夜はおしまい

 翌日、早朝。

「よし! 揃ったな!」

 石田に連れられ地下練武場から上がってきた黒崎を含め、瀞霊廷に突入する五人と一匹が揃った。
 まだ眠そうな黒崎が「どうした夜一さん?」と折れ曲がった黒い尻尾を指さすと、夜一が年上の余裕とか尊厳とかを全てかなぐり捨てたような鋭さで黒崎に凄む。
 ……黒崎のやつ、どうやら夜一の尻尾をぐにゃぐにゃに加工したのが自分であるという自覚がないらしい。
 昨夜遅くに砲弾を完成させた後の黒崎の入眠はまさに"気絶"だったから、直前の記憶が曖昧なのかもしれない。逆に命拾いをしたな、と遠くで頷いておいた。

 かくいうわたしは機能井上達にコツを、石田には霊力の何たるかを簡単に解説してもらったので、砲弾については問題なく作れるようになったし基本的な魂や霊力の仕組みについては理解が出来た。
 根性と勘で何とかした黒崎と比べれば理知的で合理的な成功をおさめたと言っても過言ではないだろう。

「おい、岩鷲のヤツはどうした?」
「どうしたって…あいつなら下でなんか読んでたけど?」

 空鶴の問いに黒崎が歩いてきた道を振り返りながら答える。全員がそれとなくそちらに目をやった。
 すると、黒崎が上がってきた階段から「ちょっと待ったあ〜〜〜!!」と大きな声が響き渡り、しかも近付いてくる。

「ヒーローは…遅れて到着するもんだぜ!」

 現れた岩鷲は昨日とは服装を異にし、細かい文字が羅列された横長の紙を握りしめる手には籠手まで装備していた。
 見送り用の衣装が別であると言われても無理がある。誰がどう見たって、「これから同行します」と言わんばかりの装いだ。

 同じことを思ったらしい黒崎が「なんで見送りのてめーがそんなカッコ…」と訝しむ。
 そんな何気ない言葉に岩鷲は唐突に表情を消した。
 黒崎にヅカヅカ歩み寄ると、思い切りその胸倉を掴み上げる。


「俺の兄貴は! 死神に殺された!!」


 怒りに吠えるような岩鷲の叫びに全員の顔が凍りつく。

 岩鷲は短く語った。
 今は亡き兄がいかに優秀であったか。岩鷲の中にこびりついた兄の最期の記憶のこと。
 胸の内に蔓延る疑問のこと。

「てめえは他の死神とは違う! そんな気がする! てめえについていけば何かわかんじゃねえか…そんな気がする!」

 それは魂を奮い立たせる、どうしたって消えない記憶と思い。
 生きる上での絶対的な指針。前を向いて進む為の澪標。
 ああ、それがあることのなんて幸福な―――。

「本当の死神ってのがどういうモンなのか、ギリギリのとこまでいって見極めてやるよ!」

 稚拙な羨望の念をぐっと飲み込む。これは多分、羨んでいいものじゃない。


 岩鷲の叫びを聞いて目を丸くしていた黒崎が、胸倉を極めていた岩鷲の手を振り払う。
 と、今度は岩鷲の胸倉を掴み返し、鼻先が触れあいそうなほどの距離まで顔を寄せた。
 簡潔に「よろしくな」と告げた黒崎に、岩鷲が薄く笑い返す。

 それでやり取りがひと段落したと見たのか、空鶴が「用意はいいか! もう待ったはきかねえぞガキ共!」と音頭をとった。
 人数は六人。
 朽木の囚われている瀞霊廷まで、あともう少し。



 空鶴が大砲の側面を拳で叩くと、渦を巻くようにして穴が生まれた。
 促されそこから内側に入り、六人全員が円陣を組みながら一つの霊珠核に手を合わせ、その上に夜一が乗っかって全員の顔を流し見ていく。

「いいか、瀞霊廷に入ったら決してはぐれるな。隊長格と出会ったら迷わず逃げろ。我らの目的はルキアの奪還、それのみじゃ。絶対に、無駄な危険を冒してはならん!」
「だってよ、敷島」
「…何でわたしが。黒崎こそ気をつけろよ」

 ……隊長格。門の内側で悠然と手を振っていた余裕なキツネ顔が脳裡を過ってイラっとする。
 隣に並んでいた茶渡が目ざとくそれに気付き「落ち着け」と動物でも宥めるように言うので、何でもないと首を振って誤魔化した。
 隊長格が何だ。邪魔なものは全部斬って捨てるだけだ。それが一番速い。

 そんなわたしの苛立ちを助長するように、大砲の外でずっと鳴っていた轟音が徐々に大きくなっていく。
 身体の内側まで振動するような低く大きな音を切り裂き、夜一が「始まったぞ!」と号令を発した。全員が霊珠核に霊力を籠める。


 数秒もしないうちに、爆発音と共に天高くそびえる大砲から砲弾が発射された。


「な…なんか……内部は思ったほど衝撃はないんだな…」

 無事打ち出された砲弾の中、白んだ夜明けの空を見下ろしながら黒崎がそんなことを言った。
 それを聞いた岩鷲がにやりと笑う。

「バカ野郎…これからだぜ!」

 ふわりと一瞬宙に浮かんだ砲弾が、突如角度を変え速度を上げ始める。
 気が付けば浮遊していた砲弾は弾丸のような勢いで落下を初めていた。
 落下を確認すると、右隣の岩鷲が器用に片手で持っていた紙束を開いてみせると、「みんな聞いてくれ!」と声を上げる。

「瀞霊廷に無事突入するためにはこの砲弾の軸を安定させる必要がある! そのためには全員の霊力の放出量を均一に調整しなきゃならねえ! だが俺はこれから術式に入る! そうなると霊力の放出にあまり気を払えねえ! …そこでだ! みんな俺の霊力量に合わせて欲しい!」

 聞きながら、緊張した面持ちの岩鷲と視線が合う。
 ここまで来ればあとはどうなっても落ちるだけだから、とわたしはそこまで緊張していない。
 わたし達よりも、逆に全員の命運を預かっていると岩鷲の方が緊張しているように見えたので、「任す」と一つ頷いた。

 何故だか岩鷲は目を丸くして、それから口角を上げると「任された」と頷き返した。

「花鶴射法二番!! "継の口上"!!!」


 ……岩鷲が継の口上を詠唱している最中、ちらりと黒崎を見る。
 黒崎の霊力量だけがブレブレで全員の輪を乱していた。

「く…黒崎くん…ちょっと…多い…っ!」
「え…そうか? わ…悪い…」

 最初に指摘したのは井上だった。
 黒崎は難しい顔をしたまま霊力量を操作しているつもりらしいが、霊珠核に当てた手のひらから伝わってくる分には変化がないように思う。
 それぞれ石田、茶渡も「黒崎……」と声を掛けていく。
 そうしてわちゃわちゃと言い合うのを見守っていると、それまでBGMのようだった岩鷲の口上がぴたりと止まった。

「バカ野郎! 同じ行二回読んじまったじゃねえか!!!」
「何だよちくしょうそれも俺のせいかよ!?」
「てめーがギャーギャーうるせえから気が散ったんだろがボケェ!!」
「やめて黒崎くん岩鷲くん! そんなことしてる時じゃないでしょ!」
「そうだ止せ!」
「滅茶苦茶だなぁ…」

 そんなやり取りで揉めていると、ごうごうと風を切って進んでいた砲弾の霊子壁がビリビリと振動し始める。
 「おい……外…見てくれ……」という茶渡の言葉で、言い合っていた全員が砲弾の外に目を向けた。

 ――視界いっぱいに広がる白い建物の群れ。
 円に壁で外周を囲まれ、その内側には縦長の建物が密集していた。
 建物同士が寄り添い集まっている光景はこの上なく組織や集団の"人の気配"を感じさせるのに、病的なまでの白の色彩は逆に墓標の群れを見下ろすような廃れた心地を押し付けてくる。

「瀞霊廷だ…!!」

 砲弾は速度を落とすことなく、瀞霊廷――その外周をぐるりと囲む球状の障壁へと落下していく。
 模型のように小さく遠かった光景は数秒と経たず間近に迫り、全員が衝撃に備え身を固くした。

「こうなっては仕方ない!! 全員でありったけの霊力を込めるんじゃ!! 少しでも砲弾を堅くしろ!!!」

 そう叫んだ夜一の声が遠い。「行ってくれえ!!!」黒崎の絶叫にも似た祈りすら風切り音に掻き消えそうだ。
 唐突に、耳が聞こえなくなったと錯覚するほどの静寂が訪れる。

 一拍置いて、わたし達を包んでいた砲弾が音を立てて破裂した。

「離れるなっ! 今はシールドにぶつかった砲弾が溶けて一時的に儂等に絡みついておるだけじゃ! じき渦を巻き破裂して消滅する! その時に離れておったら衝撃で皆バラバラに飛ばされる…」

 夜一の指示を合図にしたように、それまでふわふわと漂っていた霊子壁の欠片達が予告もなく音を立てながら一方向に動き出す。
 あっという間に欠片は霊子の渦を作り、全員が滅茶苦茶に身体を揺さぶられて離れ離れになっていく。

「それぞれ近くにおる奴を掴め! 絶対に離れるなよ!!」

 黒崎が岩鷲の襟首を鷲掴む。茶渡は井上の胴体に腕を回し、もう片方の手を石田に伸ばした。

「睦月ちゃん!」

 茶渡に回収され逆さまになっている井上がわたしを呼んで手を伸ばす。
 小さな手に触れたと同時に、石田の手を掴み損ねた茶渡がわたしに押し付けるように井上を投げて寄越した。

「茶渡くんっ!?」
「茶渡!」

 早くも霧散する外側の霊力と共に落ちていきそうだった石田のマントを茶渡の腕が掴む。勢いに乗って上下に回転しながら、位置を入れ替えるように石田もこちらに投げられた。
 衝撃をいなしながら石田を受け止めた井上の背中側から石田の肩を掴んで固定しようと手を伸ばす。

 ――瞬間、右足が何かに引っ張られる。

 足元に目をやったときには既に遅く、霊子壁の流れが濁流のようにわたしの脚を巻き込み、飲み込んでいく。

「―――」

 これは不味い、かもしれない。
 流れが速すぎて、このまま巻き込んだら井上と石田はバラバラに散ってしまう。
 ……それは最善手じゃない。

 そう悟って、石田をしっかり掴み直した井上の肩から手を放した。
 井上、石田、わたしがそれぞれバラバラになってしまうのが一番よくない。

「睦月ちゃん!?」
「敷島さん――!!」

 すぐにみんなの声が遠くなる。風切り音に耳を奪われて、音がすべて意味をなさない。
 風に身体を煽られながら、わたしに手を伸ばして叫ぶ井上と石田に小さく手を振った。
 茶渡は一人で落ちたみたいだけど、合流できるかな。

 ふと、一人で飛ばされるわたしに気付いて何かを叫んでいる黒崎に目が留まった。
 そしていつだかに言われた言葉を思い出す。
 怪我だけはすんなよ、なんて、優しい声。


 言葉も届かない轟音と乱気流の中だけど何とか無事を伝えたくて、引き結んでいた口許を少しだけ緩める。
 次に会うときは朽木の前だ。


 ――霊子の渦に振り回される体が、流れに従って宙に弾き出された。


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