06




安室さん×同棲彼女。平和な休日の一幕。




麗らかな朝の陽射しが、柔らかく私を包む。
桜の木の生い茂った葉がさわさわと音を立て、浮上しかけた意識をまた微睡の底の方へと誘おうとする。
そんな優しい空気の中で、私は慈しむような声を聴いていた。

「ほら、起きてくれ。朝だよ」
「…………ん、」

甘い声。少し癖のあるこの声は、私の恋人の透さんのものだ。
揶揄いを含んだ、けれど隠しきれない愛しさを短い吐息の中に滲ませるその声の持ち主は、私がぴくりとも動かないのを見て取ると、少し怒ったように言った。

「今日は一緒にお出掛けする日だっただろう?早く起きないと遅れてしまうぞ」
「んー、むー……」
「まったく……。こんなに可愛い寝顔を見られるのは、僕だけの特権かも知れないが」

もうそろそろ、起きてこっちを見て欲しいな。

甘い声が近付く。もう少しだけ、その声が私を起こそうとする言葉を紡ぐのを聴いていたくて、私は目を閉じたまま動こうとしなかった。
そうしたら、間を置かずに何かが唇に触れているのが解って、私は漸くほんの少し重い瞼を持ち上げた。私を強引に眠りの底から引き戻した彼は、目を閉じて私の唇に自分のそれを押し付けていた。

ああ、今日も私の彼はかっこいい。ぼんやりとした頭の中で、そんな頭の悪いことを考える。それを見透かしたようなタイミングで、彼は唇を離して私の顔を覗き込んだ。

「目が覚めたかい?おはよう、寝坊助さん」
「……おはよう、透さん。おやすみ……」
「こらこら、言ってる傍から二度寝するんじゃない」

再びくっつこうとする私の上瞼と下瞼を、彼は慌てた声で止めようとした。肩を揺さぶられ、私はうんうんと小さく唸ってから片目を開けた。

「そんなに昨日は眠れなかったか?」
「……誰かさんがしつこかったせいでね」
「しつこいって、高が3回くらいじゃないか」
「自分の体力を基準にしないで。あんまり眠った気がしない……」

ふわあ、と大きな欠伸が零れる。それを苦笑しながら見守っていた透さんは、ふと思い付いたように悪戯っぽく口角を吊り上げた。

「そんなに言うなら、今日のデートは取りやめかな。お昼に美味しいオムライスのお店に行こうと思ってたんだけどなあ」
「え、やだ」

私は寝返りを打って首を上げた。髪の毛が乱れ、視界を半分ほど覆い尽くす。それを優しい手付きで払いながら、彼は私の眠るベッドの淵に腰を下ろした。

「でも、そんなに疲れているのに無理をさせるのも悪いだろう?だから君はそのまま眠っていてもらって、僕だけオムライスを堪能して来ようかな」
「何それ、狡い。私も一緒に行く」

私は彼の背後から腕を回し、腰に縋り付いた。駄々をこねる子供のように、彼の肩口に額をぐりぐりと擦り付ける。

「私も連れてってー……」
「どうしようかな。お寝坊さんは連れて行けないなあ」
「やーだー。連れてってくれないなら、このまま離さないもん」
「はは。それも悪くはないかもな」

でも、と言って彼は私の手首を掴んだ。優しく引きはがされて、腋の下に手が添えられる。

「わっ」

ぐい、と体が引っ張り上げられるような感覚に、いっぺんに目が醒めた。彼は私の体を抱え上げたまま、ベッドから楽々腰を上げる。

「待って、透さん、落ちちゃう」
「そんなへまはしないさ。落ちないから、じっとして」

彼の逞しい腕が私のお尻の下をがっちりと支えているから、彼の言う通り落ちることはないだろう。けれど急な浮遊感に恐怖心が無いかと言われれば、まったくそんなことはない。

「解った、自分で歩いてリビングに行くから、だからもう下ろして」
「言ってるうちに、もうリビングだよ。はい、ここが君の席」

テーブルの上には既に朝食の準備が整っていた。今日は透さんお手製のフレンチトーストである。仄かに香る甘い香りは、メープルシロップのものだろうか。
私を椅子に下ろした彼は、ご満悦の表情で私の向かい側に腰を落ち着けた。

「ほら、それを食べたら着替えてお化粧して、早く出掛けよう。今日は天気がいいから、きっと景色も綺麗だよ」
「はぁい。いただきます」

至れり尽くせりな待遇に、私はこれ以上文句を言うのをやめた。眠気が醒めてしまった今は、一刻も早く彼とデートに出掛けたかった。

「美味しい!透さんの料理って、本当に美味しいよね。こう、味が優しいっていうか」
「そりゃあ、愛情込めて作ってるからね。君が僕の料理を食べて、幸せそうな顔をするのを見るのが好きなんだ」
「えへへ。いつか丸々太っちゃいそう」
「太ったら一緒に運動しようか。僕が君専用のトレーニングメニューを考えてあげるよ」

恐ろしい言葉は意図的にスルーして、私はせっせとフレンチトーストを味わった。彼の考えたトレーニングメニューなんて、過酷すぎて付いていける気がしない。

「ん、ご馳走様!急いで着替えてお化粧してくるから、もうちょっと待ってて」
「ああ、慌てなくていいよ。洗い物をしながら待ってる」
「ありがとう、透さん」

家事までこなせるウルトラハイスペック男は、私の頭を撫でたあと、機嫌が良さそうに食器を抱えてキッチンに歩いて行った。私はその背中を見送って、急いで身支度を整えるために洗面所へと向かった。

今日はこれから、彼とのドライブデートである。晴れ晴れとした空模様に誘われて、私の心も浮き立つような気持ちだった。




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