「いつもは何時頃に始まるのですか?」

「ええと、真夜中過ぎからです」


言いながら壁の時計を見る。
その下に掛けられている赤屍の黒いコートが視界に入った。
時計の針は23時50分を指している。
そろそろだ。

赤屍は隣の部屋との境となる壁を静かに見つめていた。


「……妙ですね」


暫くして、赤屍がふと呟く。
独り言なのだろう。
彼の眼差しは壁に注がれたままだった。


「“人”の気配が感じられない」

「え……どういう、」


意味ですか、と問おうとした声は、低く微かに聞こえてきた音を耳が捉えるなり、喉の奥で詰まって止まった。

ボソボソという話し声。

何を言っているのか聞き取れないくらいの本当に微かな声だが、不思議と無視出来ない音。
どうしても眠れない原因となっていたアレが始まったのだ。


「この声です」


無意識の内に声を潜めて赤屍に囁けば、分かっていますと頷きが一つ返ってきた。

当たり前だが、なまえに聞こえているのだから、赤屍にもはっきりと聞こえているのだろう。
何故だかその事に安堵を覚えた。 もし自分だけに聞こえている音だったらどうしよう、と思ったからだ。
理由はよくわからない。
でも何となくそう感じたのだ。


「どうですか?注意しに行ったほうがいいと思いますか?」

「そうですねぇ…」


赤屍が壁からなまえへと視線を移す。
珍しく難しい顔をしていた。


「問題があると言えばありますが、注意するにしても、ね…」

「そ、そんなにマズいんですか?」

「大丈夫ですよ。心配いりません」


不安そうに赤屍に身を寄せたなまえを力強い二本の腕がしっかりと抱きしめる。


「私に任せて下さい。明日一緒に不動産屋に行きましょう」

「不動産屋?」

「そう。直ぐに解決しますよ。だから、安心して今夜はゆっくり休みなさい」


パジャマを着たなまえの身体をすっぽりと抱き込んで、赤屍が囁く。
着痩せするタイプなのか、見た目よりも逞しい胸板の感触を頬に感じ、なまえはそっと目を閉じた。
こうしていると安心する。
とても気持ちがいい。

まだあの話し声は続いていたが、赤屍に護られているのだと思えば、不思議なくらいまったく気にならなかった。


「良い子ですね……大丈夫、私が傍にいます」


甘く優しく囁く声とともに、唇に柔らかな感触が触れる。

やがて、とろとろと、暖かなぬくもりに誘われるようにして睡魔が身体を包み込んだ。

その夜、実に一週間ぶりに、なまえはぐっすりと眠る事が出来た。


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