叙情詩


どのくらいの時間が経ったのだろう。
紅く差していた夕日はとっくに沈み、どこか悲しげな色を纏って夜が顔を出そうとしていた。

「(帰ろう…)」

黒い霞が覆った心の端でそう小さく呟いて、根を張ったかのように動かなかった足を生徒会室に向けた。

コツコツと靴音が響く廊下を歩きながら浮かぶのは最後に見た景色。
それをただ、振り払うことも出来ずにぼんやりと思う。
どうしてこんなのも胸が苦しい?

『突然呼び出してごめんなさい』
恥らいながら告げる彼女はとても、とても勇気に溢れていた。
『こんなこと言っても、きっと迷惑だってことも分かってます』
抑えきれない感情とともに溢れた涙は、とてもキラキラしていた。
『私、碓氷君のことが好きなんです』

ただの記憶に過ぎないそれにすら動揺して、途端に根を張る足が憎い。
逃げ出したいのに、こんなにも醜い感情から。
でも、逃げ出すことは出来なくて。
そんな勇気すらないのだと言われているようで、崩れるようにその場へ座り込んだ。

「(早く、帰らなければ)」

焦る気持ちとは裏腹に溢れてくる涙は視界を歪める。

「…〜っ」

分からない。
何が分からないのかも分からないけれど、ただただ溢れてくる涙。
今の私にはこれを止める術も分からない。

「会長…?」

ふいに聞こえてきた声に体がびくりと揺れた。
ゆっくり振り返ってみれば碓氷のアホが間抜けな顔をして私を見ていた。
「なんで泣いてるの?」
私をじっと見つめたまま、一歩。
「知らん」
溢れてくる涙は、まだ止まらない。
「鮎沢」
少しずつ早くなる足音。
「知らん!」
俯けばぼたぼたとスカートに染みる涙。
「ねぇ鮎ざ「知らんって言ってるだろ!」

しん、と静まった校舎内。
暗くて冷たいこの場所がこんなに温かいのは、碓氷に抱きしめられているから。
そうか、逃げ出したいのに逃げられなくするのはこいつの魔法なんだ。

「お前のせいだ」
呟いた言葉は切欠に、そして言葉までが溢れ出す。
「お前の顔を見ると胸が苦しくて動けなくなるんだ、何も考えられなくなって、逃げられなくなるんだ、今日だって私が見てたって分かってたんだろ!」
涙を隠したくて、碓氷の背中に回した手で思い切り制服を掴んで肩口に額を押し当てる。
「なのにお前は自由だし、すぐにどこか行っちゃいそうで…これじゃまるで私だけが縛られてるみたいだ!どうしてこんなに掻き乱すんだよ、お前が私を何も分からないくらい滅茶苦茶にしたくせにどうしてそんなに余裕なんだよ、どうして…っ」

一瞬だった。
気付いたときには体中が温かくなる程、優しく、少しだけ強引に、キスをされていた。
逃げ出せない魔法にかかった私はそのまま目を閉じた。

ゆっくりと離れていく唇。
まだ少し滲む視界で碓氷を見れば、少し頬を染めながら優しい目で私を見ていた。
「もしかして、ヤキモチ妬いてくれたんだ?」
そう言って目尻に一つ、口付けを落とした。
「…違う」
また一つ、今度は頬に。
「素直じゃないね」
「だから違う」
ゆっくりと髪をなでて額に額をぶつける。
至近距離で感じるお互いの呼吸。
「好きだよ、鮎沢」
そっと、まるで壊れ物を包むかのように優しく抱きしめた。
「お前なんか…」
お前なんか大嫌いだって言えたらどんなに楽になれただろうか。
前は簡単に言えた筈の言葉が、今は何故か心に突っ掛かって口に出来ない。
代わりに発せられたのは正反対の言葉で。
それに満たされた自分の心に、ああこんなにもアイツの魔法は強力だったのかと思うしかなかった。

「私も好きだよ、アホ碓氷」

真っ暗な校舎の中でアイツの笑った顔がやけに輝いて見えたのは、いつの間にか自分の心の中を覆った霞が晴れていたからなんだろうか。
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