「わ、わぁー……」

 早朝、あきさんに急かされていつもより少し早く出勤した私は、浦原隊長がいるであろう隊首室を訪れ、初めて開いた口が塞がらないという状況を身をもって体験することとなった。
 あきさんがあまりの形相で騒ぐので何か事件でも起きたのかと思っていたが、そっと戸を開いて覗き見た隊首室は、そう…模様替えを終えた直後のようだったのだ。
 口を開けたまま間抜けな声を上げる私を振り返って、徹夜なのか超早朝出勤なのかわからない浦原隊長が「オハヨっス乙子サン」と爽やかに笑う。

「お、おはようございます……えっと………本日はお日柄も良く…」
「どうしちゃったんスか、顔は正面向いてるのに目は明後日の方向向いててちょっと面白いっスけど」
「ちょ、ちょっとびっくりしてしまって…」
「ああ、模様替えしたんス。この方が仕事しやすいと思いまして」

 昨日彼とお茶を飲んでいた辺りは畳の面影すらなく、足元はすべて合成樹皮か何かと思しき素材の無機質な雰囲気に。ぱっと見、何かの実験室だった。
 部屋の中央で朗らかに笑う浦原隊長の、頭上にそびえる"十二"の文字が排気口と被っているあたりに眩暈を覚えながら、力なく笑い返した。

「ぜ、前衛的ですね……」

 後から出勤してきたひよ里ちゃんの怒声が響き渡ったのは言うまでもない。

罪にも罰にも慣れたふたりには


「乙子も何か言ってやりぃや!! このハゲ話通じひん!!」
「話通じないのに私が何言っても無駄ですよ…」
「ほら見ろやこの乙子のウンザリした顔!! こんな顔見んの年末の決算報告書作る時以来やぞ!!」

 隊首室で散々揉めていたひよ里ちゃんだが、何を言っても浦原隊長が大した反応をしないのを見るや否や書類を胸に抱えていた通りすがりの私を引き摺って、人質よろしく隊長の前に差し出したのである。
 ひよ里ちゃんの言いたいことはわかるが、こうして浦原隊長を迎え入れてしまった時点でこの程度の無茶は目を瞑っていかないといけないと思う。
 この程度。うん。この程度ね、うんうん。

「え〜、でも乙子サンには許可もらいましたよ」
「はァ!? 乙子何やっとんねん!!」
「さっき」
「さっきィ!? 事後承諾やんけ!!! お前そんなもん許可もらったうちに入らへんぞ、頭おかしいんか!!」
「ああ〜やめてひよ里ちゃん、これ以上揺らさないで」

 正直やってしまったものは仕方ないし、隊首室を使う隊長があれでいいと言うなら部下である私達は是とする他ない。隊舎全体をあのデザインで統一されたらちょっと二日くらい寝込むかもしれないが、そうでないだけまだマシだろう。

 書類を脇に挟みながら"浦原隊長、隊首室を魔改造。ひよ里ちゃんがカンカン。"と書き記した。本当は今朝見た時に記録するつもりだったが、あまりの衝撃で忘れていた。

「あ、そうだ。お二人にお願いがあるんスけど」
「この上なんや!!」
「隊舎の模様替え以外でしたら謹んで。隊舎全体はちょっと備品の運搬があるので事前に計画案を通して頂けるとありがたいです」
「何諦めとんねん…」

 頭にぼんやりと機械じみた隊舎のデザインが浮かんだり消えたりしたが、浦原隊長は手を振ってその想像を否定した。

「ひよ里サン、今から"蛆虫の巣"に一緒に行ってください」
「はーーーーー!? いややっ!!」
「乙子サンはこの書類を一番隊にお願いします」
「あ、わかりました。ひよ里ちゃん、お仕事だから隊長振り切って脱走しちゃ駄目だよ」
「いややーーーーーーっ!!!」


* * *


 護廷十三隊というのは大量の死神を抱える大変大きな組織なので、何もしていなくとも仕事は発生する。
 別に隊長副隊長がいなければ動かせない重要なものというのはそう多くはないので、十二番隊席官三人衆たる私、藤さん、あきさんの三人のうちの誰かが隊舎にいればほとんどの仕事は円滑に進んでいく。
 ――いくのだが、新隊長の就任という出来事の余波が、未だに十二番隊全体を揺らしているせいで、机に就いている隊士全体の表情が不安げだ。


 回覧書類を十三番隊に届け、浦原隊長のお遣いも無事に終わらせた私が隊舎に戻ると、仕事をしていたあきさんに死覇装の襟を引っ掴まれた。

「いたた……あきさんどうしたんです?」
「どうしたもこうしたも無いわよ! 乙子も見たんでしょう、あの隊首室!」
「み、見たけど…」

 充分すぎるくらいびっくりしたけど。

「この際改造はいいとしても、あんなに外観ガラッと変わっちゃうなら私達にも一言あっていいと思わない?」
「ん〜まあ確かに相談してくれたらよかったとは思うけど、相談されたところでどうしようもないし…」

 それまで黙って書類を捌いていた藤さんが一つ咳払いをしたので、珍しく騒いでいるあきさんが自分の机に戻った。
 私も持ち帰った書類を自分の机に置くと、硯に水を差して墨をずりずりと磨っていく。机の隅には現世で駐在任務に就いている隊員からの定期報告が上がってきていたので、それにざっと目を通してからあきさんの机に回した。

 あきさん、相当浦原隊長の隊首室魔改造の件が頭にきてるんだな。それならひよ里ちゃん、私じゃなくてあきさんを人質にすればよかったのに。

「…あーあ。これなら先月きた引き抜きの話受けておけばよかった」
「え、あきさん引き抜かれるの?」
「予定だったわ。六番隊にね」
「へえ、あの朽木隊長に引き抜かれるのかぁ。すごいなあ、あきさん」

 墨を磨ったまま感心して頷いた私を見上げて、机に頬杖をついたあきさんが嘆息する。
 藤さんも小さく息を吐いたが、私は今のやり取りの中の何が失言だったかわからないので首を傾げるばかりである。

「……乙子、本当に十二番隊を出る気は無いの? きっとこのまま此処に残ったら、十二番隊はどんどん浦原隊長に変えられてしまうわよ」
「そりゃあそうですよ。もう此処は曳舟隊じゃなくて浦原隊なんだから」
「水月さんは何も思わないのですか?」

 藤さんの問いかけにうーん、と形ばかり唸って考えているふりをした。
 そりゃあ今日はびっくりしたけど、隊の代表である隊長が変わると言うことは、組織自体が変わると言うことに他ならないから、元々私はそこまで浦原隊長に対して皆が持つような反感や抵抗感を持っていないのだと思う。
 曳舟隊長のいた温かい十二番隊が恋しくないわけではないけど、今日見たあの機械感溢れる隊首室にもきっといつかは慣れるだろうし。

「――それに私、近いうちに曳舟隊長のことも忘れちゃうかもしれないから、正直異動してもしなくても変わらないって言うか。昇進突っぱねても許してくれそうな浦原隊長の下にいる方がまだマシです、たぶん」

 机に突っ伏していたあきさんが何とも言えない顔になって、硯を細かく往復していた私の手に白い手を重ねる。
 藤さんも何も言わなかったけれど、あきさんと同じような表情を浮かべていた。

「…貴方って本当に難儀だわ。それって、私達が異動したって忘れちゃうからいいって言ってるのと同じよ」
「うーん、そうかもしれないけど……でも、今の私はあきさんと藤さんが別の隊に行っちゃったら寂しいですよ」

 私が持てない未練や感傷と言うものを抱えた二人は、遠くない日この十二番隊を離れる日が来るのだろうという予感があった。
 墨を手放して筆に持ち替えた私と、口を閉ざしたまま仕事を再開した二人の間には決定的な溝がある気がする。


 そしてその溝は、隊長が『古巣』から引き抜いてきた要檻理対象の登場により、更に深いものとなる。


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