「重要なのは移動先を明確にイメージすることだ。頭の中に思い浮かべて、強く念じる」

「はい」

玉章に言われた通りに、頭の中に移動場所の映像を思い描く。
そして、強く念じる。

目の前の景色がぶれたかと思うと、次の瞬間には先ほど頭に思い描いた場所へと移動していた。

「やった!成功……」

と思ったのも束の間、出た先は、川は川でもその真上だった。つまり、空中。
そうなれば次に来るものは決まっている。

「わ、わ、わっ…!」

ばしゃあぁん!と派手な水しぶきをあげてなまえは川の中に落ちてしまった。

しょんぼりしながら岸へ上がると、こちらは難なく空間移動してきた玉章が出迎えてくれる。

「まあ、仕方ないね。その歳まで人間の中で育ってきたわりには優秀だよ」

「玉章さん…」

「ただ、次はちゃんと地面の上に出るんだね」

「頑張ります…」

「ほら、風邪をひく前に帰るよ」

びしょ濡れのまま玉章に手を引かれて屋敷に戻ったなまえは、着替えをどうしようと思案していた。
四国に来てからはもっぱら和服だった。
妖怪だから変化を使えばいいじゃないかと言われそうだが、そう簡単に出来たら苦労はしない。

「玉章さん、ここは?」

玉章がなまえを引き入れたのは、まだ今まで一度も入ったことがない部屋だった。

「母上の部屋だよ」

美しい細工が施された諸々の調度品は、元は玉章の母が使っていた物だそうだ。
絢爛豪華なそれらはなまえの感覚では少々派手過ぎる感じもするが、絶世の美女だったという彼の母親にはきっと相応しい品だったのだろう。

「とても綺麗な方だったんでしょうね」

「そうだね。美しい女だったよ」

玉章が頷く。

「狐は美女に化けて人間をたぶらかすというけれど、まさしく男をたぶらかして言いなりにしてしまうような魅力に満ちた女怪だった。その魔性に騙されたのが僕の父だ」

玉章はおかしそうに笑った。

「封じられたとは言え後一歩の所まで人間どもを追い詰めた隠神刑部狸に見事取り入り、まんまと8人もの子をもうけたくらいだから、相当な野心家だったのだろう」

「お義父さまは、玉章さんは母親似だって言っていました。特に目元のあたりがそっくりだって」

「そのようだね。たぶん野心も母譲りなんだろう。兄達はみな父に似たのに、僕だけが母に似たというのも皮肉な話だ」

あるいは長兄がそうであったなら、野心を滾らせた跡取り長男の旗印の元、きっともっと早く四国の妖怪達を束ねて新生八十八鬼夜行は勢いを増していただろうに。

実際には、兄達は安寧の中でゆっくりと朽ちていく生き方に疑問を持つ事すらせず、玉章一人だけがずっともどかしい思いを抱えて燻っているしかなかった。
逆に言えば、あの屈辱の日々こそが玉章の野心を育てたのだとも言える。
一人密かに牙を研いで時期を待った。

まあ、結果は惨敗だったのだが。

「さてと、これなら着られるんじゃないかな」

絢爛豪華な着物の中から比較的大人しめの柄のものを取り出すと、玉章はなまえに渡した。

「いいんですか?」

「このまま虫に食わせるよりも有効活用すべきだろう。いいから、それに着替えておいで」

「はい、ありがとうございます」

「と言っても、やはり君には派手すぎるね。ちゃんと似合うものを今度買いに行こう」

「買いに?」

「僕とデートするのは嫌かい?」

「嫌じゃないですっ」

玉章さんとデート!
なまえは舞い上がるような思いだった。

なまえも人並みに恋愛に対する憧れがあったので、恋人関係をすっ飛ばして夫婦になってしまったことを少々残念に思っていたのだ。

無理を言って困らせるつもりはないので口にしたことはないけれど、普通の高校生のカップルみたいに手を繋いだりデートしたりしてみたかった。

今ではもう玉章はあの制服に袖を通す事もないし、そういった思いにとらわれる機会も減っていたのだが。

思わぬ形で願いが叶うことになって、小躍りしたいくらい嬉しい。

弾むような足取りで着替えに向かったなまえを、玉章は微笑ましい思いで見送った。

「やれやれ…デートくらいで喜ぶなんて。困った子だね」


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