夢から覚める時のふわふわとした感覚は、波に揺られている時のそれに似ている。

心地よい眠りから目覚めると、そこは薄闇の中だった。


「目が覚めてしまいましたか」


耳に甘いテノールが静かに響いて、冷たい手の平が頬を撫でる。

素肌に白いシャツを羽織った赤屍が、直ぐそこに座ってこちらを見ていた。


(──そうだ……昨夜、あのまま赤屍さんの部屋に行って──)


一連の出来事を思い出したなまえは一気に眠気が吹き飛んだ気がした。


「あ、あの……」

「もう少し眠っていなさい。まだ夜明け前ですからね」


恋人がそうする仕草で優しく髪を梳かれて、混乱する。

冷ややかな美貌に相応しく、この男には愛だの恋だのという甘い感情は似つかわしくないような気がした。
たった一夜肌を合わせたからといって情が移るような男にはとても見えない。
それなのに、この扱いはなんだろう。

どんな態度をとって良いかわからずに戸惑い、狼狽えているなまえに水の入ったグラスを差し出しながら赤屍が微笑む。


「荷物が気になるのですか? 夜が明けたら、こちらの部屋に移せばいい。ここのほうが広いでしょう」


どうやら、部屋に置きっぱなしの荷物を心配していると思われたらしい。

昨夜赤屍にも話したが、なまえの部屋は三等船室だった。
二段ベッドが二つある四人部屋である。
当然、同室の他の人間は赤の他人だ。

確かに、見知らぬ他人と同室でいるよりも、肌を重ねた男の部屋に移るほうが気楽だろうというのは、それほどおかしな話ではない。
赤屍の申し出は、この状況であればもっともな誘いであるように思える。

しかし、そこまで甘えてしまって、本当に良いものだろうか?


「でも…」

「遠慮はいりません。無理にとは言いませんが、私としては出来ればそうして頂きたい。いかがです?」


そうまで言われては、断れば逆に角がたつ。
なまえは迷った末に結局彼の言葉に従い部屋を移る事にした。


「じゃあ…お言葉に甘えてそうさせて貰えますか?」

「ええ、勿論。では、夜が明けたら荷物を取りに行きましょう。それまで、もう少し眠っていて良いですよ」


赤屍が嬉しそうに言う。

なまえは頷いて、グラスの水を飲み干した。
思っていたより喉が渇いていたようで、冷たい水はすんなりと喉を滑り降りていく。
軟水のミネラルウォーターなのか、臭みも無いし、とても飲みやすい。

なまえがグラスを空にしたのを見届けると、赤屍はなまえを腕の中に囲うようにして一緒に横になった。
少し恥ずかしいが、同時に安堵の気持ちも心を満たしていくようだった。

「お休みなさい」と囁いた赤屍に同じ言葉を返して、温かい胸の中で眼を閉じる。

たちまち意識が蕩けるようにして睡魔に侵されていく中、赤屍が低く囁く声が聞こえた。


「…本当に可愛らしい方だ。思わず仕事を忘れてしまいそうになるほどに…ね」


(──仕事……?)


しかし、どんな仕事なのか、と聞き返す事も出来ず、なまえは深い眠りに落ちていった。


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