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「……たの」
「え…?」
小さく動いた口は紛れもなくリルのもので、そこから紡がれる音もまた小さく、サンジは更に混乱した。
何故足があるのに声が出るのか。
どうして血だらけなのか。
問いたいことは山ほどあるが、震える彼女が必死に何かを伝えようとしているのを感じて、口を噤んだ。
いつの間にか小さな雨粒が体を叩いていて、強まる風の音にかき消されないように、サンジは必死に耳を澄ませた。
「殺したの…」
「え…?」
それは一体どういう意味なのだろうか。
言葉の意味は分かるのに、その意図はさっぱり分からない。
絞り出すような声にサンジが困惑していると、雨粒がその姿を露わにした。
血に濡れていた腕がキラキラと微かな光を反射しているのは、どうやら雨粒のせいではないようだ。
確かめようと目を凝らしてみれば、まるで鱗のようなものがリルの腕にあった。
そこから流れ落ちてゆく血液は石畳の隙間を縫って雨水と混ざり、まだら模様になった水たまりに倒れている男の顔が写り込んだ。
「わたしが、殺したのっ!」
「っ!」
あの優しい歌声でも、恥ずかしそうに吃る声でもない。
喉が潰れてしまいそうな叫びで、彼女は顔を歪ませていた。
そんな痛ましい姿に、サンジはいつの間にか走り出していた。
リルの言葉は信じがたく、あんなにか弱い彼女が大の男を何人も殺せるはずがない。
どうして、こんな事態になってしまったのか、その経緯は分からないが、今そこに傷ついている彼女がいるのだ。
「リルちゃんっ!」
「やっ…!いやっ!」
驚いて拒絶を示したリルは腕を振り上げて暴れたが、サンジは全て包み込むように抱きしめた。
しかし、腕の中にすっぽりとおさまった体は尚も抵抗して、サンジが腕の力を強めると腕に痛みを感じた。
「っ!?」
掴んでいたリルの肩から手を離すと、手のひらに見知らぬ傷が付いていた。
小さく垂れた血は雨と混ざり、ゆっくりと滴ってリルの肩を濡らした。
「あ…ぁ…」
それを見た瞬間、リルは顔を真っ青にした。
心配させまいと、サンジは傷を隠しながら反対の手で肩を撫でたが、再びそこに痛みが走った。
よく見れば上着の袖もボロボロに解れ、その隙間にはキラリと光る小さな破片が挟まっていて、どこか既視感を覚えた。
「だめ…触ったら、だめっ」
「リルちゃん?」
ああ、これは彼女の体にある鱗のせいかと気付いた瞬間、背後に転がる死体を思い出して更に腕に力を込めていた。
「いやっ、だめ!」
「…っ、リルちゃんっ」
「やだっ、やめて…」
「大丈夫、大丈夫だよ…」
リルが逃げ出そうと、もがけばもがくほど鱗がサンジの肌を傷つけた。
その度にリルはごめんなさいと謝って、自分のせいだと責任を感じて、触らないでと小さくなって震えた。
それでも、サンジは決して離さなかった。
サンジは言い知れぬ怒りを感じていた。
それは、倒れている男たちに対してか、震えながら泣き叫ぶ彼女に対してか、異変に気付いていながら何も出来なかった自分に対してか。
まるで沸騰したように煮えくり返る体を、冷たい雨が静かに打ち付けていた。
気が付けばリルは、サンジの腕の中で気を失っていた。
だからなのか、彼女の腕にあったはずの鱗は跡形もなく消えていて、まるで何事もなかったように血も流れ落ちたのに、サンジの中にくすぶった炎だけは消えなかった。
誰かこの熱を冷ましてくれ。
2015/04/18