ぼくらは祈りの言葉を持たない

 長老の家で一拍したわたし達は翌日、早朝から夜一の言う『志波空鶴』の住居を目指して村はずれを歩いていた。
 昨日の揉め事が尾を引き、黒崎ははじめ「俺はここであの野郎を待つ!」と意固地になって長老の家から離れようとしなかったが、夜一の説得(物理)のおかげでへそを曲げながらも大人しくわたし達のうしろを着いてきている。
 長老のくれた地図を頼りに長いこと歩いているけれど、『志波空鶴』の住居は未だ影も見えない。

 あまりに無言の時間が続いたせいか、それまで黙っていた黒崎が唐突に口を開く。

「敷島って人ぶん殴るのに躊躇しないよな」
「……それって昨日の話の続きか? 反省なら昨日しこたましたよ」
「いやそういうのじゃなくて」

 突然何を、という顔で黒崎を振り返ると、後ろの井上や石田、茶渡までもが静かに頷いていた。

「だって今まで戦うどころか人を殴ったことだってなかったんだろ。その……おまえが生まれたのは今年の五月なわけだし。俺はもう今はそんなことないけど、昔は殴るのも蹴るのも結構勇気要ったぜ」
「…そうだな。実際に血が出たりすると結構肝が冷えた頃があった」

 そもそも喧嘩慣れしている黒崎と茶渡がしみじみと頷きあう。
 わたしは黒崎の言いたいことがよくわからず首を傾げるしか出来ない。
 血が流れることと、人を殴ることに躊躇をすることに何の関係があるんだろう?
 血管が破れれば血が出るのは当然のことなのに。血が出たって出なくたって、殴っているという事実は変わらないし。

「あたしも最初はちょっとびっくりしたなぁ。睦月ちゃん、夜一さんに何言われても何が起きても『へえ』とか『ふうん』とかだけで終わっちゃうから」

 そうは言われても、本当に『そうなんだ』としか思っていない時はそれ以上もそれ以下もないリアクションしか出来ない。驚いた時は素直に驚いた反応をする。
 別に感情が死んでいるわけではないのだけど、どうしてかあまりそれが伝わっていないらしかった。

 すると、それまで静観していた夜一が「簡単な話じゃ」と口を挟む。

「睦月の常識とお主らがこれまでの人生で培ってきた常識がそもそも根底から異なっておる。普通人が数年かけて学んでいく倫理や道徳、…心の在り方、考え方をこやつはたった数週間しか学習しておらぬ。ついでに学習環境は過度に戦闘や暴力に依存しておったからのう、そもそも前提が噛み合わぬから睦月と話が合わないのは当然のことじゃ。
 お主らがすべきではないと幼い頃に教えられるものを、睦月は積極的に身に付けるように育てられた生後数週間の赤子ということじゃな」
「……赤ん坊扱いはちょっと嫌なんだけど」
「否定も出来んじゃろ、人間一年生」

 む、と唇を尖らせて黒猫を見下ろす。

「……ところで、その人間一年生とか言う表現は一体誰が言い出したんだ」
「知らんかったのか? お主のいないところで喜助の奴がそう呼んどったぞ」
「あの野郎…」

 帰ったらぶん殴るだけじゃ済まさない。




「……おっ見えてきたぞ」

 それからもくだらない雑談に興じていると、夜一が足を止めてそう言った。
 「あれじゃよ」と視線で示す先には、小綺麗な二階建ての住居とやたら大きな煙突。その両脇にそびえ立つ筋肉質な腕のオブジェ、そしてその手が掲げる『志波空鶴』の旗……。
 どう分析してどう感想を述べたらいいのかわからず、その場にいた全員が言葉を失う。
 そんな微妙な空気の中でも夜一はお構いなしに先へ進んでいくので、それぞれの思いを抱えながら重い足取りで異彩を放つ住居へと近付く。

 数歩進んだところで、突如屈強な、そして見た目がそっくりな男が二人立ちはだかった。

「待てい!! 何者だ貴様ら!」
「奇っ怪ないでたちをしておるな! しかも一人は死神と見える!」

 奇怪な出で立ちと言われれば「おまえら鏡を見たことないのか」と突っ込んでやりたい気持ちに襲われたけれど、さっきの住居の外観を思い出すと目の前の二人すら霞んでしまって言葉が出ない。
 しかもここでもまた黒崎が警戒網に引っかかったようだった。
「また門番かよ…」とぶつぶつ言いながら斬魄刀を抜こうとした黒崎の足元にいた黒猫が一歩前に進み出ると、男達の顔色が変わった。

「よ…夜一殿!?」

「知り合い?」
「昔少しな」

 顔パス制度だった。




「いやはや失礼致した! 夜一殿とそのお供とはつゆ知らず! ご無礼をお許しくだされ!」
「よい、先んじて連絡を入れなかった儂にも非はある」

 地上で立ちはだかった男の片割れ(金彦と言うらしいがもう片方との違いはわからない)に先導されて地下へと降りる。
 建物に踏み入ってすぐに階段を降りることになったので、一体どんな構造をしているんだと問い質したくなったけれど、ここで話の腰を折っていたらキリがない、と自分を宥めて夜一の後ろを歩く。

 しばらく階段を下りた脇にある障子戸の手前で金彦が止まったのでつられて足を止めると、中からくぐもった女の声が聴こえてきた。

「開けろ」という声の通りに金彦が障子戸を開け放った先の部屋の最奥に座っていた女を見て全員が声を上げた。

「…く…空鶴って…女ァ!!?」



 奥の間で待ち構えていた空鶴に夜一がこれまでの経緯、そして瀞霊廷に侵入したい旨を説明すると、空鶴は静かに顎を引いて目を閉じた。

「…成程。話は大体わかった。いいだろう、引き受けてやる」

 言いながら、空鶴の両目が夜一の後ろに並んで座っているわたし達を見回す。
 その眼差しだけで、空鶴がこれから言わんとしていることが何となく予想出来た。

「ただし――おれはあんたのことは信用してるがそのガキどもまで信用したワケじゃねえ。見張りの意味も込めておれの手下を一人つけさせてもらう。異存はねぇな?」
「無論だ」

 いくら昔の知り合いとは言え、知らない人間を大勢連れて来たなら警戒もするだろう。即答した夜一に異論はないので、黙って二人のやり取りを眺める。
 隣で黒崎が「手下?」と首を傾げると、「まあ手下っつってもおれの弟だ」と答えてふいに空鶴が立ち上がり、わたし達の右手側にある襖に歩み寄った。

「おい! 準備できたか!」

 襖の向こう側からはバタバタ動き回る音がする。
 やがてわたし達が揃って注視する中、襖は開かれた。

 現れた、座礼の姿勢でぎこちない笑みを浮かべる男。
 見覚えのある顔。

 ……あまりに見覚えがありすぎたので、一瞬訪れた沈黙を破る形で黒崎と手下――岩鷲が「あああ〜〜〜〜〜〜っ!!!」と叫びをあげ、二の句も継がずに昨夜の殴り合いを再開した。
 わたし達は予想だにしなかった展開に呆然として、畳の上で取っ組み合う二人を眺めることしか出来ない。
 結果的に、わたし達が手を出すまでもなく他でもない家主の空鶴の手と足によって二人は強制的に沈められ、話がひと段落したところで空鶴に連れられ部屋を後にしたのだった。


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