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零くんが我が家に来て一ヶ月が経った。

二週間目辺りまではなかなか帰れないことにかなり焦っていた様子だった零くんも今はだいぶ落ち着いていて、こちらでの生活に慣れようと努力しているようだった。

「突然降って湧いた長期休暇だと思うことにしました」

そういう零くんは暖かくなってきたのを機に三日ほど前からパン一で寝るようになっていた。元々裸族なのは知っていたので驚きはしないが、これも我が家での生活に慣れてきてくれた証拠なのだと思っている。
折に触れて「自分の家だと思って寛いでね」と言い聞かせてきた甲斐があった。

「なまえさん、お風呂上がりました」

「はーい」

下は柔らかい素材のスウェット、裸の上半身にタオルを掛けた姿で浴室から出てきた零くんにミネラルウォーターのボトルを渡す。

「ありがとうございます」

ペットボトルを受け取った零くんはその場で封を切り、ごくごくと飲み干した。
嚥下するたびに動く喉仏がなまめかしい。
いやいや、そんな邪な目で彼を見てはいけない。
私はこちらの世界における彼の保護者的立場なのだから、ここにいる間だけでもしっかり彼を守らなくては。

この前、東京タワーを見に行った時などは、観光地だからということもあって、かなり人目をひいてしまっていた。
マスクとサングラスと帽子というフル装備でも、零くんから溢れ出すイケメンオーラは隠しきれなかったらしい。
仕方なく腕を組んでカップルを装ったのだが、そうしなければ女の子達からナンパされまくっていただろう。

「本当に東都タワーではないんですね」

と不思議そうにしていた零くんを帰りにデニーズに連れて行ったら、やはりそこでも

「ダニーズじゃないんだな……」

と呟いていた。

間違い探しのような、こちらの世界と零くんの世界との僅かな違い。それを見つけるたびに零くんは自分が改めて異世界にやって来たことを実感しているようだった。
初めこそ戸惑っていたけど、そこはさすが降谷零。今ではこちらの名称をすっかり覚えてしまっていた。

「じゃあ、私も入って来るね。あまり根を詰めちゃだめだよ」

「はい、気をつけます」

こちらに来て以来、零くんはずっとパソコンとテレビとスマホを駆使してこの世界について調べている。その知識は多岐に渡り、下手をすると私よりも世界情勢に詳しい。

「原作」については、最初の頃に少し話したきり、あえて触れないようにしている。

もちろんパソコンもスマホもあるし、私が仕事に行っている間にうちの本棚にあるコミックスを読むことも出来るはずだが、彼がどこまでそれについて調べたかはわからないし、聞けないでいた。

しかし、時々、彼の口から何気なく出る話題には自然に答えられるようにしている。

「ヒロや松田達のこともご存知なんですね。エレーナ先生のことも」

「うん、まあ」

「向こうの世界では、彼らのことを話せる相手はいなかった。だから、あなたに逢えて良かったと思っているんです」

そう言って静かに微笑む零くんに胸が痛んだ。
「安室には『一人で孤独を抱えられる強さ』がある」と作者は語っていたが、例えそうだとしても、想い出を共有出来る相手がいてもいいのではないだろうか。
何しろこの世界では彼は本当の意味で独りぼっちなのだから。

「本当は料理はヒロの得意分野だったんです。でも、今では僕のほうが上かな」

「そうかもしれないね。零くんのご飯は世界一美味しいもの」

「それはさすがに大袈裟ですよ」

そんな会話が出来るくらいには、零くんは私に心を許してくれているようだった。
私が零くんにとってこの世界で唯一の知り合いである以上、それも仕方のないことだと言える。

ごめんね。と思う。
もっと頼りになる同性のほうがきっと零くんもずっと気楽だっただろうし、安心出来たはずだ。

いつの日にか彼が元いた世界に戻れるときまで、せめて私は私に出来る精一杯のことをしてあげたい。
私にはそれしか出来ないから。


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