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し前まで自分が足繁く通っていたキャンパスを、ぐるりと囲む人影があった。そこにはもちろん警視庁公安部の警察官や、万一の時に備えるための消防の人員も含まれているが、大多数を占めるのはカメラを構えたマスコミだった。

『夕方に発表された警視庁からのコメントによりますと、本日これからこの東都大学で、爆破テロを起こすという犯行声明が届いたということです。現在、大学の正門、赤門、東門など全ての入口は封鎖され、多くの警察官が警備に当たっています』

とある放送局のアナウンサーが、切迫した表情を作って言う。その言葉はまるで紛争地帯の外国の情勢を聴かされているようで、日本という平和ボケした国でこんなことが起きているなんて、まるで現実味がなかった。一応部外者ではないはずの私でさえそう思うのだ。ニュースで初めてこの事件を知った視聴者の多くが、私と同じ感想を抱いているに違いない。

ちなみに、東都大学をC4プラスチック爆弾で吹き飛ばそうと目論んでいる犯行グループは、今回のテロに関する声明なんてこれっぽっちも公表していない。こんな時間にひっそりと爆破テロを起こそうと考えるような人間が、事前にテロの犯行声明なんて公表する訳がない。日本で1番有名な大学と言っても過言ではない東都大学で、その本部棟の一角を占拠して、東大のシンボルである講堂や、その他のキャンパスを爆破しようと目論んでいる―――なんて、噂レベルでも情報が洩れれば、一瞬で世間の耳目を集めてしまいそうなスクープだ。そうはならないようにと、首謀者が慎重に慎重を期して行動してきたのだということは、火を見るよりも明らかである。

これらの情報をいち早くマスコミにリークしたのは、他ならぬ零さんだった。

私はさっき、ビーフシチューを調理しながら流していたニュース番組の内容を、フラッシュの光でちかちかと明滅する液晶画面を見つめながら思い返していた。
“その他のニュース”の中に箇条書きのテロップのみで表示されていた、湾岸千葉のインターチェンジで発生した銃撃事件。

平時であれば1番尺を咲いてでも報道されるであろうこの事件が大騒ぎにならなかったのは、それよりよっぽどインパクトのあるタレコミが、警察から直々に齎されたからだ。報せを受けて、マスコミ各社が色めきだったのは言うまでもない。警視庁公安部が出張る案件をリアルタイムで報道できる機会なんて、一生に一度あるかないかの一大イベントだ。その食いつきようは屍肉に群がるハイエナのごとく、この機会に少しでも視聴率を稼ごうと、こぞって各局のカメラが東都大学の前に集まった。
平穏なインターチェンジで起こった銃撃事件という、国民の不安を徒に煽るだけの事件を揉み消すためならば、マスコミだろうが公共放送だろうが、利用できるものは利用する。実に公安らしい、実に零さんらしいやり方である。

「こんなに報道機関が押し寄せて、犯行グループを刺激しちゃうことにならないかしら」
「犯行グループのメンバーが使っている端末は、スマホからタブレット、ノートパソコンに至るまで全てハッキング済みです。彼らの端末に表示される情報は全て、フェイクニュースに切り替えさせてもらいました」
「さすがね、ギルバート。でも、外がこれだけ大騒ぎになっていれば、中に立て籠もっている彼らもさすがに気付くんじゃない?」
「気付かなければ密かに周りを包囲して、一網打尽にすればいい。気付いてくれれば、それはそれで儲けものですよ」
「どういうこと?」
「情報を規制されている中で、ふと気づいたら自分たちの身を守るはずだった砦が、実は自分たちの退路を断つだけの牢獄に変わってしまっていたと知れば、取れる行動は多くはありません」
「それが心配なんじゃない。焦って自爆でもされたらどうするの?」

受け入れがたい状況、追い詰められた状況に晒された時、不安を軽減しようとする無意識的な心理メカニズムのことを防衛機制という。精神分析の理論では、防衛機制は無意識(スーパーエゴ)において行われ、不安や受け入れがたい衝動から心を守り、自分の自己スキーマを維持するためになされる、現実の否認または認知の歪みといった心理的戦略であるとされている。歪曲、投影、理想化、退行、抑圧、反動形成、合理化など、その段階は多岐に渡る。防衛自体は自我の安定を保つために行われるので健全な機能と言えるが、時にはそれが他人の気分や体を害することもある。

追い詰められた犯行グループのメンバーが、大学を吹き飛ばすために手にしていたC4で、自爆という手段を選んでしまったら―――。公安部がマスコミに垂れ流したタレコミのせいで、いたずらに犯人たちを刺激してしまい、挙句自爆へと追い込んだのだと謗られることは免れない。
私のそうした心配を、ギルバートは静かな声で否定した。

「彼らが陣取っている本部棟の内部には、C4は設置されていません。爆弾が設置されている場所については、グループのリーダーが直々に教えてくれましたから」
「ああ、あのアイトラッカー?うまく犯行グループの手に渡ったのね?」
「はい。沖矢さんの演技力の賜物です」

沖矢昴というサンタクロースに託したプレゼントのあて先は、零さんや風見さん達ではなくて、犯行グループのリーダーだった。リーダーの男は常に黒縁メガネを掛けており、その見た目とそっくり同じ形に作り上げたアイトラッカーを、私は沖矢昴に託したのである。
沖矢昴は事実はどうあれ、東都大学の大学院に通う院生だ。だから今夜、犯行グループのメンバーが集会を行う本部棟へ出入りしていてもおかしくない。私からとっておきのプレゼントを手渡された彼は、真っ先にその本部棟の“赤の3、黒の2”の部屋へ向かい、研究室と間違えてドアを開けてしまった体を装って、犯行グループのリーダーに接触を図ったのである。

「そこであっさりとリーダーの眼鏡とアイトラッカーをすり替えて、そそくさと沖矢さんはその場を離れたという訳ね」
「その通りです。それからはとんとん拍子にことは進みました。何せ、犯行グループのメンバーが見ている情報は全て、阿笠博士のラボにリアルタイムで中継されていたのですから」

それが大体、時間にして18時半ごろのことである。それから15分も経たないうちに、C4プラスチック爆弾の設置場所はほとんど全て把握できた。爆弾を見張っているメンバーもいなかったため、零さんがポアロでの勤務を終えて東都大学に到着するや否や、公安部の面々は一斉に爆弾の起爆装置の解体に取り掛かったのだという。このために、警視庁警備部機動隊の爆発物処理班にも事前に根回しをしておいたというのだから、降谷零という男の先を見通す力には全くもって恐れ入る。

「それじゃあ、大学がC4で爆破される危険性は、もうほとんどないと言ってしまってもいいのかしら?」
「いえ、それがまだゼロパーセントとは言い切れません。押収した爆弾の量と、製薬会社から横流しされたヘキサミンと無水酢酸の量が釣り合わないんです」
「……それじゃあ」
「ええ。まだどこかに隠し持っているんでしょうね。立て籠もっている本部棟でも、大学キャンパス内でもない、どこかに」

それが一体どこなのかは、今の段階では解らないということだ。ぞくりと悪寒が背筋を駆け上ったような気がして、私は自分の腕で自分の体を抱き締めた。



(……お願い)

お願い、早く帰って来て。
あなたを独りで待つ身には、この部屋の温度は寒すぎる。