「ねえ佐助、半兵衛さんが美人すぎるんだけどどうしよう」

「うん、どうしようもないね」

佐助はすりこぎ棒ですり鉢の中の炒り胡麻をすり潰しながら「うんうん、平和で何より」と頷いた。
豊臣秀吉の右腕である参謀の奥方の悩み事が「夫が美しすぎて困る」なのだから、長く続いた戦乱の世が終わった証だ。

無論、まだ日ノ本の各地では戦とも呼べぬ規模の小競り合いが続いているから、天下泰平の世となったとは言い切れない。
そうした小競り合いを起こしている者の大半は、豊臣秀吉を天下人として認めないと豪語する地方領主や武将達だった。

しかし、それらが治まるのも時間の問題だろう。
西は毛利と長曾我部が豊臣と同盟を組んだことで磐石となり、東は武田と上杉と奥州の伊達がそれぞれ周辺地域の紛争を鎮圧した上で豊臣と同盟を組み、実質、その時点で豊臣秀吉は日ノ本を平定したも同然だった。

(まさか、こんな事になるとは思わなかったけどね…)

茹でた後で冷水に浸けた小松菜を包丁で刻んでいる天音を見て、佐助はこっそり笑う。

いったいどのような巡り合わせであったのか。
佐助と佐助の主人である真田幸村を含む各地の武将達が“異世界の未来”などという不可思議な場所に飛ばされたお陰で今があるのだ。
向こうの世界に行き、そこで天音と出会い、彼女の家で生活を共にして──それこそ人生観が変わるような体験をさせられたあの日々がなければ、これほどまでに平和的な成り行きで豊臣秀吉が天下統一を果たすことなどあり得なかっただろう。

歴史を動かす事態に一役買った女は今、夫の美貌に悩みながら夕餉の支度をしていた。

佐助が作った胡麻ダレと小松菜を天音が菜箸で手早くかき混ぜて和える。
食欲をそそる胡麻の香ばしい匂いが辺りに漂っていた。

「私思うんだけど、半兵衛さんは絶対生まれるときに、造型の神様に『とにかく美しく!』って注文をつけられて造られたんだと思うの。それはもう、ほんの一瞬だけしか映らない小さなコマまで手抜きせず美しく見えるくらい」

「そんな神様いたら俺様ももっとイケメンに作って貰ってたよ」

「佐助はカッコいいよ」

「どーもありがと。嬉しいけどさ、そんなこと竹中の旦那に聞かれたら、キレて天音ちゃんを座敷牢に監禁しちゃうかもよ?」

「座敷牢に監禁…」

想像してみた。

「例えば、夜、相手が一人きりの時を狙って目の前に現れて、人質をとるとかして逆らえないような状況を作った上で大阪城まで拉致して座敷牢に閉じ込めて、毎日通ってきては「そろそろ気は変わったかい?」なんて口説き続けて、それでも相手がなびかなかったら、相手の大切な人の折れた剣か何かを持ってきて「残念なお知らせがある」なんて言いながらいかにも形見っぽくそれを見せて騙して、「次こそ良い返事が聞きたいね」なんて言っちゃうんじゃないかというところまで想像してみたんだけど、でもやっぱりそういうのは色恋沙汰じゃなくて、豊臣に必要な人材を勧誘するときにやりそうだなと思ったりして、そんな半兵衛さんも素敵で惚れ直しちゃったというか、半兵衛さんなら監禁されてもいいかな、なんて」

「それもどうかと俺様思うの」





「やあ、佐助君」

そろそろカボチャも蒸しあがるだろうという頃、この屋敷の主人が、こちらではもう見慣れた白い戦装束姿で台所に現れた。

「どうもー。お邪魔してますよっ、と」

竃の前にしゃがんでいた佐助がひょいと手をあげて挨拶する。
フライパンで鰤を焼いていた天音が、「半兵衛さん」と嬉しそうな声をあげた。
半兵衛がそんな妻に慈愛に満ちた眼差しを注ぐ。

「今日は鰤と…こっちはカボチャかい?」

「はい!」

「美味しそうだね」

「そりゃあそうでしょ、新妻の愛情がたっぷり詰まった手料理なんだからさ」

「佐助の愛も詰まってますよ」

「もう佐助君はこのまま僕の屋敷の厨で働けばいいんじゃないかな」

「ちょっとちょっと、俺様は真田の旦那の戦忍だからね!?」

「元戦忍の作った胡麻ダレ美味しいですよ、半兵衛さん」

「本当だ」

「元じゃないから!」

胡麻ダレの味見をしている新婚夫婦に佐助はすかさず突っ込んだ。

佐助がここに来た本来の目的は『配達』だった。
今回の依頼品は、甘味大好きな幸村のために真田忍隊の忍達によって作られた「真田養蜂場」で採れた蜂蜜だ。
本日の夕餉にも早速、鰤の柚子風味照り焼きに使われている。

「汁物は茸盛り沢山の茸汁です」

「茸と言えば、この前天音が自ら山に入って物凄い量の松茸をとってきてくれてね、暫く贅沢に松茸尽くしだったよ」

「愛されてるねえ、軍師の旦那」

「羨ましいかい?」

「え…いや…まあ…うん……」

戦忍は引きつった笑みを返した。
豊臣の軍師はいよいよ自重しなくなってきたようだ。

泊まっていけばいいという誘いを、佐助は仕事があるからと苦笑いで断った。
この後に控える仕事は正真正銘忍としての任務だ。
人使いが荒くて困るとぼやく佐助に、天音は毒見と称して腹いっぱい暖かいご飯を食べさせてから送り出した。

「身体に気をつけてね、佐助。風邪をひいたり怪我したりしないように気をつけて」

「うん、天音ちゃんも風邪ひかないようにね。ほらほら、寒いからもう中に入って」

見送る天音にひらひらと手を振り、佐助は身軽に塀の上に飛び上がる。
それに気づき、慌てて槍を構えた門兵を半兵衛が手で制した。

「問題ない。彼はただの宅配業者だよ」

「忍だってば!!」

遥か下方の会話を聞き付けた佐助はすかさず抗議した。

「さーて、お仕事お仕事」

思考を切り替えた佐助の顔は早くも忍の顔に戻っていた。
夕闇が迫る中、風の如く走り出す。

ちなみに、半兵衛が用意した配達代金には多少色がつけてあったらしく、それを見た戦忍は、「真田の旦那から貰う一月分の給金より多い…」と微妙にショックを受けることになった。



 戻る 



- ナノ -