

「うん、この間っていうのは……」
「事務所にお邪魔した時です」
「ああ。セロリトラップの時の」
「セ、……そ、それなんです」
「それ?」

 ぐ、となまえくんが眉間に深く皴を寄せる。少しの間、空白が生まれ、彼女が、掌をぎゅっと握りしめた。ジョンが心配そうな眼差しを彼女へと向けている。そして声を震わせながら、彼女がわっと吐き出すように言った。

「セロリをおぞましいと言ってしまったんです!」

 え?

「わ、わたし、取り返しのつかない嘘を……最低です」
「……ん?」
「……ヌ?」

 正直「は?」と言いそうになったところを、頑張って柔らかい声に変えた私を褒めて欲しいところだ。しかし私とジョンの困惑の視線になどちっとも気づいていないのか、彼女は「どうしよう」と震える声を零し続けている。


 セロリが嫌いだと言ったことは、私もロナルド君から聞いていた。というより、見てた。普通にドアの隙間から。面白そうだったし。
 なまえくんがセロリを嫌っていることを知ったロナルド君の喜びようは半端なものではなく、まさしく五歳児のようにテンションを跳ね上げさせてつらつらと彼女に嫌いなものが同じであることの喜びとセロリの嫌いなところを並べ立てていた。まあ、確かにロナルドくんに合わせて言ったのだろうなあとはその時思ったけど。けれどそれは、相手に合わせてちょっと事実と違うことを言った程度で、そう思い詰めるほどのことではないだろう。
 そう言ってみれば、彼女が益々顔を真っ青にした。

「合わせた、とか、そういうレベルじゃないんです」
「うん?」
「わ、わたし! セロリが大好きなんです!」

 今にも泣き出しそうな顔で、なまえくんが叫ぶ。未だ聞いたことのない声量だった。カフェの中に居た客が、何事かとこちらを見ている視線を感じるが、あえて見ないことにする。視線で死にそう。

「わたし、すごくセロリが好きで、……葉も茎もまるごとセロリを使ったサラダをセロリのドレッシングで食べるくらい好きなんです」
「それはもう丸かじりした方が早いだろう」
「丸かじりと千切りでは食感も風味も全然違います」
「すみません」

 うう、と彼女が呻いた。悲壮感たっぷりの表情で、彼女が顔を掌で覆う。

「それなのに、おぞましい、と……最低です……」
「別に最低ってほどではないんじゃ」
「いえロナルドさんにとってはセロリ信者が身分を隠して近づいてきたんですからもうこれは詐欺みたいなものです、それにセロリにも申し訳ない……」
「おおう……」
「ヌオ……」

 セロリとロナルドくんに同等くらいの申し訳なさを感じていそうな様子に何とも言えない気持ちになった。その程度で、なんて口走ったらものすごい剣幕で怒られてしまいそうだ。ジョンも微妙な顔で彼女を眺めている。

「……いくら好きな人でも、思わずあんな風に自分を偽るようなこと言うなんて、最低ですよね」
「は?」

 私は今何に巻き込まれてるんだ。
 なまえくんは自分の発言の重大さには気づかず、ただ鬱々とした顔で俯いている。


△△△


 反射だった。だって事務所の扉開けたらあの人がドラルクと一緒に居て、明らかについさっきまで泣いてました、という目をしているもんだから。
 しかし「冤罪!」と叫んであいつが砂になったのと、明らかに涙ぐんでいた彼女が勢いよく頭を下げたのは同時だった。

「っえ? え? どうっ何……ですか? え?」
「ごめんなさい!」

 砂から再生したドラルクが、「普通いきなり殴るか?」とぶつぶつ文句を言っているが、それに返事をする余裕もなく、ただ間抜けな顔で彼女を見つめ返すことしかできない。
 何への謝罪だ? と延々考え続けてみるが正解は出ず、黙ったままでいると、ぐず、と鼻を鳴らした彼女が「うそを」と小さな声で呟いた。

「わたし、本当はサラダにセロリが入ってたら飛び上がりそうなくらいに好きです」
「えあ、な、なるほど?」
「え?」
「え?」

 俺の言葉に戸惑っているのはなまえさんだけだった。ドラ公はムカつくしらっとした顔でジョンを抱えて静観の構えをとっている。
 彼女が何を伝えたいのか分からなかった。いや、セロリが好きだったことはびっくりだ、正直。マジか、そっか、とは思うけど。だからどうした、という話だ。むしろ健康志向でいいな……と思う。俺は食べれないし見れないけど。

「えっと、ロナルドさんに、嘘をついて、しまって、」
「俺に話合わせてくれたって、ことですよね? 気い遣わせちまって……」
「そんな綺麗な理由じゃありません」

 なまえさんが顔を歪める。俺はあまりにも悲しそうな顔をしている彼女に「エッエッエッ?」と間抜けな声を漏らし続けることしかできない。じゃあどんな理由で彼女は好きだと言うセロリを嫌いと言ってみせたのだろうか。

「好きな人に良く思われたいっていう邪な感情です、最低です」
「ス」
「ごめんなさい……」
「ッス」

 え?
 脳みそで言葉を処理しきれず、ぶるぶる震える唇からは息の漏れる音しかしていない。
頭を疑問が覆い尽くしてそれを歓びが上塗りしていく。彼女は今、俺が好きだと言ったのだろうか。いや、もしかして俺じゃない? いやでも俺だよな、ロナルドって俺? 好きってなんだ? ライク?いや、ライクだろ、彼女が俺をス……とかあり得るか? 夢か? 幻覚かな。なんかキメてるかもしれない。

「……ス、ッキって言いました?」
「え? あ、はい……」
「お、俺が、……え、俺を? えあ、なまえさんが? 俺をですか?」
「は、はい……」

 戸惑った彼女の瞳が俺を見上げている。正直なんで彼女の方がそんな顔をしているのかてんで分からないが、その感情すら喜びの渦に飲み込まれてもう考えられない。
 え、彼女は俺とセロリが好きってこと? それで一回は俺に合わせてくれようとしてたってこと? つまり俺はセロリに勝ったってこと? セロリは俺のキューピッドってこと?
 セロリは嫌いだ。間違いなく。でもそのおかげで彼女のこの言葉が聞けた気がする。

「俺! やっぱりなまえさんに出会うためにセロリのこと嫌いになったかもしれないです!」
「へ?」

 潤んだ瞳が俺を見上げている。ドラ公の「アホか」という呟きは、喜びいっぱいの俺には届かなかった。




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