赤い実はじけた


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序章
一章
二章
三章
四章
五章
六章
七章
八章
九章
十章

九章 価値観の違い side F


◆不安と焦燥と家族

 装備を解き、ヴァッシェンを済ませて着替え、執務に戻るとフランの来訪が告げられた。部屋に通して話を聞けば、案の定というべきか……孤児院長室に戻った途端、ローゼマインが倒れて発熱もしているとの報告だった。
 ――やはり保たなかったではないか。
 誰ともなく責めたくなるのを堪えて溜め息を吐く。
「ではギルベルタ商会に使いを。熱が下がるまで神殿で預かると、ルッツに家族への伝言も依頼するように」
「ですが、ローゼマイン様はしきりに帰りたがっておりましたが……」
「彼女のことは、私が説得しよう。今日は初めて儀式で魔力を多量に使ったのだ。本人では判らぬ不調がこれから出るとも限らぬ。それに下町だと日中は家族も仕事で不在なのだろう? 彼女が一人になる時間が長いと危険なこともある。それならば尚のこと、身の回りの世話のできる者が昼夜問わず揃っている神殿で面倒をみたほうが良かろう。経過をみて帰宅させるか判断する」
「かしこまりました。それでは、ルッツやギルベルタ商会の者にもそのように説明して参ります」
 フラン達ローゼマインの側仕えにとって、初めて主が神殿に寝泊まりすることになる。発熱しているので風呂は不要だが、軽食や着替えなどに不備のないよう注意した。それから、熱で魘されながらも帰るのだとごねているらしい彼女ために、熱冷ましと軽い睡眠薬を合わせたものを調合し、飲ませるよう指示して渡す。
 これで少しは大人しくなるだろう。彼女が目覚めた頃には帰りたい≠ネどと言えない時間帯になっている。薬が効けば、熱で興奮していたローゼマインも冷静になるであろうし、泊まり込む必要性や利便性を話せば、それが妥当であると理解できる筈だ。やけに家族のもとに帰りたがっていた彼女を納得させることも可能だろう。
 ――説得できる、筈だ。
 安心できる自宅に帰りたいのだと、家族に会いたい≠ニ口にしたローゼマインの言葉が蘇る。それはつまり、神殿では安心して休むことができないと、ここには家族が居ないということだ。
 ――私は君の家族同然≠ナはなかったのか?
 やはり家族と家族同然では違うということか……私のいる所では安心できぬし、私相手では不安も解消できないのだろう。当然だ。私とて神殿にいても心から安全だと確信したことなど無いのだ。どうすれば彼女を安心させてやれるかなど分からぬ。よく眠れるよう薬を作って渡すことはできても、根本的なことを解決してやることは出来ない。
 ――意味のない薬か……。
 そんなものは不要だと、あのとき彼女は言いたかったのであろう。私の手助けなど不要だと。一時凌ぎにしかならない意味のないものだと。
 偽りの関係。仮初めの関係。そんな言葉がふと浮かぶ。例えそうであったとしても、契約は成されたのだ。婚姻してしまえばこちらのものだろう。
 ――それこそ、意味のない関係なのではないか?
 ではこの印は何のためにある?
 私と彼女は何のために出会ったのだ?
 先程の痛みに近い違和感を思い出し、右手の甲に触れて軽く擦る。今は特に異変は見られない。
 ――いや……若干だが濁ったか?
 普通にしているだけでは他の者からは見えないが、最初の時と比べたら色味が格段に濃くなって明るく鮮やかに浮かんで見える印が、今も刻み込まれている。これの発色が変わった原因は、おそらく治療のせい――私のユレーヴェを彼女に飲ませることで、少しずつ彼女が私の色に染まってきているからだろう。それに気が付いた時、罪悪感よりも喜びが勝った。嬉しかったのだ。彼女は私の妻になるのだから、染めてしまったところで何の問題もない。むしろ繋がりが強まるのは当たり前で、歓迎すべきことのように思えた。
 だが、もしもこの絆が偽りであったなら……――そんなことは考えたことも無かったが。なぜ考えなかったのであろうか。縁結びの女神リーベスクヒルフェのように、神々とて間違うことはあるのではないか?
 不毛なことを考えている自覚はあった。それでも何か考えていなければ、対策を講じなければと焦る気持ちが湧いてしまい……結局、ローゼマインが目覚めたとの知らせが届くまで、黙々と手を動かしては考えていた。
 ――無心で仕事ができたなら、どれだけ楽なのだろうな。
 私は溜め息を堪えて彼女いる孤児院長室へと向かった。

   ◇  ◇  ◇

「ローゼマインは?」
 不寝番らしき側仕えに彼女の様子を尋ねる。
「目が覚めてからしばらくは泣いていらっしゃいましたが、お食事を少し召し上がっていただきまして、今は落ち着かれたようですわ。神官長とお話をなさりたいと仰っておいででした」
「そうか……まぁ、色々と言いたいことがあるのだろうな。其方は呼ぶまで下がっていて良いぞ。おそらく長くなるだろうからな」
「かしこまりました。下で待機しております」
 やれやれと呟いて、内心の動揺を押し隠す。
 ローゼマインの寝台に向かうまでの数歩で何とか心を落ち着かせ、深呼吸をしてから天蓋の向こうに声を掛けた。「どうぞ」と促す声に怒ったような響きはなく、冷静な話し合いを望んでいたはずが、いざ感情のこもらない静かな声に促され、どうするべきかと困惑した。彼女らしくないと感じる。それがこんなに恐ろしいとは思わなかった――

 天幕の内側に用意された椅子に腰掛ける。とりあえず「体調はどうだ」と尋ねれば、「おかげさまで」と返される。妙に事務的なやり取りだった。そこから会話が続かない。沈黙が重くて居心地が悪い……自分がここにいるべき存在ではないように感じる。ローゼマインの側にいて、このように感じるなど初めてのことだった。つまり、私は彼女との時間や会話を楽しみ、ことさら気に入っていたのだと気付く。気付いたのと同時に、それを失ったことを知ったわけだが。
「……私に話したいことがあるのだろう?」
「神官長こそ、わたくしに言いたいことがあるのではないのですか?」
「私は、君が説明を求めてくるだろうと考えて、こうして話をしに来てやったわけだが?」
「そうなのですね……ご面倒をおかけしました。わたくしからは、特に話したいことはありませんわ」
「では、神殿に泊まる件も納得したと?」
「はい。神官長の……あ、今はお勤め後の時間ですから、フェルディナンド様とお呼びするべきしょうか。とにかく、事情はフランから聞きましたので存じております」
「では異論はないのだな?」
「はい」
「……家族に会いたがっていたが、それも大丈夫なのか?」
「それは、多少問題は起こるかもしれませんが……フェルディナンド様がお決めになったことですから」
 ――何なのだ、この薄ら寒いやり取りは。
「……君は……いつからそのように素直になったのだ? 一体なにを考えている? 図々しくも私に異を唱える君はどこへ行ったのだ」
 ――反論も己の意見もない。違和感で気持ちが悪い。
 ただ私の言葉に淡々と従うような言動に苛立ちが募る。……これでは臣下のようではないか。彼女は、そんな枠に収まるような存在ではなかった筈だ。なにより私は……私生活においてまで、ローゼマインと主従の関係にあることを望んでいない。彼女もそう言っていたではないか。
 ――何故だ? 何故急に態度を変えたのだ?
「ローゼマイン……理由(わけ)を聞かせなさい」
「なんのでしょう?」
 彼女は頬に手を当てて、こてりと首を傾げた。いかにも貴族らしいその仕草。最初に声を掛けてから、ローゼマインはずっと貴族らしい態度をとっていた。私が彼女に求めた、貴族の淑女らしい態度。そのような振る舞いを私に対して向けてくるローゼマイン。
 ――これは私のやり方だ
 私が彼女に教えたのだ。身を守る術として、真っ先に教えた貴族教育。隙のない美しい所作と、内側を悟らせぬ態度――それを今、ローゼマインは私に向けて使っているのだ。身を守る盾として。本音を隠す武器として。
「ローゼマイン……不満があるなら言いなさい。もし、不安があるのならばそれも。私では、役に立てないかもしれないが――」

2023/04/08


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