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降谷さん×警察学校時代の同期。警視庁公安部所属で風見さんの部下。




「悪いが、それを持ってこの場所まで行ってくれないか。降谷さんに頼まれた書類なんだが」

上司である風見裕也警部補にそう声を掛けられたのは、昼休みに入る直前のことだった。私はクマの目立つ彼の顔色を見てとって、自分の休憩よりも上司の休憩を優先させることにした。私の把握する限りでは、彼はここ3日ほど家にも帰っていないはずだ。

「解りました。この封筒を渡す時に、何か伝言はありますか?」
「いや、これだけでいい。頼んだぞ、僕はこれから2時間ほど仮眠を取らせてもらう」
「はい、ごゆっくり。……あ、風見さん、仮眠室はそっちじゃありませんよ!」

ふらふらとあさっての方向に向かって歩き出した上司を慌てて引き留め、私は正しい仮眠室の方向へと彼を案内した。横になると同時に意識を飛ばした上司を見やり、私は自分の頬を叩く。私がもっと頼れる部下であったなら、きっと彼にこんな顔をさせずに済んだのに、と歯噛みしたくなるような思いだった。

(よし、さっさと頼まれた仕事を片付けてこよう)

さっき彼は、私にこの封筒をメモに書かれた場所まで持って行って欲しいと言っていた。そこで誰が待っているのかは訊けなかったが、降谷さんに頼まれた、と言うからには、そこで待っているのは警察庁に勤める降谷零で間違いないだろう。

彼は私の警察学校時代の同期で、しょっちゅうつるんで行動する仲間の内の1人だった。散々やんちゃもしたし、教官から怒られることも何度もあったけれど、半年の間に培われた絆は今も私と彼を繋いでいる。それは私と彼の間に特別なあれそれがあった、とかいう話ではなくて、そうならざるを得ない事情があったのだ。

私と彼以外のメンバーは、もう居ない。皆、私と彼を置いて逝ってしまった。
だからと言って、私は自分の境遇を悲観するつもりはない。こういう職業に就いている以上、命の危険は常に纏わりつくものだ。仲間の死を悼む気持ちは勿論あるけれど、似たような境遇の人間は警察組織内には大勢いた。

だから残された絆だけでも大事にしようと、私はこれから会うであろう同期の顔を思い浮かべて、警視庁の建物を後にした。



目的地は隣にある合同庁舎第2号館、つまり国家公安委員会警察庁の建物だった。入り口の警備員に警察手帳を見せ、すんなりと中に入る。エスカレーターを上がって右に曲がった先、警察庁の入り口付近で、目的の人物はこちらに背を向けて立っていた。

「指定の時間の10分前。相変わらず、時間にはきっちりしてるな」

振り返りもせずに、降谷は私に向かってそう言った。私は小さく肩を竦め、彼の隣に歩を進める。

「それを言うならお互い様だね。しばらく家に帰ってないの?」

その恰好、と言って指差すと、彼は着崩したスーツのよれた袖口を手で軽くはたいた。

「ああ。この後も別件で移動しなくてはならないんだ。まさかお前が来るとは思ってなかったから、こんな恰好で悪かったな」

お前が来ると知っていたら、もうちょっとましな格好をしていたのにと言って、彼は鼻の頭に皺を寄せた。

「私相手なんだから、どんな格好でもいいでしょ。それこそジャージでもスウェットでも、何ならパンイチの姿も見たことあるよ」
「あれは若気の至りだ。今更蒸し返すな」
「蒸し返されて恥ずかしいようなこと?私にとってはいい思い出だけどね」
「……ああ、僕にとってもそうだな」

ふ、とお互いに顔を見合わせて笑い合う。あの頃の写真も何もかもを捨ててしまった私達にとって、そんな思い出があったことを証明する唯一の手段が、この男とこうして会話をすることだった。

「っと、ごめん。私もあんまり時間がないんだ。このあと20分でご飯食べて、すぐにデスクに戻らなきゃ」
「……待て。お前、そんな顔色で碌に休憩も取らないつもりか?」

持ってきた書類を渡し、踵を返そうとする私の手首を掴み、降谷は険しい表情を浮かべた。部下を叱る時のような厳しい眼差しで私を射抜き、私の目元に手を伸ばしてくる。

「そんな顔色って」
「自覚がないのか?白目なんか真っ赤に充血してるし、唇も真っ青だぞ」
「嘘、そんなに?」

私は掴まれていない方の手で、自分の頬に触れた。言われてみれば、頬の肉がこけたような気もする。ランナーズハイで気付いていなかったが、考えてみれば風見さんが3徹なら、私は2徹である。その間ずっとパソコンと向かい合ってきたから、眼精疲労が蓄積している。そりゃあ目も充血するし、唇も真っ青になるってもんである。

「うーん、でも風見さんが仮眠取ってるから、さすがに私まで抜けられないしなあ。あの人が戻ってきてから、私も入れ替わりで仮眠もらうかな……」
「そうしろ。そんなにふらっふらな状態で、いざ何かあった時に対処できなければ元も子もない」

降谷は自分の頬を撫でる私の手を握り、指を絡めてきた。冷えていた指先に彼の温かな体温が伝わり、心地よさに私は目を細めた。

「……うん、そうする。ありがとう、心配してくれて」
「心配もするさ。大事な同期だからな」
「あはは、そうだね。……それじゃ、本当に時間がなくなりそうだから、私はこれで」

指に残る体温はとても名残惜しかったが、時間は待ってくれないのだ。私は掴まれていた手首をそっと解き、へらりと微笑んでみせた。

「また時間がある時に、一緒にご飯行こうね」
「ああ、都合がついたらこっちから連絡する」
「絶対にだよ?絶対、絶対に連絡してね!」
「やけに念を押すな。そんなに言うなら、今ここで約束するよ」

ほら、と言って彼は小指を差し出した。いい年した大人がこんな子供騙し、とも思ったが、たまには童心に帰るのも悪くはない、と思い直して小指を絡める。

「……指切った。じゃあ、本当に連絡待ってるからね」
「ああ。お疲れ」
「お疲れ様!失礼しまーす!」

久しぶりに大事な同期に会えて、あまつさえ次に会える約束まで取り付けることが出来て、この時の私はひどく上機嫌だった。

そのまま振り返らずに立ち去ったから、私の背中を見送った彼が、さっき小指を絡め合った手にそっと口付けを落としたことに、私はついに気付かなかった。




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