Rachel

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窓際のカサブランカ [1/2]


その日も、コートに一番に辿り着いたのは日吉だった。
夏を前に、だいぶ日も伸びてきたとは言え、まだ辺りは薄暗い。
教師も生徒もほとんどいない学校で、校門の警備員も眠そうに欠伸を噛み殺していたのを思い出しながら、倉庫からボールを運び出した。

静寂の中、朝焼けを迎えながら誰もいないコートに向かって一心不乱にラケットを振る。
それが、何よりも清々しかった。

そうやって何球も打ち込んでいる間に、朝日が眩しいくらいに日吉の汗を照らし出していた。
辺りはすっかり明るくなり、コート中に散らばったボールが目に入った。

(そろそろ一年が来るか…)

ボールを集めようと踵を返した時、ようやくそれに気が付いた。

視線を感じる。
それも随分と遠くから。

纏わりつく視線を不快に感じながらも顔を上げると、校舎のとある教室に誰かが居るのが見えた。
遠くて顔までは確認できなかったが、髪の長い女子生徒だった。
その姿は昨日読んだホラー本に出てくる幽霊のようで、こんな朝早くに怪奇現象が起きるのかと胸を時めかせたが、すぐに生身の人間だと気付いた。

女生徒は何かの作業をしているようで、日吉とはまったく別の方を向いていた。
あんなに強い視線を感じたというのに、もしかして視線の正体は彼女ではなかったのか。

(運動部員…じゃないな)

いくら日が昇ったとは言え、まだ早朝だ。
制服を着ているので教師ではないだろうが、朝練がある者ならともかく、校舎内に既に登校している生徒がいるだろうか。

(一体、誰だ?)

その長い髪を、どこかで見たことがあるような気がした日吉は、女生徒がいる教室を見つめながら考えた。
そんな、もうすぐで繋がりそうだった記憶を遮ったのは、やたらと元気な後輩だった。

「あ、日吉先輩!おはようございまーす!」
「っ!」

不覚にもドキリとさせられた日吉は、なんとか平静を取り繕って返事をした。

「…あぁ、おはよう」
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」

いつもとは違う様子を不審に思ったのだろうか、しかし後輩は無邪気な顔で日吉を覗き込むだけだった。
その視線から逃げつつ、悟られないように校舎を見上げると、女生徒の姿はいつの間にか消えていた。
居なくなってしまったのなら仕方がない、と日吉は気持ちを切り替えた。

「悪いな、すぐに片付ける」
「あ!オレやりますよ!」

しかし切り替えたつもりだったのに、ボールを集めながら日吉は無意識にあの女生徒のことばかり考えていた。

長い髪の女なんてこの学校には腐るほどいるが、どうして頭の中から離れないのだろうか。
どこかで見たことがあるのに思い出せないからだろうか。

まるで喉元に引っかかった小骨が取れない歯痒さのように、モヤモヤとした苛立ちを感じながら朝練を終えた。

「あぁ、苗字さん?確か樺地のクラスだよね」
「は?」

しかしその疑問は、鳳にあっさりと解決されてしまった。
今朝の出来事をうっかりと零してしまったのだ。

「珍しいね、日吉が忘れるなんて。はい、辞書」
「あ、あぁ…ちょっと、宿題があったから持って帰ったんだ」

そのまま自宅の机の上に忘れるなんて、本当に今日はどうかしている。
そうため息を付くと、鳳は苦笑いをしながら首を振った。

「違うよ、苗字さんのこと」
「は?」
「確かに静かで目立たない子だけど、あんなに長い髪の子って滅多にいないでしょ?おれは委員会一緒だから覚えてたけど、日吉なら名前は知らなくても一目見たら忘れなさそうだったから…」

そう言われれば、樺地のクラスを訪れた時に居たような気がする。
後ろ姿しか見たことはないが、座ると髪が椅子の座面に乗っていて、金具に絡まらないようにするためか、いつも左側に纏めて垂らしていた。

「で、苗字さんがどうしたの?」
「いや、なんでもない」

とりあえず、どこの誰かは分かったので一応はスッキリとした。
そんな日吉を見て、鳳は何故か楽しそうに笑っていた。
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