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水分を含んで肌にまとわりつく空気。
それは遠くを見えなくさせる為のものか…
それとも近くをよく見せる為のものか…
君を隠していた霧が、オレの心を誤魔化す為のものに変わる。
* spring haze *
その島はとても気味が悪かった。
暖かい陽気に春島が近いと一同喜んでいたが、上陸して一転。
何故か街には霧が立ち込めていて、一寸先まで…とはいかないが、それでも十数メートル先は真っ白だった。
港には数隻の船が停泊しているようだが人影もまばらで、港町にもあまり活気はない。
そもそも海賊船と普通の商船が入り混じっている辺り胡散臭い。
そんな得体の知れない島に好奇心をくすぐられた船長は、真っ先に飛び出していった。
ログが溜まるまでに帰ってくるだろうか、と一同心配しながらも、それぞれ買い出しなどに向かった。
甲板で寝転げていた男を除いて。
「あとは…そうだ、薬」
トリ…なんたらって言う薬がどうしても足りないんだ、と船番のチョッパーに頼まれていた事を思い出したサンジは、食材の詰まった袋を抱え直して薬屋を探した。
ちなみに、食材をすべて船長によって食い尽くされたせいで、二度目の買い出しだった。
(みんな、もう船に戻ってるかな…)
せっかくの大きな街なので美女探しをしようと思っていたが、道行く人影もまばらで、どこか暗い。
探す気も失せるというものだ。
チョッパーのお使いも終わったサンジは、仕方なく港の方へ踵を返した。
その時だった。
「――っ!」
どこからか、叫び声が聞こえた。
暗く静かな街だから、やたらと不自然で、それなのに街の人々はそれを気にする様子もなかった。
しかも聞こえてくるのは野太い男の声ばかりで、段々と近付いてくる足音にサンジは思わずため息を漏らした。
歩く速度を速めつつも、背後から迫り来るそれを避けるように路地に滑り込んだ。
「くそっ、どこ行った!?」
「オレはあっちを探す!」
「急げっ!!」
品のないドカドカという足音がいくつか通り過ぎてから、サンジは表へ顔を覗かせた。
すると案の定、男だらけの集団がバタバタと慌てていた。
「なんだ?」
何かを探しているようではあるが、風体が一般市民とは思えない。
大方、街のゴロツキだろう、とサンジは勝手に納得して一息ついた。
ただならぬ様子は感じたが、自分が関わるような事じゃない。
(それより早く船へ戻ろう)
ゴロツキが去ったか確認しながら、サンジは吸い終ったタバコを靴の底ですり潰した。
すると、ふいに靴の先に何かが当たった。
不思議に思って視線を落すと、みすぼらしい格好の少女と目が合った。
そして少女は、まるでこの世の終わりのような表情をして肩をすくませた。
(いや、みすぼらしいなんて言っちゃいけねぇな)
一体、いつからそこにいたのか。
ボロボロの端切れのような服を着て、手も足も顔もドロで汚れた少女は、怯えたように後ずさった。
(着飾ったら、きっと綺麗になるに違いなねぇ)
震えながらも自分を真っ直ぐ見つめる少女を見て、何故かそう確信していたサンジは静かに膝をついた。
「あぁ、ごめんよ、レディ。まさかこんなところに、可愛らしい一輪の花が咲いていようとは!」
“レディ”というには少し幼いだろうか。
サンジは小柄な少女のその手を取ろうとしたが、震えて更に小さくなってしまった。
どうしたものかと考えあぐねいていると、あのドタバタという足音がまた戻ってきた。
その音を聞いて分かりやすいくらい怯えた少女は、転げそうになりながら路地の奥へと逃げていった。
その後ろ姿と近付いてくる足音の大きさを計ってから、サンジはスッと立ち上がった。