大阪城下には兵舎と訓練場がある。

天下統一を成し遂げたからといって、すぐにこの日ノ本の国から戦が消えて突然平和になるわけではない。
各地の内乱を鎮圧するために派遣する兵も要れば、大阪城と町の守備のための兵も当然必要となってくる。
そのため、圧倒的多数の兵力を誇っていた頃と比べれば大分数は減ったものの、豊臣軍の中でも精鋭とされる上位兵達や、故郷には戻らずいわゆる職業軍人となる道を選んだ者達は、そのまま常駐兵として大阪に留まっていた。
腕を鈍らせないためにも、日々の鍛錬や定期的な大規模演習は彼らにとって欠かせないものとなっている。


「どうだ、半兵衛」

一段高い場所に作られた席に腰を据えて訓練の様子を眺めていた秀吉が、傍らに佇む自らの右腕に問いかけた。

「及第点といったところかな。悪くはないが、最高の状態には程遠い」

半兵衛の答えは厳しいものだった。
仮面でその大半を覆われた美しいかんばせには、言葉同様、冷徹な表情が浮かんでいる。
秀吉の目には充分優秀に映る兵達の動きも、完璧を求める彼には物足りないらしい。

「厳しいな」

「そうかい?」

半兵衛はちらりと秀吉に笑みを見せ、それからまた軍師の顔に戻って兵達に目をやった。

「午後の演習では模擬戦も行おう。どうも緊張感が足りないようだ」

訓練場に終了の合図である太鼓の音が鳴り響くと、兵達の間に安堵が広がった。
休憩の時間だ。

兵達はそれぞれ持っていた武具を置き場に預け、手拭いで汗を拭きながら歩いていく。
水場には既に行列が出来つつあった。

「しっかし、竹中様怖いよなぁ…あの目でじっと見られてると緊張しちまってよォ」

「俺は前に近くで半兵衛様が戦われるお姿を見たことがあるが、まさしく鬼神の如しって感じだったぜ」

男達は柄杓で水を掬って飲んだ後も、囲んでいた敵兵の群れを関節剣で薙ぎ払ったときに黒炎を腕にまとっていただとか、かつて半兵衛の不興をかった者が改良版滅騎の実験台にされたそうだだとか、嘘か誠か分からない噂話を囁きあいながら炊き出し場所に向かった。

「よし、メシだメシ」

炊き出し場所には大きな鍋が幾つも置かれ、女達がすいとん鍋を大きめの椀によそって兵達に配っていた。
どの女も器量良しで品があり、その上、見ていて気持ち良いほどてきぱきと立ち働いている。


「お疲れ様です。沢山食べて下さいね」

「おう、すまねえな」

この炊き出し場所のまとめ役であるらしい女に笑顔で椀を渡された男は、日焼けした顔をだらしなくへらっと崩して笑った。

年齢は二十半ばぐらいだろうか。
城下町でもあまり見かけない美しい女だった。
豊満な胸の膨らみをついじろじろ見てしまう。
実にいいおっぱいだ。

「こりゃまたえらい別嬪さんだなぁ。あんた、大阪城の女中さんかい? 乳もデカいし色っぽいねぇ」

「馬鹿っ、お前っ…!」

隣の列に並んでいた兵が血相を変えて男の横腹を肘で突いた。

「天音様は半兵衛様の奥方だぞ!!」

「僕の妻がどうかしたかい?」

聞こえてきた涼しげな声音に、天音に声をかけた男だけでなく、その場にいた者達が一斉に青ざめた。

関節剣をぽんぽんと軽快に手の平に打ちつけながら半兵衛がゆっくりと歩み寄ってくる。

「半兵衛さん」

天音が嬉しそうに微笑んだ。

「お疲れ様です!」

「君もね。こんな事まで手伝わせてしまってすまない。火熾しや竃の準備から全てやってくれたそうじゃないか。大変だっただろう」

「いいえ、野外炊事は慣れてますから平気ですよ。少しでも半兵衛さんのお手伝いが出来て嬉しいです。秀吉様は?」

「先に休ませているよ。僕もこれから行くところだ。君も一緒においで」

「はい!」

後は任せたよ、と告げた半兵衛に他の女達が心得た顔で恭しく頭を下げる。
天音は襷(たすき)を解きながら彼の傍らに並んで歩きだした。

「──ああ、そうだ、君達」

半兵衛が足を止めて男達を振り返る。

「午後の模擬戦には僕も敵軍武将役として加わるから、心しておくように。実際の戦だと思って死ぬ気でかかってきたまえ。手加減は無しだ」

その整った唇に凄みのある冷たい微笑が浮かんでいるのを見て男達は震え上がった。

──絶対殺される…!



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