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「すみません、お風呂までお借りしてしまって」

「いいんですよ。遠慮なんかしなくて。我が家だと思って寛いで下さい」

「ありがとうございます」

取り急ぎ、仕事帰りに開いていた店で買った上下セットのスウェットは、上はちょうど良かったが下は少し丈が短くて何ともアンバランスな感じになってしまっている。
早くちゃんとした着替えを買ってあげなければと改めて思った。

いや、本当は零くんは裸族だから寝る時はいつもはパン一なのだと知っているんだけど、さすがにそれはまずいと思ってパジャマ代わりのスウェットを買って来た次第である。ちなみに歯ブラシなどの日用品と換えの下着も何枚か買って来て零くんに渡してある。

「明日はお休みだから一緒にお買い物に行きましょう。着替えも必要ですし、食料品も買わないといけないので」

「わかりました。情報収集もしなければいけませんよね」

「そうだ、ネットで何かわかりました?」

「いえ、有益と言えるほどの情報はありませんでした」

私も休憩時間に少しスマホで調べてみたのだが、こういう現象がトリップと呼ばれていて、二次創作の世界ではよく見かけるものであることはわかったが、実際に起こったという事例は見つけられなかった。

「零くんはこっちに来る前、何をしていたんですか?」

「公安の仕事です。詳しくは言えませんが、ある人物について調査をしている最中に突然眩暈を感じて一瞬身体がふらついたと思ったら、次の瞬間には全く見知らぬ場所に立っていました」

「えっ、本当に突然だったんですね。しかも、いまの話だと一瞬の間に次元を越えて瞬間移動したみたい」

「そのようですね。だから、最初は状況を把握するのが大変でした。帰り方を模索しようにも、手掛かりが無さ過ぎて困っています」

確かに。トリップのきっかけとしてありがちなのは、トラックに轢かれるとか、電車にはねられるとか、爆発に巻き込まれるとか、命に関わる危機に直面した時というパターンが多い。

「また急な眩暈に襲われたら帰れるかも?でも、それだといつどのタイミングで来るかわからないのが困りますね」

「ええ、参りました。一分一秒も無駄に出来ないというのに……」

ため息をつく零くんが美しいなんて思ってしまってごめんなさい。それどころじゃないよね。

「ポアロのほうはともかく、公安と組織の仕事は待ってくれないですからね」

「そうです。焦っても仕方がないのはわかっているんですが」

「仕方ないですよ。夕食も食べたし、今日はゆっくり休んで下さい。疲れたでしょう」

「すみません、気を遣わせてしまって。僕なら大丈夫ですよ」

そうは言うが、突然見知らぬ異世界に飛ばされてしまった零くんの心のうちはいかばかりだろう。
せめて休める時にはゆっくり休んでほしい。

2LDKの我が家の、パソコンが置いてある仕事部屋に急遽簡易ベッドを組み立てて、両親が泊まりに来た時用の予備の布団を敷いておいた。
帰る方法がわかるまでの間、零くんにはその部屋を自由に使って貰うことになっている。明日買い込む予定の冬物を入れるために収納ケースも一つ開けて用意した。
他に何か出来ることはないかと考えていると、零くんがお茶を淹れてきてくれた。
有り難くそれを頂いて息をつく。

「とりあえず、明日に備えて寝ましょう。考えても仕方がないことは考えるな、ですよ」

「そうですね」

とは言ったものの、彼は今夜はあまり眠れないのではないかと心配になった。
彼の優秀過ぎる頭脳をきっとフル回転させて明日以降のことについて考えてしまうのだろう。
この世界では、彼はたった独りきりの異邦人なのだから。


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