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“サンジは悪くないよ”
「でも、おれはコックだ」
間髪いれずに返ってきた言葉は、リルの持つペンを震わせた。
今だけは、言葉の意味が解らないほど鈍感になりたかった。
しかし、それはとても許されるような雰囲気ではなく、恐る恐る顔を上げると強い眼差しに射抜かれた。
「友達を殺すおれは嫌いかい?」
「っ…」
いつもと同じ優しい口調の中に、どこかズッシリと響くものがある。
サンジにも譲れない思いがあるのだ。
それは昨夜、話してくれたサンジの生い立ちやオールブルーのことを考えれば解ることだ。
そんな思いを否定することはリルには到底できず、首を横に振るしかなかった。
その衝撃で、瞳から雫が飛び散った。
「ホントに?きっと、おれはこれからも殺すよ?」
いつもはリルに対して言葉を選ぶサンジが“殺す”という言葉を使ったのはワザとだろう。
リルは震える手でペンをぎゅっと握りなおした。
“わたしも魚、食べる”
「えっ?」
戸惑うサンジをよそに、リルは立ち上がって冷蔵庫へ向かった。
扉を開けるとそこには沢山の食材が並んでいて、一番奥に今日サンジが釣り上げたと思われる魚があった。
「ちょっ!リルちゃん!」
慌てたように肩を掴まれたが、その決意も含めて見上げるとサンジが一瞬たじろいだ。
「リルちゃん…」
命を戴くということは、命を奪うということ。
その奪った命からいつまでも目を背けて、自分だけ感傷に浸っていたくはなかった。
あの猪のような姿をした獣の命は、確かに自分が奪ったのだから。
「わかった」
そんなリルの想いが通じたのか、サンジは冷蔵庫から魚を取り出した。
すでに動かなくなっていたそれは、サンジの手によってゆっくりとまな板に横たえられ、ギラリと光る包丁に沈黙を返した。
「っ…」
「……」
あまり見たことのない種類の魚だったが、その身にするりと切れ込みが入ると、思わず目を背けてしまった。
しかし、トンっと包丁とまな板がぶつかる音が聞こえて、逃げてはいけないと慌てて顔を上げた。
そんなリルにサンジは何も言わず、しばらくすると静かにムニエルが完成した。
「どうぞ」
「……」
ゆらゆらと湯気を揺らして置かれた皿の上には、身の部分だけになった魚がいた。
最早、生きていた頃の形は分からなくなってしまったが、それをジッと見つめてからフォークを身に押し付けると、その先端がグッと沈んでいった。
たったそれだけのことなのに、何故か視界が滲んだ。
「無理しなくてもいいんだよ?」
「……」
向かいの席に腰を下ろしたサンジは、優しい眼差しでそう言った。
元の形が分からない調理法を選んで、わざわざ一口サイズに切り分けてくれた、そんなサンジの優しさを無駄にしたくなくて、リルは勢いをつけて噛み付くみたいに魚を口に含んだ。
そのまま歯を立てると、カリッとした固い音のあとに、柔らかい身の感触がした。
「リルちゃん…」
「っ…」
どこか息苦しく胸が締め付けられるような声で呼ばれて、リルは顔をあげることが出来なかった。
誤魔化すように無心で口の中に魚をつめ込むと、頬に何かが伝う感触がした。
生まれて初めて食べた魚はひどく冷たくて、なんの味もしなかった。
でも、どこか海の香りがして、少ししょっぱい気がした。
2013/05/30