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海に居るはずの自分が陸に居るから驚いているの?
あるはずのない足があるから不思議に思っているの?
それとも…
「よう!ユーサー!この間の人魚達が全部捌けたぞ!お前のおかげだ!」
その一言が決定打だった。
彼は知っていたのだ。
里が襲われたことも、人魚たちが連れ去られたことも、リルが足を手に入れてまで陸へ上がった理由も。
そう、全て“お前のおかげ”なのだ。
「やめろ…やめてくれっ、おれが悪かった!だから…!」
今まで見たこともないような彼の情けない姿に、微かにあった希望も無残に崩れ去っていった。
気付いた時には、彼は真っ赤な血の海に沈んでいた。
自分でも何が起こったのかよく分からなかったけど、ただ怒りと憎しみだけが満ちていた。
そんな真っ赤になった視界が、いま目の前にある光景と重なった。
ニヤニヤと笑っていた男たちは地面に突っ伏していて、誰ひとりとして動かない。
射し込んだ朝日が真っ赤な液体を照らしていて、その中心でリルは小さくなって震えていた。
背はじっとりと汗ばんでいて、手足が酷くべた付いたのは汗のせいだけではなかった。
高鳴る鼓動を抑えるように、無意識の内に胸元に手を伸ばしたが、震えた指は見事に空をかいた。
(あ、そっか…無いんだっけ…)
結局、あれからいくら探しても母の面影を宿した石を見付けることは出来なかった。
全てを捨ててもいいとすら思えた彼も居なくなって、改めて自分には何もないのだと気付かされた。
全てを無くしてしまった今、自分はどうしたらいいのだろう、と途方に暮れた。
(そうだ…逃げ、なきゃ…また、っ…)
男たちはみんな倒れているが、どこかに仲間がいるかもしれない。
このままボーっとしていれば、捕まって売り飛ばされてしまう。
“あの時”のように…
まるで過去の自分をなぞる様に、今まったく同じ思考と行動をしていることにリルは気付かないでいた。
ただ、“あの時”と違うことといえば、倒れている人数と、突然現れた第三者の存在だった。
「リル…ちゃん…?」
震える足に力を込めてなんとか立ち上がった瞬間、どこからともなく小さな呟きが聞こえた。
それはとても小さな声だったが、振り返らなくても誰か分かってしまった。
倒れている男たちのような厭らしい笑みじゃない、いつもリルに優しく語りかけてくれるあの音だった。
そんな温かい声色が今、冷たい風に乗ってリルの心を凍りつかせた。
「リルちゃん、だよな…?」
確かめるようにゆっくりと掛けられた声は、微かに乱れ震えていた。
恐る恐ると振り返ると、心配そうな顔で立ちすくむサンジがいた。
(なんで、サンジがここに…?)
ユーサーが住んでいた島にはサンジは居なかったはずだ。
過去と現実を混在していたリルだったが、視界の端に肉の塊と化したものが転がっているのを見て、ようやく状況を理解した。
倒れているのはユーサーじゃない、シンから逃げている途中で出会った見知らぬ男たちだ。
「ぁ…」
「リルちゃん?」
二人の間には鉄と湿気た臭いが立ち込めており、血の気が引いたリルは足から力が抜けていくのを感じた。
一番見てほしくない人に見られてしまったのだと理解した時には、もうすでに体も思考も動かなくなっていた。
痛んでいたはずの足は、麻痺したように感覚を失っていたが、頬には何か冷たいものが当たる感触がした。
それは雨のような気もするし、涙のような気もした。
2015/03/24