疵を覗くように
自分の名前を云ってご覧
真実より大事なことはいくらでもあるさ
随分と長いことお世話になった上司の昇進が決まったのが、数週間前のこと。
何分突然の、しかも急なお達しで、私達は皆揃っててんやわんやしながら、上司の見送りと、新しい上司が決まるまでの仕事の大雑把な引継ぎ、上司の私物の運び出しや処分などに追われて、気が付けば新しい上司が発表されるとかで式典の準備をしている。
「ひよ里ちゃん、準備できた? 他に出席するのは隊長格だけだから、はやく行ってかっこつけた方がいいよ」
「何や、かっこつけるって。顔見知りばっかやん」
「え、なんかこう……十二番隊強いぞ! みたいな」
「意味わからんわ!」
「でも、新しい隊長もきっと強そうな十二番隊の方が嬉しいんじゃないかな」
「何で新参者の為にうちらが変わらんといけへんの!」
「新参者って、隊長だよ」
「十二番隊の隊長は曳舟隊長だけや!」腕を組んで隊首室に残された執務机に座ったままツンと顔を逸らした小さな上司に苦笑いを洩らす。
確かに曳舟隊長には皆すごくお世話になったし、特にひよ里ちゃんは曳舟隊長のことが大好きだったから無理もない。
――と言いたいところだけど、これから就任の儀を経て十二番隊にやってくる新しい隊長のことを考えると、副隊長がこの態度では居心地がさぞ悪いだろうと人並みに想像はできる。
曳舟隊長がいなくなってしまったのは寂しいけれど、新しい隊長だって悩んだ末にこの少なくない人数の隊を引き受けてくれるわけだから、突っぱねてばかりでは失礼だと思うのだ。
私としては別に隊長がどんな人でも、現十一番隊の隊長をしているあの人のような破天荒でどうしようもない乱暴者でなければウェルカムというやつである。
私達の上に立って、隊長と並ぶはずの副隊長・猿柿ひよ里が同じことを思ってくれるとは、正直思っていないけれど。
「副隊長」
先ほどとは違う、硬い声でひよ里ちゃんを呼ぶと、副隊長のくせに彼女は姉妹に叱られたような表情で渋々わたしと目を合わせた。
これがひよ里ちゃんの我儘と感傷を押し通せる程度の問題なら私も彼女の味方をしてあげたいところだけど、護廷十三隊の運営に関わってくるとあればそうもいかない。
使う人が暫く不在のままな執務机も、そろそろひよ里ちゃんの椅子代わりではなく本来の仕事を果たしたいだろうし。
「副隊長の言動は他の隊士に影響します。……就業時間入ったばかりだし、あんまり大きい声出してると藤さんたちまで飛んできちゃうよ」
言いながら彼女の死覇装の襟を正してやると、「すごく行きたくない」「本当はすごく行きたくない」「でも仕方ないので行きます」といった表情でひよ里ちゃんが机から飛び降りた。
私よりも低い位置にある、はねっ返りの強い髪をおさげにした頭がほんの少し振り返って、「水月四席!」ときつい声で呼んだ。
滅多に使われない呼び方に苦笑いしつつ答える。
「何でしょう、猿柿副隊長」
「………乙子は来んの」
そっぽを向いた横顔の、僅かに膨らんだ頬を眺めながら、私は死覇装の懐から革のカバーに包まれた手帳を取り出した。
最新のページに一緒に挟んであったペンを取り出して、文字を綴る。
「式典に参加するのは隊長格だけでしょう。終わる頃に迎えに行くから」
"十二番隊新隊長本日就任。ひよ里ちゃんが拗ねながら式典に出席する。"と。
「乙子」
「あ、リサちゃん」
一番隊隊首室の外で八番隊副隊長の矢胴丸リサちゃんがひらりと片手を挙げた。
ウチの隊の隊長の就任式なのでひよ里ちゃんが出席しているが、基本的に今回の式典に副隊長は出席しない。もちろん、隊長の許可があれば同行することもあるだろうけど。
「リサちゃんは相変わらず覗き?」
「おん。ばっちり十二番隊の新隊長も見たで。感想聞きたい?」
「うーん、この後すぐに顔見せあるけど」
リサちゃんがしれーっとした表情の奥底に話したくてうずうずしている雰囲気を漂わせているので、どうぞと続きを促した。
「なんや頼りなさそうな感じの優男やったよ。ウチの隊長ほどやないけど背は高かったかな」
「あ、そうなんだ」
「反応薄っすいな自分。新しい上司やろ? ひよ里ほど騒ぎぃとは言わへんけど、もうちょっとなんかあらへんの?」
「う〜ん。あんまり大声では言えないけど、十一番隊の隊長みたいな人じゃなかったら正直どんな人でも当たりだと思ってる」
「それは言えてる」
今の護廷十三隊内での十一番隊の"剣八"の評判はおおむね一致している。
十一番隊の隊士達は基本的に他隊の隊士を下に見ている人が多いから、私はそもそもあまり十一番隊が得意ではないのだが、それも最近"剣八"が代替わりをしてからは特に苦手になってしまった。できれば回覧書類の受け取りに向かうのも辞退したい。
板張りの広い廊下の隅っこで壁に凭れながら、ふとこの式典会場となっている隊舎の中に十一番隊隊長がいたら大事なのでは? と思い至った。
すると私の表情でそれを悟ったのか、リサちゃんが「十一番隊は隊長サボりや」と囁いた。
「よかったぁ。どんなに相性悪くてもお隣だし、揉め事は避けたいよね」
「律義やな。ひよ里にも見習わせたりや」
「ひよ里ちゃんはいつも元気でなくちゃ。色々心配して気を回すのは私の役目。ほら、私すぐ大事なこと忘れちゃうし――」
その時、私達の囁き声を掻き消すほどの大きな音が響いた。
リサちゃんと揃って横を見遣ると、威圧感を放っていた一番隊舎の門がゆっくりと開いていく。
どうやら就任式は終わったようだった。
きっとひよ里ちゃんが飛び出してくるだろうな、と思ってわたしがひよ里ちゃんの代わりに新しい隊長を隊舎まで案内するつもりだったが、静かな空気を破って一番に室内から出てきたのは二番隊の四楓院隊長だった。
きらりと猫のような目を輝かせた彼女の射程からリサちゃんはさっさと退避し、残された私だけが二番隊隊長及び隠密機動総司令官である彼女の突進をもろに食らった。「う゛っ」かけていた眼鏡が床に落下するのだけは阻止したが、代償として受け身が取れずに尻餅をつく。
鈍くささの塊と言える一連の流れの何が面白いのか、四楓院隊長は笑いながら眼鏡をかけ直したわたしに手を差し伸べた。
「久しいのう乙子! 最近顔を見ぬからついにやらかしたかと思ったぞ!」
「何をですか………仕事の引継ぎで死ぬほど忙しかっただけですよ…」
四楓院隊長は私のことをそこら辺に転がっている玩具か何かだと思っているに違いない。他隊の四席にこんなに絡んでくる理由はわからないが、とにかく私は彼女に好かれているということは確かだった。
四楓院隊長の手を借りて立ち上がりながら辺りを見回すと、すでに他の隊長達も続々と一番隊隊舎を後にしているようだった。
通りがかった京楽隊長が「夜一ちゃん、他所の子いじめるのもほどほどにしなよ」「これのどこがいじめとると言うのじゃ!」と四楓院隊長とやりとりをしているのを横目に、どこかに紛れているはずのひよ里ちゃんを探す。
隊長達は男性が多いし、皆背が高いからひよ里ちゃんがどこにいるのかさっぱりわからない。
四楓院隊長に手を掴まれたままきょろきょろする私に、いつの間にか京楽隊長を確保していたリサちゃんが「ひよ里、あんたが尻餅ついてる間に走ってったで」と言い放った。
なんだって。
「え〜……迎えに行くって言ったのに…」
「それより、あんた以上にきょろきょろしとる隊長引き取ってやりや」
「え?」
くるり、と指さされた方を見ると、明るい練色の髪をした男性がきょろきょろしながら辺りを見回していた。
その人の背中に書かれた"十二"の文字に、何だかもう今日は終業を宣言して帰ってしまいたい気持ちに襲われた。いや、別に誰が悪いわけじゃないんだけど。
「四楓院隊長、あの」
「何じゃ。余所余所しいその呼び方を改めるのなら今後の登場の仕方は考えてやらんでもないが」
「いえ、そうでなく。私、副隊長の代理で新隊長をお迎えに来ただけなので、お戯れはここまでにしていただけると…」
「相変わらず真面目じゃのう。おい喜助! 迎えが来とるぞ!」
何故か厳しい声で新隊長を呼びつけた四楓院隊長は、更に「喜べ。お主を隊長と素直に認めとる隊士第一号じゃ」と言った。
言っている意味がよくわからないが、噂によると新隊長は元々四楓院隊長率いる二番隊で三席を務めていた人だそうなので、ある程度親しいのは疑問に思うまでもなかった。
呼びつけられるままにひょこひょことやってきた新隊長は、困ったように後頭部を掻きながら「あ〜〜ありがとうございます」と頭を下げた。
いきなり隊長に頭を下げられる理由がわからなかったので、反射で私も頭を下げる。
ぺこぺこと頭を下げあう私達に痺れを切らした四楓院隊長が私達の頭をすっ叩くことで謎の応酬は終わったが、それでも何故か隊長は困ったような表情を崩すことはなかった。
「何か早々に副隊長サンに逃げられちゃって。ボクのこと気に入らなかったんスね」
「失礼しました…でも彼女、大抵初対面の相手にはあんな感じなので気にしないでください」
初対面の時は私にもあんな感じだったと記録しているので、あとは新隊長次第だろう。
とはいえ隊長に向かっていつまでもあんな態度をとり続ける副隊長を諫めない訳にはいかないので、対策は考えていかなければ。
「…改めまして、十二番隊四席の水月乙子と申します。副隊長でなくて申し訳ないのですがお迎えに上がりました。この後は、隊舎に戻って隊士達に顔見せ、という流れで大丈夫ですか?」
私の問いかけに、新隊長はもう一度ぺこりと頭を下げた。
「ご丁寧にどうも。今日から十二番隊の隊長になります、浦原喜助っス。よろしくお願いします」
「お願いします」
リサちゃん、私多分当たりの隊長引いたよ。