8月の蛻

「そういやァ一護。あいつはまだ意識戻らねえのか?」
「あ? 誰が」
「敷島だよ、敷島」

 一角の口から意外な名前が飛び出したので、思わず瞬きながら沈黙してしまう。
 思えば、死神の口から敷島の名前をはっきり聞いたのはこれが初めてのように思う。

「敷島がどうかしたのかよ。面識あったか? お前ら」
「面識も何も、ウチの隊じゃ隊長とやり合ってピンピンしてる妙な女ってことで噂になってんだよ」
「……あー……」

 成程、確かに十一番隊の絶対的な長として君臨するあの剣八と互角の戦いを繰り広げたとあれば話題に上っても仕方がない。
 あの戦い以降剣八と敷島は対峙していないし、嘘か真かわからないという真偽のあやふやさを含めて好奇の的になっているのだろう。

「だいぶ酷い状態だって聞いたからよ。もういいようなら手合わせをと思ったんだが、まだ四番隊から出てきてねェだろ」

 ルキアの処刑と『崩玉』を巡る戦いの後、いまだ病室から復帰していないのは俺達のなかでは敷島だけとなっている。
 俺も上半身と下半身が千切れかけるという意味のわからない重症っぷりだったが、肉体の損傷具合で言えば敷島のケガは他の誰よりも根が深かった。

 俺達は全員藍染に斬り伏せられ、全員が一歩間違えば即死級の重傷を負ったが、その中でも敷島はその特異的な再生能力のせいで治療の手順が俺達とは異なるらしい。

 藍染という規格外の敵の攻撃を受け、敷島の補修機能が一時的なバグを起こしているのだろうというのが四番隊の治療班、及び井上と夜一さんの見解だ。
 俺や茶渡なんかの攻撃を受けた時にその霊圧や衝撃を吸収・分析して瞬時に耐性をつける機能が、藍染の攻撃を分析出来ず、延々読み込み中のまま次のステップに進めなくなっているのだと言う。イメージ的にはブルースクリーン状態のパソコンだ。

 剣八に半殺し(実際は一度死んだのだろうが今は生きているので俺はそう呼ぶ)にされた時にも意識がないまま眠り続けていたが、今の敷島はそれに四十度近い発熱が加わり、ついに関係者全員からベッドからの移動を一切禁じられてしまったと言うわけだった。


 ……藍染が敷島にとってどれほど規格外の相手だったのかがよくわかる。
 この一連の尸魂界での戦いを経てはっきりわかったが、敷島は完全な不死ではない。
 敷島は、致命傷を受ける都度死んでいる。
 彼女の本当に特異な点は、驚異的な再生能力でも学習能力でもなく、死という現象そのものを弾いて蘇る死の拒絶機能だったのだ。


 敷島睦月は何度殺されても蘇る。
 殺された経験を材料に進化して、自分を殺した相手を殺し返す為に蘇る。


 それがこの戦いでわかった、敷島睦月という人間の異能だった。

「……意識はある。熱が下がらねえんだ、おかげで病室はおろか布団から離れることすら許可が出ない」
「あー、お前らが四番隊に通ってんのってそういう……」

 特異な肉体性能に頼った戦い方ではいつか必ず破綻する。幾度となく死を繰り返す痛みに普通の人間の心が耐えられるはずがない。
 そしてそれに苦痛を感じ死にたくないと願っているのなら。死を拒絶する仕組みが、何より敷島の"生きたい"という願望の顕れなら。
 痛みだけが敷島に与えられる何かががあるのではないかと、ほんの少し思ったりする。
 淡い命の実感だとか。失くした記憶の孔を埋め得る何かだとか、そういう明るくて展望に満ちたものを期待している。

 問題は、それを敷島が自覚出来るかどうかだけだった。


「これから様子見に行くけど、お前も来るか?」
「いや、十一番隊は四番隊の隊舎はよっぽど死にかけてない限り出禁みたいなところあるからな」
「……そうかよ……」



05 - 微睡むうなぞこ



 病室の扉を開けると、緩慢な動作でこちらを向いた敷島が顔だけで「おう」と言って見せた。俺はそれに口で「おう」と応える。
 脇の棚の上には額に乗せられていたはずの氷嚢が雑に退けられていて、たらいの中には白いタオルが水に浸かったまま放置されている。

 真っ赤な顔色の割に意識ははっきりしているようで、避けてあった椅子を引き摺ってきて寝台の側に座った俺を見上げると敷島は「十一番隊帰りか」と呟いた。

「汗かいてる。そこのタオルが丁度冷えてるから、使ったら」
「馬鹿、お前が使うんだよ」
「冷たすぎるんだよ。氷嚢まで押し付けてきやがって、凍えて死んじまう。やめろって……」

 ぶつぶつ文句を言う敷島に見えるようわざとらしく白いタオルを絞る。
 敷島の言う通り本当にたらいの中の水はきんきんに冷えていて、これを額に乗せたままにしたら頭から凍りつきそうだと思う。
 ……細かい抗議は無視して「そんなに冷たくねーよ」とタオルを敷島の額に乗せた。

「どうだよ、身体は」
「まだ四十度のあたりをうろうろしてる。それ相応に身体を酷使したんだから自業自得だって夜一に言われたけど、あんまりだ」

 夜一さんと卯ノ花さんの説教と井上の泣き落としで渋々この病室に軟禁されてからの敷島はやたら饒舌だ。
 病室を訪ねてくる人が少なくて退屈なせいだろうと思っていたが、本人曰く「実家のような安心感で逆に鳥肌が立つ」とかなんとか。
 言われてみれば、意識はなくともつい先月まで敷島は現世で入院生活を送っていたのだから、あながち実家という表現は間違いではないのかもしれない。

「……まあ、後悔はしてないけど」
「……」
「結果は怪我が広がって小言が増えただけだったけど、でもあの時は頭にきてしょうがなかったんだ。あんなに腹が立ったのは生まれて初めてってくらい」

 敷島の表情には単純な事実を述べているだけの無味さがあって、怒りも卑下もそこにはないように見えた。
 逆にこちらが不安になるほどの穏やかで静かな眼差しに、思わず「でも無茶は無茶だった」と口を挟んでしまう。
 すると無味だった敷島が僅かに不服そうに眉を顰めた。

「それはそうかもしれないけど。…それでも、やり返さないといけないって思ったんだ。だって大体のことはアイツのせいだったわけだろ。なら、黒崎がコテンパンにされてきた分とか朽木が傷付いた分とか、みんなみんな、全部、やり返して帳尻を合わせないと、って思った。……早い話が復讐だ」

 開け放たれた窓から吹き込んできた風が敷島の前髪を揺らし、伏せられた瞳を隠す。たったそれだけのことで、別に悲しみも怒りもしていないはずの敷島の表情が鬱屈に歪んだ気がして、何かを言ってやらないといけないような気になる。
 けれどそんな俺の思いに反して顔をあげた敷島の顔は照れるようにはにかんでいた。
 眉がちょっとだけ八の字に寄って、その仕草はとても同年代の女子が浮かべる普通の表情に見えた。

「わたしって結局、そういう奴なんだ。今思えば、尸魂界に来てからのわたしの方がらしくなかったんだなぁ」
「……そんなこと言うな。お前はお前だ。つーか、お前の言う『らしさ』って何のことだよ?」
「何のことって……」

 じとりと敷島を見下ろして腕を組むと、敷島は「そんなことは考えたこともなかった」と言わんばかりの顔でしばしぽかんと口を開けて考え込む。
 普段は夏の終わりのような気怠げな顔をしているくせに、こうして時折外見年齢に不相応な幼い表情を浮かべる。
 俺は何かを憂うような翳りのある普段の敷島より、こうしてよくわからないことに真剣に首を傾げている敷島の方が親しみやすくて好きだった。
 ややあって、静かな病室に敷島が噴き出して笑う声が響く。

「あはは、確かに。まだ一か月くらいしか生きてないのに『らしさ』なんか得られるもんか。黒崎、たまにはいいこと言うなぁ」
「たまには余計だ、馬鹿」

 敷島は俺にだけやたら口が悪い。
 それがより素に近い状態と言われたら悪い気がしなくなってくるので不思議だが、何の気負いもなく突然飛び出してくる暴言の数々の発生源が目の前の可憐な顔だと思い知るたびに何故か心臓が嫌な音を立てた。
 綺麗な顔をしているんだからもう少し言葉遣いに気を遣え、と言ってしまったら、せっかく敷島が被るのをやめた優等生の皮を強制することになってしまう。
 そう考えると、やっぱり俺はこれから先も適度に軽口と付き合ってやる必要がありそうだった。

「人の為に命を懸ける、ってそう悪いことじゃないと思うぜ。お前がお前の思う通りの、…たとえばお前自身を失望させるような人間だったとしても、こっちに来てルキアの為に戦って、人の為に戦うことを覚えたわけだろ。……お前、ルキアの為に走り回ったり、仲間を護る為に戦ったりするのがちょっとでも嫌だった時あったか?」

 言葉を選びながらの俺の拙い問いに、敷島は大して考えることもなく「なかった」と即答した。

「…うん、なかったなぁ。じゃあこれって、わたしがわたしとしての新しい個性を獲得したってことになるのかな」
「そんな難しいことはわかんねえけど。少なくともお前はお前が思うほど酷い人間じゃねえってことだけは確かだな」

 そう言うと敷島の微笑みがじんわりと顔全体に広がっていった。穏やかな、心底嬉しそうな笑顔だった。
 掛布団の中から右手を出して、握ったり開いたりしながら俺の言った言葉を噛みしめているようだ。

 その手を何となしに眺める。
 今は傷一つなくなった白魚の手。
 今俺がこの白い手に爪を立てて傷を残したとしても、痕も残らず一瞬で消えてしまうんだろう。
 普通の人が時間をかけて癒していくはずの傷が、蒸発するように、融けるように、痛みだけを残して解けていく。


 傍目から見れば傷付かない敷島。生まれた瞬間から傷だらけの敷島。
 ――それでも、喪失の証である自らの身体に、喪失以外に得られたものがあると笑ってくれるのなら。


「まずは身体、治せよ。そんで、早いとこ俺と代われ。十一番隊の野郎共がお前を切望してるぜ」
「……むさい野郎達の待望になっても嬉しくない」

 拗ねたように敷島が顔を逸らす。その拍子に額に置いたタオルが滑り落ちたので、身を乗り出してそれを元の位置に戻してやる。

 少なくとも、俺の怒号にどこかずれた罪悪感を抱いていた敷島との齟齬は感じられない。
 ……もしかしたらこの戦いを通して、敷島は普通の人間の感性みたいなものをほんの少しだけ理解したのかもしれなかった。

 それは多分、敷島が欲しがっていた日常の風景に最も近いモノだ。
 こんな寝たきりになるほどの怪我への報いにしてはささやかなように思うが、…敷島があまりに晴れやかな顔をしているので、そんな余計な感情は飲み込んだ。


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