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い匂いがする、と言って零さんはすんと鼻を鳴らした。
その言葉を聴いて、私はようやく止まった涙を拭うと、背後のキッチンを振り返った。

「えっ?ああ、あなたが帰ってくるまで、ビーフシチューを煮込んでいたから、その匂いかしら」

キッチンのコンロに鎮座している両手鍋からは、我ながらよく出来たと太鼓判を押せるほどじっくり煮込まれたビーフシチューの香りが漂っている。私たちが抱き合っているこの玄関から見れば、キッチンはもう目と鼻の先だ。

「お腹が空いたの?」
「……。まあ、そうだな」
「そうよね、ごめんなさい。夕方から動きっぱなしだものね」

すぐに晩御飯の用意をするから、あなたはお風呂に入って来て。そう言って私が体を離そうとすると、彼はそれを許さないとばかりに私の二の腕を掴んだ。バランスを崩した体が彼の胸に倒れこんだが、零さんはそれを見越していたかのようにしっかりと私の腰をホールドした。

「きゃ、……零さん?」
「お腹が空いた」
「?ええ。だから晩御飯を、」
「もう、餓えて餓えてたまらないんだ」
「……零、さん」

私はここで、彼の言葉と自分の言葉が微妙に食い違っていることに気が付いた。

彼が本当に餓えているものは、彼が今一番私に望んでいるものは、
彼の熱い眼差しが私に求めているものは、一体何だ。
それを探ろうと彼の顔を真正面から覗き込んで、―――瞬時に後悔した。
だってもう、この瞳を見てしまえば逆らえない。

「あ……あの、」
「さくら」
「……は、い」
「さくら、今すぐ君が欲しい」

彼の手は私の腰を這って、部屋着の裾からするりと服の中に侵入してきた。冷たい感触が背中をなぞり、一瞬で全身に震えが走る。

「ぁ……っ」
「ふっ……。可愛い、さくら」

いい匂いがする、と言って彼は私の首筋に鼻を擦り付けた。それで私はようやく気付いた。彼は最初から、ビーフシチューになど目もくれていなかったのだと。彼が最初から見ていたのは、他の誰でもないこの私だったのだと。
それを自覚した途端、頬がかっと熱くなった。彼の剥き出しの愛情と欲情とを向けられて、胸がぎゅうと苦しくなる。
それでも私は往生際悪く、逃げ道を探して目線を泳がせた。

「ま……、待って。あなたもケガをしているし、何より疲れているでしょう」
「ケガの手当てはもう済んだ。疲れなんてそんなもの、君に触れられるなら全く感じない」
「ハ、ハロちゃんが、見て―――」
「ハロならもうとっくの昔に、僕のベッドを占領して寝てるぞ」
「えっ」

いつの間に、と思って身を捩ると、確かに暗い廊下のどこにもあの白い毛並みは見えなかった。その隙に私の背中をまさぐっていた彼の手が、片手で器用にブラジャーのホックを外す。乳房が締め付けから解放されて、ふるりと揺れた。
その乳房を大きな手で鷲掴みにしながら、さくら、と彼は熱っぽい声で私の耳元に囁きを落とした。

「僕の餓えを、君でいっぱいに満たしてくれ」

とどめのように柔らかい耳朶を甘噛みされて、私はとうとう抵抗を諦めた。私の体から力が抜けたのを察知して、彼はその唇から艶っぽい息を吐いた。
零さんは私の体を廊下の壁に押し付けると、肌触りのいい部屋着を首許までたくし上げた。

「寒いか?」
「……そうね、ちょっとだけ」

どうして?と私が目顔で問うと、彼は私の胸元に中途半端に浮いていたブラジャーを押し上げて、私の胸をまじまじと見つめた。その視線が一体どこに注がれているのかを理解して、私は恥ずかしさのあまり顔から火が出るんじゃないかと思った。

「だって、まだ触ってもないのに、もうこんなに勃ち上がってる」
「っん!」
「ほら。こんなに柔らかいのに、ここだけこんなに固くなってるぞ」
「……ッ、……!」

彼の手が悪戯に私の乳房の先端に触れ、指先で強く押しつぶす。次第に芯を持って固くなるそれを、彼の爪が引っ掻くたびに、私の肩はビクビクと震えた。冷たい体がじわじわと熱い炎に犯されていく。

「ふ、……んんっ」
「気持ちいいか?」
「そんなの、いちいち訊かないで……」
「まあ、訊かなくても解るけどな」

彼はそう言って意地悪に微笑んだかと思うと、長身を屈めて私の乳房に吸い付いてきた。

「ん……、零さん……」

は、と瞼を下ろして感じ入ったようにため息を突くと、彼はそんな私を見て薄く笑った。

「ここ、どんどん敏感になっていくな。ちょっと触っただけなのに、」
「あ……っ、」
「もうこんなに充血して、赤くなってる」
「……ッ、……あ、なたが」
「うん?」
「あなたがいつも、しつこく舐めるから……っ」
「舐められるのは嫌いだったか?」

私がその問いに応えようと口を開くと、それを見計らっていたように、彼は私の乳首に歯を立てた。くぼみを舌で抉られながら吸い上げられると、どうしようもない快感が下腹部から湧き上がって来て、私は思わず彼の頭を胸元に押し付けるように後頭部に手を差し入れた。

「あ……っ、ああ……ッ」
「ん……、ほら、さくら。こうされるのは、嫌いじゃないだろう?」
「ん……、ん……!」

こくこく、と小さく首を振って答えても、零さんは満足してくれなかった。

「それじゃ解らないな。きちんと言葉で説明してくれないと」
「……、いや、じゃ、ない……っ」
「ん?」

嫌じゃないからもっとして、という遠回しな催促は、彼のお気に召す回答ではなかったらしい。もっと素直になってみろと言わんばかりに、彼は甘噛みした私の乳首の先端を舌先で抉るように舐め回した。

「や、あ、あっ、……それ、いい、」
「気持ちいい?」
「いい、……きもち、いい……っ」

彼の指が、唇が触れる箇所が全て性感帯になったのではないかと思うほど、この日の私はどこもかしこも敏感になっていた。

昨日の夜もこうやって、目一杯彼に愛してもらったはずなのに。その時よりも今の方が、ずっとずっと気持ちいい。それは、命がけの作戦を乗り越えたからこその安堵感や、死ぬかもしれないという恐れが抱かせた飢餓感の裏返しなのかも知れなかったが、今の私にはそんな自分の心境を冷静に分析するような余裕は残されていなかった。
私が切ない声を上げて身悶えると、零さんはようやく満足したように微笑んで、私の下腹部に手を伸ばした。

「やらしいな、さくら」
「ッ!」
「腰揺れてる。こっちも触って欲しかったのか?」
「ぁ……っ」

彼の指が下衣の隙間から入って来て、下着越しに私の割れ目をなぞった。すぐに入り口を探り当てられて、びくりと大きく肩が跳ねる。

「あ……っ、んんぅ……っ」
「本当に、いやらしくて、可愛い……」

熱に浮かされたような声で呟くと、彼は突然指の動きを激しくした。二本の指がクロッチ部分から滑り込み、断りもなく狭い胎内に突き立てられる。ぐちゅりと粘着質な音が廊下に響いて、私の喉から引き攣ったような嗚咽が漏れた。

「―――ッ!」
「すごい音だな。昨日よりも濡れてるんじゃないか?」
「……言わ、言わないで……!」
「どうして?僕は嬉しいよ」

弾んだ声に思わず顔を上げると、彼は本当に嬉しそうに頬を紅潮させていた。
「僕の愛撫でこんなにここを濡らしてしまうくらい、感じていてくれたんだろう?」
「……っ」

そんなに純粋な瞳で、嬉しくてたまらないんだと言いたげな顔で、そんなに卑猥なことを言うのをやめて欲しい。あまりのギャップに頭がクラクラしてしまいそう。
私のそんな心の声が聴こえた訳ではないのだろうが、彼は少年のようにきらきらした瞳でぐちぐちと音を立てる下腹部を見つめ、私の内壁を強く擦った。
その指がとある一点を押した瞬間、全身を痺れるような快感が駆け抜けて、私はみっともなく悲鳴を上げた。

「ひぅっ!」
「ああ、ここか」
「んっ!あ、そこ、すき、すき……っ」

彼が指をナカでバラバラに動かすたび、びくん、と大きく脚が震えた。背中を壁に預けただけの不安定な姿勢では、与えられる快楽をうまく逃がすこともできずに、私は彼のシャツに縋り付いて嫌嫌と頭を振った。

「れい、さ、も、腰抜けちゃ……」

これ以上は立っていられない、と息も絶え絶えに告げたにも関わらず、彼は私の言葉が聴こえなかったかのように、黙々と指の動きを速めた。

「やだ、や、零さん、」
「…………」
「ゃ、あ、あっ、イっちゃ、イっちゃう……!」
「……いいよ。イっても」

彼は表面上は冷静そうに繕っていたものの、その呼吸は既に荒くなっていた。彼の吐き出した熱い息が私の耳朶を擽った瞬間、私は彼の背中に爪を立てて、襲い来る悦楽の渦に身を委ねた。