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離してやらない


「茶を一杯飲む時間はあるだろう」

 普段通りの微笑みで彼がそう言うので、一瞬頷きそうになった。けれどできない。私はこれから殆ど一方的に送られてきた、平面の顔しか知らない男との見合いに行かなければならず、待ち合わせの時刻は迫っていた。

「もう行かなきゃ」

 皆には伝えていない。私が行きたくない、などと察せばきっと皆はどうにかしようとするだろう。してくれる。けれど変に断って面倒な人間に目を付けられてしまうのは嫌だし、大事になるのも嫌だった。
 偉い人との会食に行かなければいけないから、今日は和服で食事に行く、と伝えてあるだけだ。不慣れな私の為に皆特訓に付き合ってくれた。

「いい茶葉を買った」

 私の自室の前の縁側で、鶯丸はのんびりとした声を出した。「時間が」と口を開いても、鶯丸は急須のお茶を、湯呑へと注ぎ込むことを辞めない。
 きっちりと私の分も用意されたそれが、縁側へと置かれた。隣に座れ、と暗に言われている。

「さあ、主の好きな茶菓子もある」
「お茶だけって言わなかった?」
「甘味と飲む茶は格別だろ?」

 怒られたら鶯丸のせいだからね、なんて、一応口先では文句を並べながらも、結局、私の足は玄関には向かなかった。まだ、確かにお茶を一杯飲むくらいの時間はあった。
 彼が勧める通りに縁側へと向かい、慣れない和装のせいでもたつきながらも、教えられた通りの所作で彼の隣へと座る。縁側は陽の光が当たっていてじんわりとぬくもりがあった。
 湯呑みを持ち、唇をつける。ああ、そういえばリップを塗ったのに。一瞬そう思って、しかしまあ、いいかと過ぎていく。こくり、と一口飲んで、ほうと息が漏れた。

「おいしい」

 ぽろり、と漏らすと、鶯丸は柔らかく「そうだろう」と微笑んだ。彼は私の好みの茶葉を見つけるのが得意だった。
 ここで鶯丸とお茶を飲みながら、のんびりしたい。いつも通り。
 過った考えに蓋をして、菓子に手を伸ばす。教えられた通りに黒文字で切り、口へ運ぶ。お偉方との会食の為に、歌仙がここ暫く所作を見てくれていた。

 これを飲んで、お茶菓子を食べて。そうしたらすぐに離れるべきだ。それなのに、菓子に伸ばす手はいつの間にかのろのろとして、お茶もほんの少しずつ口に入れてしまう。

「今日の会食、護衛は後藤だったか?」
「うん」
「そうか。いつも通り俺を連れて行けばいいのになあ」
「偶には貴方にもお休みあげようと思って」

 ふ、と鶯丸が息を漏らすように笑う。彼がこちらを見た。じ、と奥底を覗き込まれるような心地がして思わず目を逸らす。……いや、彼はそんな瞳なんてしていない。私に後ろめたいことがあるだけだ。だから、そう思うだけ。

 私は鶯丸のことが好きだった。言葉にしたことはないけれど、ずっと。彼の言葉の一つ一つが、柔らかな表情が、私にお茶を出す掌が、私を見るその瞳が、好きだった。
 好きなひとを見合いに連れて行きたい人間などいない。
 ただ、そんなことは言えないので、適当に誤魔化すと、鶯丸はふ、と息を漏らすようにして笑った。

「俺が控えていると見合いには邪魔か?」
「いや、邪魔っていうか……鶯に」

 貴方に見られたくないだけ。
 そう、言おうとしてはた、と動きが止まる。言葉を理解しきる前に「え、」と間抜けな声が唇から零れた。何を、言ったのだ、この刀は。
 はく、はく、口を開けたり閉めたりして、鶯丸の顔をまじまじと見る。彼は唇の端を柔く吊り上げて、私を見ていた。……あ、これ、ただの笑顔じゃない。怒っているときの顔だ。

「隠していたつもりだったのか?」
「……う、ん。そう……だね、わりと……はい」
「お偉いさんとの会食が憂鬱、にしてはなあ。主は態度によく出る」
「……そんなに嫌そうだった?」

 自分では上手く隠していたつもりだったのに。
 鶯丸は「主は分かりやすい。大包平といい勝負だ」とのんびりと言って、湯呑に口をつける。何を言えばいいのか分からず、自分の膝へ視線を落とした。薄緑の生地の上で、掌を何度か握ったり開いたりする。じっとりと、汗をかいていた。
 いつから分かっていたのかだとか、聞きたいことはいくつもあったけれど、隠し事をしたのは私の方だ。「ごめん」と口を開く。

「……ショックだったなあ。主に隠し事をされるっていうのは」
「それは、……はい。すみません」

 こちらにも口を閉ざした理由はあるものの、それは鶯丸には関係ないことだ。彼は、私が無理をして見合いしようとしたのだと、感じ取っているから怒っている。
 のろのろ、と言葉を零す私をじっと見ていた鶯丸の瞳を、顔を上げ、どうにか見つめ返す。
 はあ、と彼のわざとらしい溜息。

「主から口を開くのを待っていたら当日だった」
「…………」
「受けるのか」
「これからですけど、お見合い……」

 受けるも何も。相手に会ってすらいない。
 なんだか今日の鶯丸は、すごく詳細な言葉をかけてくる。一瞬でも思ったのを悟られたのか、彼が「主にはどれだけ言葉を尽くしても足りないみたいだからなあ」と薄く笑った。穏やかな声色の奥に、僅かに私の行動を咎めるような色が覗いている。また私の身体が縮こまった。

「行きたくないんじゃないのか」
「行きたくは、ないけど。……断れないし」
「逃げればいい」
「それは嫌」

 はっきりとした声が出た。しどろもどろ、情けない声ばかりだったけれど、それだけは。
 逃げる、というのは最も避けたい。目を付けられれば、審神者であることに、この本丸の運営に問題が起きる可能性があるということだ。それだけは考えられない。考えることはない。それが一番嫌だからだ。
 断れないなら、俺が一緒に行って断ってやろう。そんなことを言われてはたまらないので、残ったお茶を一気に飲み干した。

「行く。嫌でも。ごちそうさま」
「……ああ、見合いなら中止だ。伝え忘れていた」
「は、」

 立ち上がろうとそばについた手がかくんと震えた。意味が分からない。
 朝こんのすけにも再確認をして、あれだけ苦戦した着付けも一人でできるようになって。髪形は加州に手伝ってもらって。

「どういうこと?」
「先方には断りの通達が既に届いてる」
「だからなんで!」
「主を見合いの席に送り込むくらいなら俺が連れ去るぞと、こんのすけに伝えた」

 言葉を失う、とはこのことだろうか。
 ただ鶯丸の顔を見つめ返すことしかできない。言葉がきちんと脳に届く頃に湧いてきたのは、喜びではなく、怒りのような、不安のようなそれだった。

「あ、ぶないでしょうが。そんなこと言ったら」

 政府に目を付けられかねない。危険な刀だといって、自分が刀解されないとも言い切れない発言だった。いくら私が嫌だと、そう思っているからといえど。
 けれど鶯丸は「問題ないさ」と軽い口調で言う。いつも通りの表情で。

「俺はこの本丸で一番練度が高い。政府だって審神者と俺、相手の小僧、正しく秤に乗せるくらいはできるさ」
「…………私に言わず危ないことしないでよ」
「それを主が言うか?」

 もう何も言えなかった。
 鶯丸が、私の湯呑におかわりを注ぐ。私は「なんで」とまた繰り返す。分かっている。私が、見合いを嫌がっていると感じ取ったからだ。そして自分では、突っぱねられないだろうと判断したからだ。分かっているのに、なぜそこまでするのかと、確認せずにはいられなかった。

「そりゃあ、主は俺で手一杯だろう」
「…………なにそれ」

 一瞬、言い返そうとおもったのに、鶯丸の表情を見るとなんだか、一気に力が抜けてしまう。おかしいくらい、堂々とした口ぶりだった。
 なんだかどうでもよくなってきて、先程まで着付けが崩れるからとお行儀よく座っていた足を崩した。体中から力が抜けていく。詰まっていたような、息が零れた。
 私は安心したのだ。安心、してしまったのだ。
 情けないことなのに。近侍に心配をかけて、裏から手回しをさせるなんて。それなのに。

「……今日の為に所作とかいろいろ練習したのに」

 ありがとう、と上手く言えずに、文句じみた声が出た。それなのに、鶯丸は途端に機嫌がよくなって、きゅうと目尻を細めながら私の瞳をじっと見つめる。
 「練習は無駄にはしないさ」と、楽し気に鶯丸が言った。
 普段和装なんてしないもん、と口を開こうとする前に、彼の言葉が続けられる。

「練習のお披露目は俺との祝言に取っておけばいい」
「……?」
「ああ、だが折角だ、その着物で出かけるか。今日は休みにするんだろう?」
「待って」

 軽口では処理しきれない言葉が聞こえた。
 またもや言葉を失った私を見て、とろり、と鶯丸が目を細める。彼の指先が、私の小指に軽く触れた。確かな熱が触れている。
 なんだ、これは。

「主」
「……な、なに」
「主は、俺が、主が嫌がっているからわざわざ根回ししたとでも思っているのだろうが」

 酷くゆったりと、鶯丸は言葉を紡いでいる。細められた目の奥で、鈍く光る色の正体に、私は今気づき始めていた。
 触れているだけだった指先が、ゆるり、とからめとられる。口が異様に乾く。目の前の刀から目が離せなかった。

「主が望む望むまいは関係ない。俺に離す気はないからな」

 気づかぬうちに、絡めとられていたのかもしれない。
 鶯丸は、私が完全に固まって動けなくなったのを見て楽し気に笑うと、「おかわりを淹れてこよう」とさっさと立ち上がり私に背を向けて離れて行く。
 ああ、彼が返ってくるまでに、せめていつも通り、平常心にならなければ。そう思うのに、指先は震え、心臓は脈打っている。
 着物が崩れるのも構わず、私はその場で床に顔を伏せ縮こまった。顔の熱は取れない。



 後に、後藤が私に耳打ちした。
 鶯丸は見合い話が届いてすぐ、私の様子がおかしいことに気づいて、さっさとこんのすけを通して断りを入れていたらしい。彼の意地が悪いところは、それを私には伝えず、私が言い出すのを待ち続けたところだ。結局言わないまま当日になった訳だけれど。
 確かに何も言わなかったのは悪かった。悪かったけど、本丸の皆も知っていた、というのは。恥ずかしすぎて泣き出すかと思った。ちょっと泣いた。
 こんのすけには「嫌ならお断りすればそれで終わりですよ。確かにお相手の家柄はかなりのものですが、大事に捉えすぎです」と呆れたようにたしなめられてしまったし。その場で暫く縮こまっていた。私がただ一人で悩んで解決した気になっていただけだ。



「大将、所作はもう完璧だな」
「……まあね……」

 真っ白なそれに身を包み、鏡でくるりと回って確認していれば、後藤が揶揄うように言う。まあ、暫くありもしないお見合いに向けて特訓しましたからね、こっちは。
 後藤が障子を引く。そのまま自室を出れば、縁側に腰かけた彼が、とろりと目を細めた。




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