「ひよ里ちゃん、晩御飯一緒に食べに行こう」
「……あのアホ居るなら行かんぞ」
「浦原隊長のこと? 誘ってないよ。今晩はちょっと忙しいみたいだから」

 十二番隊が浦原隊になってから一週間と少し、ひよ里ちゃんは未だに浦原隊長のことをアホとかハゲとかとしか呼ばない。
 浦原隊長がそれを咎めないし気にする様子もないので私も放置しているが、"アホ"と言われて隊長を連想する席官なんてどの隊を探しても私だけなんじゃないだろうか。

「藤とあきは?」
「そっちは誘ったけど断られちゃった。最近色々忙しいみたい」
「何や、夜逃げ前かいな」
「案外そうかもね」

 呆気なく頷いて斬魄刀を拾い上げた私の脇腹を、ひよ里ちゃんの手刀が直撃した。

「同僚が逃げてくのに笑ってるなや、アホ」

消したい過去に縋って生きていること


 瀞霊廷内の静かな小料理屋さんに入って注文を済ませると、人の少ない店内を見回しながらここ数日ずっと訊きたかったことを口にした。

「ねえひよ里ちゃん、浦原隊長が何か危ない人達を十二番隊に引き込もうとしてるって本当?」
「ぶっ」

 お茶を噴き出したひよ里ちゃんに慌ててお手拭きを差し出す。

 最近隊内でまことしやかに囁かれている噂だ。
 浦原隊長が、元居た二番隊で檻理対象であった囚人を複数名引き抜いて、十二番隊と言う組織そのものを改変しようとしているとか、いないとか。
 ただでさえ今の十二番隊に順応できていない隊士は浦原隊長の行動一つ一つに不安を抱いているのに、更にそんな噂が立ってしまえば他隊に異動願いを出す隊士が出てしまうのも仕方ないと思ってしまう。


 その噂が立ち上り始めたあたりから、業務外時間に藤さんとあきさんが他隊を訪れる回数も増えた気がする。
 私は相変わらずひっきりなしに発生する仕事を捌いて、書類を他の隊に回して、時々浦原隊長のお遣いをこなすだけの毎日を繰り返しているので、二人がそうする確かな理由というのは知らないのだが、恐らく異動の打診と見て間違いないだろう。


「正直私、浦原隊長が"蛆虫の巣"とか言ってるのばっちり聞いちゃってるし、多分あの時私が一番隊にお遣い頼まれた書状もそれ関連のものだと思うから、強くは否定できなくてさ」
「本当だったら、乙子も異動するんか」
「しないよ? ひよ里ちゃんいるし、いきなり刀振り回すような人じゃなきゃ誰が来てもいいし、いつか忘れちゃうかもしれないことに気回しててもしょうがないよね」

 あっけらかんと答えた私を見上げて、ひよ里ちゃんが目を丸くした。大きな目が零れ落ちそうなくらい見開かれて、すぐにどうしようもないものを見るような眼差しに変わった。
 溜め息を吐いた小さな頭に手を伸ばして黄色の髪を撫でながら、お料理が運ばれてくるのを待つ。

「うち、ほんっっっっっとうにあんたのそういうところ嫌いや…気持ちわる……」
「酷いなぁ、長所だよ。"同僚が総入れ替えされてもいつも通りお仕事できます"って」
「アホなこと言ぃなや。自分で思うてるほど他人を重要やと思うてへんだけやろ」
「そんなことないよ。流石にひよ里ちゃんまで辞めるって言い出したら困るもん」
「"困る"だけやん」

 ひよ里ちゃんの短い言葉は、私にはショックな言葉だった。
 けれどそれは私ではどうしようもない事柄で、どうあがいても事実に変わりないので、言い返す代わりに微笑みを浮かべた。
 ひよ里ちゃんの視線は私から私の足元にある斬魄刀へと移って、やがて困り果てたように溜め息を吐く。

「………ごめん。言い過ぎた」
「いいよ。全部本当のことだし。ひよ里ちゃんも疲れてるもんね、わかってるよ」

 ひよ里ちゃんとは藤さんやあきさん以上に深く、長い付き合いがある。副隊長はそうそう異動しないから、私が十二番隊を出ない限りはこれからもそれは続くだろう。
 ひよ里ちゃんの言葉がすべて本心からくるものだと言うことも、それでも彼女が私を心から嫌っている訳ではないことも、私はすべて承知している。
 そしてひよ里ちゃんも、私がそういう人間であることを知っている。
 知っていて、それでも毎日当たり前のように在る日常のうちの一つに私を数えてくれているのだから、彼女は優しい上司だ。

「……喜助の就任で、元からいた奴らが出ていくのが、うちは気に入らんねん」
「うん」
「せやけど、どないに気に入らなくても、アレは隊長で、うちは副隊長…」
「そうだね」

 別に、何もかもが彼女を置いて変わろうとしている訳じゃない。ひよ里ちゃんも変化に適応しようとしている。それは浦原隊長にも伝わっているから、浦原隊長もひよ里ちゃんに直接仕事を任せることが増えた。

 浦原隊長は良くも悪くも人の顔を窺わない人だ。
 どんなに困った顔で笑っていても、最終的には私達の反応を度外視して自分のしたいことを進めていく。
 私達はそういう改革を進めるのならせめて一言説明が欲しいと常々呟いているのだけど、それになかなか隊長が応じてくれないのはわざとなのか、それとも浦原隊長本人の気質の問題なのか。

 浦原隊長の起こす大体の物事に驚きが伴うので、まだ適応途中のひよ里ちゃんはいつもより少し大きめの衝撃を受けて、結果的に隊長へ物理的に当たってしまう…という悪循環だ。
 はじめの頃はひよ里ちゃんを浦原隊長が受け入れるのが着地点だと思っていたけれど、多分その認識は間違いで、『突拍子もないことをした後にしかこちらを振り返らない浦原隊長を、私達が諦めて受け入れる』と言うのが正しい。

「…まあ、藤さん達のことは、相性が悪かったって思うしかないよ。人って合う合わないがあるし、別に異動したら一生会えない訳じゃないじゃない」
「………うん」

 ひよ里ちゃんが頷いたところで、頼んでいた料理が運ばれてきた。
 机に並べられていくお皿達を眺めてから、最後に目の前に出された白い皿を見てつい笑顔を浮かべてしまう。

「…乙子、ほんまに焼きおにぎり好きやな…」
「うん、このお店来たら食べないと帰れない。さ、冷める前に食べちゃおう」

 さっきまでの空気を完全に吹き飛ばして箸を持った私を諦めたように見てから、ひよ里ちゃんも箸を取った。


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