18


 好きなおもちだとか、家族の話だとか、取り留めのない話をしていると刹那がピクン!と顔を跳ね上げた。
「向かって来てる」
 ドアの方を見つめた刹那はすっと顔を引き締める。麗日にはなんの音も聞こえなかった。
 そういえば。と気付く。刹那は雑談に興じている間もずっと兎の耳を立てていた。ピクピク動いているのは可愛いだけでなく警戒を怠っていなかったのだ。
 刹那は麗日の腕を引いて立ち上がらせた。
「麗日ちゃんはお友達だけど……わたしは敵だから、ごめんね」
 二重の意味を込めて呟く。
「え?」

 しばらくして、急激に周囲の温度が下がり始めた。ピキピキと部屋の中が凍っていく。
 想定通り轟焦凍である。
 多分、人質と刹那を外から視認したのだろう。
 氷が勢いよく刹那たちを追い詰める。

 刹那は麗日の背中を引っ掴んで床に押し倒した。自由な左腕を上に向けて横に倒した状態にして鋭く叫ぶ。
「動くな!」
「いっ……」
 無理な体制変換で軽く頭を打った麗日に視線を向けず、刹那は「ごめんね」ともう一度呟く。
 小さな悲鳴を聞いて氷結が止まった。
 目の前まで迫った氷の床に麗日が小さく息を飲む。
「いいの?轟くん。もう少しで麗日さんの顔が凍っちゃうところだったよ……」
 答えはない。
 物陰からゆっくりと轟が姿を現した。死角だろうが刹那には関係がない。その耳が5階に踏み入れた瞬間から常に彼を補足していた。

「爆豪くん、轟くんが来たから急いで戻ってきて」
 素早くインカムで連絡を入れる。
 刹那は作戦立案のために持ち込みを許されたシャープペンを握った。麗日の頭を押さえつける。
「もう一度言う。動くな。動けば人質を殺すよ」
 シャーペンの切っ先を頸動脈に突き付けると、麗日が息を飲んだ。
「えっ?刹那ちゃん……?」
「喋るな」
 いつもの柔らかく、ほわほわするような声ではない。
 端的なナイフみたいな喋り方だ。
 さっきまで一緒に笑っていた刹那がいなくなったみたいで、麗日につ、と汗が浮かぶ。

 轟は刹那の行動が意外だったのか、少し呆然として、顔を険しくした。
「オイ……やりすぎじゃねえのか」
「わたしは敵だよ……」
 にべも無い返事。
「ヒーローさん、この部屋の氷を溶かしてくれる……?変なことを考えないでね。あなたがわたしを捕まえるより、わたしが人質を殺す方が早いから」
「グ……」

 逡巡する轟に刹那は畳み掛ける。
「見て、轟くん」
「あ?」
「麗日さ……麗日ちゃんの左腕。拘束してないの。どうしてか分かる?」
 刹那は麗日の腕をとってぷらぷらさせた。麗日も疑問に思っていた。
 怪訝そうな轟。
「今すぐに氷を溶かさないと、人質の腕を折る」
「な……っ!?本気か、お前」
「うん、本気だよ。ごめんね麗日ちゃん。わたしもあなたに酷いことしたくないの……。だから轟くんが素直に従ってくれれば嬉しいんだけど……」
「え…ちょ……マジなん……?刹那ちゃん……!」
「麗日ちゃんの口を塞がなかったのは悲鳴を聞かせるため。さあ、目の前で腕を折られた彼女の悲鳴を聞きたくなかったら、今すぐに氷を溶かして」

 刺すような視線を刹那は飄々と受け流す。
 轟は拳を握ったが、1人で人質を利用する刹那への対処は今は無理だ。無理やり氷結を使えば、まさか本当にボールペンを刺すことはしないだろうが、格闘術に秀でた彼女なら言葉通り麗日を落とすくらいは出来るだろう。
 こちらを睨んでくる彼女の瞳からは何の感情も読み取れない。
「分かった……。麗日を起こせ。顔が燃えちまう」
「ありがとう」
 刹那は用心深かった。起き上がらせる時も麗日の首を何時でも締められるように首を回していて、隙がどこにもない。
 轟は舌打ちをする。

「ごめんね、本当に……」
「あ、う、うん、ええよ……」
 すごく申し訳なさそうな刹那の声にはちゃんと温度が戻っていて、麗日は安心した。敵のフリが意外にもすごく……似合いすぎる。
 無感情な喋り方が少し怖かった。

「爆豪くん、まだっ?」
「うるせェ!命令すんじゃねえクソ兎が!」
 爆豪の声が同時に飛び込んでくる。その後に緑谷も続いている。緑谷はボロボロに焦げまくっていた。
「轟くん、状況はっ?かっちゃんが突然走り出して……」
「人質を取られてる」
「そりゃそうだろうけど──っ?」

 爆豪は麗日を立たせてシャーペンを首筋に突き立てる刹那を見て、二度見した。
「っお?」
「遅いよ」
「黙れカス!」

「さて、ヒーローさん。この状況が見えるね」
「え、え、白凪さん……っ!?」
「あなた達がこれから少しでも動いたら、まず人質の腕を折る。反抗の意思を確認したら人質を殺すから」
「ちょ……っ」

 BOM!!!
 思わず一歩踏み出しそうになった緑谷は、爆発音にビキッと足を止めた。
「動くなっつったよなア、デク……!」
 爆豪が獰猛に顎を上げて笑っている。
「順応早……」
 刹那は思わず笑ってしまった。
 焦りを浮かべこちらを睨む轟と緑谷。刹那はこういうロールプレイがすこぶる得意だ。いつも通りにやれば良い。
 2年前から良いお手本を見て来ているんだから。

「じゃあまず轟くん」
「……なんだ」
「緑谷くんを首から下まで全身氷漬けにして」
「っ!?」
「……」
「5秒以内にしないと、腕を折るから。本当にごめんね、麗日ちゃん」
「腕を折るしか言えねえのかよ」
「5ー、4ー、3ー…………」
 わざとゆっくりカウントしてあげる。焦燥を与えつつ、緑谷が変な策を考えられないように。
 この場合厄介なのは緑谷なのだ。
 どの訓練でも、トリッキーな作戦を立てて行動しているし、周りを巻き込む"個性"の轟は行動しにくい。
「やって、轟くん!僕はいいから!」
「だが……」
「2ー……」
「早く!」
「ッ、くそ!」

 数を数えながら、刹那は麗日を床に倒して腕を折る準備を進めていた。ゆっくり、左腕を膝に当て、両腕に力を込める。
 刹那は本気だった。
 純然たる本気だった。
 多分この場にいる全員がそれを分かっていた。
 爆豪が目を疑うように刹那を見下ろしていた。

 轟が低く怒鳴って緑谷を凍らせる。首から下、言われた通り、これで緑谷は身動き取れない。
 しかし刹那は腕を折る体制を辞めない。
「爆豪くん」
「あ、ああ?」
 ハッと我に返ると、物言いたげな視線と合う。
「確保テープ……」
「わ、かってんだよ指示してんじゃねえぞ!」
 ズカズカ緑谷に向かっていっても、轟は動けない。刹那が彼を睨みながら、ギリギリと腕に力を込めていた。麗日が「ぅ……」と呻く。
 そうされたら、ヒーローはもう動けない。

 緑谷の揺れる瞳が爆豪を睨み付ける。
 ギッとそれ以上の目力で睨み返しながら、爆豪は首に手を掛けた。白いテープをゆっくり巻いていく。
 クソ……ッ!
 釈然としない。納得したくない。正面からぶち殺したい。だが、刹那のやり方はいちばん合理的だった。
 戦いもせず、敵を無力化する。
 一度負けたクソデクに、自分の手で確保テープを巻き付けるのは、何故か酷く力が抜けた。
 そしてあっさり、緑谷は行動不能になった。

 爆豪は下唇を突き出して轟を見る。
 血走りそうなほど刹那を睨んでいる。
「良かった、轟くんがヒーローで……。人質を無視されたら、為す術なかったから」
 安心したように言う彼女に、爪先から頭のてっぺんまで炎が走ったようだった。
 全身から覇気が迸る。
 轟は無意識に手を構えていた。
 刹那はどこかウンザリした声で言った。
「え……まだやるの?えっと、折っていいってこと?」
「い''っ……!と、轟くん、ウチはかまわんくてええから……!」
「ほら、抵抗するから、もうすぐ折れちゃうよ……いいの……?」
 ミシッ、ミシッ。骨が軋む音。
 動物並の握力でゆっくりとへし折られかける麗日は、苦悶の表情で身を捩り、しかしそれでも、自分はいいから、と。轟は叫ぶ。
「もう辞めろ!」
 グシャリと。前髪を強く握り締める。
「抵抗しねえから……もう辞めろ」
 ダランと力を抜いた轟の手に爆豪は確保テープを巻いた。

「よしっ」
 刹那は可愛く笑って、麗日を手刀で気絶させた。

*

『敵チームWIIIII〜〜〜〜、えっ?』

 オールマイトの素っ頓狂な声が響いた。
 素のびっくりした声である。

 刹那は気絶した麗日の拘束をビリビリ剥がして、んしょっ、とおんぶした。力があるので女の子1人くらい余裕なのだ。
 その場の全員が刹那に言いたいことがあったのだが、今の流れるような光景に言葉を失ってボーッと刹那を見ていた。
「轟くん?緑谷くんを……」
「ああ……そう、だな……」
 氷に閉じ込められた彼を、左側の熱で溶かす。転がるように出てきた緑谷も刹那を混乱して見ている。
 3つの視線に追われてとても居心地が悪い。
 モゾモゾして、「い、行かないの?」とおずおずと言う刹那は、いつもみたいな人畜無害な大人しくて可愛いただの女の子だった。
「爆豪くんが黙って協力してくれるとは思わなかった……」
 ホワホワ笑ってお礼を言う。
 昨日の喧嘩(?)もあったから、どうなるかと思っていたけれど。インカムで連絡してからすぐに戻ってきてくれたようだったし、すぐに状況を把握して手伝ってくれたりで大助かりだった。
 この作戦は絶対に1人ではクリア出来なかった。

「俺ァこういう作戦は嫌えだ。正面からぶちのめしてこそ勝利だろうが」
「でも合わせてくれた。ほんとにありがと……」
 嬉しそうに上目遣いで見てくる刹那に爆豪は顔を歪める。
 昨日「嫌い」だとかのたまったクセにスッカリ忘れた顔でいるのが心底気に食わなかった。
 しかし……しかし、今回の作戦でかなり印象が変わっていた。
 悪辣だが合理的。爆豪は取らない手段だが、勝利のためにこんな手をわざわざ選んで勝ちにこだわった刹那に対して、ドン引きしつつ悪い印象はなかった。
 緑谷は刹那を少しの恐れを持って見ていた。
 ごめんね、と言いながら無表情で普通に麗日の腕を折ろうとしていた。本気だった。
 そして轟。眼中に無かった刹那に、卑怯な手段で為す術なく負けた事に心底苛立っていた。背中を睨みつける。ジリジリ焼けるような視線に気付かないわけが無いのに、気にした様子もない。
 ギリ……ッと奥歯を噛む。俺はこんなところでつまづいてる暇はねぇってのに……。


 さて、お待ちかねの講評の時間である。
 刹那を見て引いていた空気も落ち着いていた。
「あー、えー、では!気を取り直して、今回のMVPは誰か分かる……よね。そう、白凪少女だ」
 当然だと思った。
 戦わずに勝つのは最強である。味方にも損害を出していない。相手に反撃の隙も与えない。
 異論の余地なく刹那がMVPだ。
「あの轟がいいとこなしで完封だもんな」
「仲間に仲間をやらせる発想がエグいし」
「爆豪が即ヒールプレイ始めたのは笑った」
 思い思いの声が飛ぶ。

「ところで白凪少女」
「はい」
「最後麗日少女を落としたのにはなにか理由があるのかな?勝敗は決していただろう?」
「理由……ですか?」
 麗日は今はリカバリーガールの所に行っていた。折るために力をちゃんと込めたので多分ヒビくらいは入っている。
 オールマイトの質問は刹那には聞かれるまでもないことで、首をこてん、とした。
 他の人も分からない、という顔をしている。
 ハッ、と。
 もしかしたら普通じゃないことなのかもしれない。
 やりすぎの範囲を超えていたかもしれない。それに思い至って、刹那は怒られる子犬のような顔をする。
「えっと。状況が分からなかったんですが……。今回の敵は身代金の要求とかではなく、立てこもり犯の方が近い印象を受けました」
「ほう。たしかに」
「どんな状況にしろ、ヒーローを無力化させた後の敵の行動は逃亡……ですよね?」
「そうだな。目的を達し、ヒーローも倒した。その場に留まる可能性は少ない」
「で、ですよね!だから逃亡の際に人質は邪魔になると思ったので、殺しました」

 空気が凍る。
 心臓までキンと凍るような鋭い沈黙だった。
 全員が押し黙って息を飲んだので、刹那は、あ。間違ってしまった。と悟った。
 背筋にタラっと汗が浮かぶ。
 思考が敵に侵されすぎてしまったらしい。でも普通の生き方なんて知らないんだから仕方ないじゃない。内心思う。

「え。えっと……わたしなりに、敵をトレースしてみたんですけど、間違ってましたか……?」
「いいや。間違ってなどいなかったよ。完璧すぎるくらいだ(・・・・・・・・・)」
 オールマイトの笑顔に気圧される。
 彼は決して威圧感を与えてなどいない。むしろ、なにか引っかかるような、教師としてどう評価するべきなのかに思考が引っ張られて、刹那の異常性に気付いた様子は見られなかった。
 ただ刹那が勝手に、不安になっているだけだ。
 バレたら何もかも終わってしまう。

 ぷるぷるしていると、自分の顎を撫でていたオールマイトがパッと顔を上げた。
「うむ!白凪少女の敵の思考は実に現実的だ。映像を見ながら卑怯だ、という意見を出した人もいたが、実際の敵はもっと狡猾で、もっと悪辣で、もっと無慈悲だ。
 今のように犯罪倫理に基づいた敵の行動を、訓練のうちから理解し対処することには深い意味がある。素晴らしいロールをありがとう!」
「い、いえ……過去の犯罪事例はよく調べていますから……」
 ホッと胸をなでおろした。
 オールマイトは本当に怖い。存在だけで怖かった。


 ガコン。
 自販機から炭酸やらジュースやらを数本買って、刹那は教室に戻る。
 放課後には麗日が保健室から戻ってきた。
 ワッと生徒たちが取り囲む。
 たいそうな敵っぷりをナチュラルにかました刹那だったが、訓練後の反省会で浮くことはなかった。むしろ褒められたり尊敬されたりして、ドン引きや嫌悪が後に引かないA組の善良さと単純さに感謝する。
 そしてまた、その場にいなかった麗日が戻ってきたことで反省会やらが始まりそうになっていたので、刹那はその輪にするっと入った。
「う、麗日ちゃん……」
「刹那ちゃん!」
「あの、怪我……ごめん。やっぱりヒビ入ってた?」
「うん、でももう大丈夫やよ!刹那ちゃん力あるんやねえ」
「つい気がはやって……。あの、これ、お詫び。って言うのには足りないけど」
「え。いいよそんなん!真面目に訓練に取り組んだ結果やん!」
「少しやりすぎちゃったって思ってるから……受け取って。人にあげてもいいし。ほんとにごめんね、痛かったでしょ?」
「ほわあ〜。なんかウチこそ申し訳ない!ありがとうね」
 お互いペコペコしたり手をアワアワしている2人に生ぬるい視線が向けられている。上鳴の「ほわほわコンビ……」の呟きにみんなほのぼの頷いた。

「仲直り出来てよかったねえ!」
「白凪、気にしてたもんね」
 両側から葉隠と芦戸に抱きつかれて「ほぁ」と気を抜けた声を漏らす。人にハグしてもらう経験がほぼ皆無なので、ぽぽぽぽ、と赤くなって耳をピコピコさせる。
「え?照れてる?」
「可愛い!」
「てかいつの間にか距離縮まってない?わたしもさんじゃないのがいいなあ〜!」
「えー!じゃあわたしもー!」
「梅雨ちゃんと呼んで」
「え!あの、でしたらわたくしも……!」
「ウチは耳郎ちゃんだもんね」
「ずっこいんだ〜!」

 女子会になった空間から男子がすすす……と離れていった。
 何故か刹那がみんなをちゃん付けで呼ぶ流れになっていたので、ドキドキしながらみんなを呼ぶと、優しい笑顔が返ってくる。
 梅雨ちゃん、だけは、ハードルが高くて蛙水ちゃんと呼ばせてもらうことにしたが。

 必要であれば、人質を躊躇いもなく殺せる女だとは微塵も思わずに。冷たい一面を見たのにも関わらず、欠片も態度を変えずに。
 そんな彼女たちの中で、1人の敵が嬉しそうに、嬉しそうに仲間の顔してふわふわ溶け込んでいくのだった。
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