生まれて初めて歯医者にかかることになった。
幸運にも今までは虫歯知らずだったのだ。

どんな事をされるのかと緊張してドキドキしながら歯科医院の入り口を入ると、見覚えのある黒い後ろ姿が目に飛び込んできた。
そのままUターンしてしまいたくなるのを我慢して、見つからないようにそーっと動いて靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。

「こんにちは、なまえさん」

「ひっ…!」

すぐに見つかった。

「珍しい所でお会いしますね」

「そ、そうですね…」

いつもの装いの赤屍蔵人の姿は、ごく普通の歯医者さんの中ではひどく浮いて見える。
黒尽くめの格好はまるで虫歯菌だ。

「赤屍さんは、まさか虫歯の治療…じゃないですよね?」

「ええ。ここの院長は顔見知りでしてね。用事があって訪ねてきた帰りです」

えっ──赤屍さんの知り合い……?
もしかして、『普通の』歯医者さんじゃないのか?
そんな驚愕と不安を見透かしたように、赤屍さんはクスッと小さく笑った。

「ご心配なく。ここは正真正銘『普通の』歯医者さんですよ」

「!そうですか!」

「腕も確かですから安心して治療を受けて下さい」

「はい!」

良かった。ブラッディな歯医者さんではなかったようだ。
赤屍さんの知り合いだというからてっきりヤバい方面の人だとばかり…。杞憂で良かった。

「それでは、私はこれで」

「あ、はい。また今度」

「ええ。また後ほどお会いしましょう」

ちょっと引っかかる単語が聞こえた気がしたが、気にしないことにした。
背の高い後ろ姿がガラスのドアの外に出て行くのを見送り、受け付けを済ませるためにカウンターに向かう。

三十分後。
カウンセリングと生まれて初めての虫歯の治療を終えて、清々しい気持ちで歯医者の外に出た私を待ち構えていた黒衣の運び屋に会うまでの束の間の平和だった。



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