19

 いつもの夜のお仕事を終え、帰路に着く。いつもの黒いリュックには、仕事用の黒い服と趣味の悪いヴェネチアンマスクが入っている。
 適当なTシャツとジーンズにカーディガンを羽織った刹那は暗闇を歩く。電車に乗るのも微妙な距離で、スマホを弄りながら歩いていると、暗がりの中パッと光が差し込んだ。
「あ……スーパーまだやってるんだ」
 雄英に入ってから家事に割く時間がなかなか取れない。
 自分のために料理するのが面倒で最近はもっぱらスーパーで買い溜めしたものを食べていた。
 今の時刻は22時半。
 近くのスーパーは軒並み9時に閉まってしまう。刹那の最寄りから1駅離れたこの場所に来ることはあんまりない。
 食糧が減っていることを思い出して、少し買い物をして帰ることにする。

 カートにカゴを乗っけてゴロゴロ押して回る。カートを押していると無性に走りたくなる。流石にやらないが。たまにそれをやって怒られている子供を見ると、いいな、と思う。
 子供のうちにそういうのをやってしまうのがいい。
 お客さんは少なかった。23時には閉まってしまうから当然だ。
 まだ別れのワルツは流れていないがアナウンスが圧をかけてくる。

 適当に店を回ってざかざか選んでいく。
 惣菜はほぼ残っていなかった。仕方がない。
 売れ残りのお弁当や巻き物、生卵、インスタントラーメン、うどん、パスタ、野菜を少し、豆腐、食パン、冷凍食品。お腹に溜まるものをとりあえず入れていく。あ。食べるラー油を切らしてるんだった。美味しいのでこれはいつもストックしている。
 お菓子は家ではあんまり食べないけれど、死柄木が好きだし、学校でもみんなと分け合ったりするので、ポテトチップスやじゃがりこ、カントリーマアムとかを適当に選んでいく。季節限定のものも目に付いたら入れていく。
 麦茶の素や紅茶のティーバッグ。あとは……ジュース。ジュースが飲みたいかもしれない。
 そう思って飲み物のコーナーに行くと、思わぬ人と出会ってしまった。

「あ」
「あ?」

 既視感である。
 同じやり取りを数日前にしていた。
 鋭い目付きが丸くなって少し猫みたいに見えた。
「え、と。こんばんは?」
「てめえ……」
 彼の横に並んで適当に目に付いた2リットルのファンタオレンジやお茶やらを入れた。最初に飲み物を買えばよかった。無理やり商品を避けて飲み物を入れる。
 彼は眉をしかめて刹那を見下ろした。
「何してんだ」
「何って……買い物……?」
 見たままだ。彼の視界に映るそのままである。
 答えると、しかしそれは彼の求めた答えではなかったのか、「チッ」と返されてしまった。
 爆豪との会話はたいてい舌打ちで終わる。実に低燃費だと思う。だんだん彼の敵対的な態度に慣れて、いちいち怯えたように肩を揺らすことも少なくなっていた。

 爆豪は片手にかごをもち、片手でスマホの画面を見ながら買い物をしていた。
 別に会話する必要もないんだけれど、隣にいるので一応会話を試みてみた。
「家この辺なの?」
「だったら何だクソが」
「おつかい?」
「っせえな!聞くな!」
 おつかいらしい。カゴの中身がカレールーやら麻婆豆腐や青椒肉絲の素やらふりかけやら、食品が多いのでまさかと思ってみれば。
 睨みつけて来る顔がなんとなく居心地が悪そうに見えて、意図せずクスクス笑みが零れてしまった。
「チッ、笑ってんじゃねえ」
「ごめん……爆豪くんも人の子なんだと思って」
「馬鹿にしてンだろ!」

 彼は刹那のカゴを見て深い眉の縦皺をさらに深く刻んだ。
「んだこのラインナップは」
「……?ご飯」
「そういうことを聞いてんじゃねえよ!マジレスばっかしやがってバカか!?」
「ええ……じゃあ……ええと……。??? ご、ご飯……」
 それ以外の答えようがなくて困ってしまった。
「あ。えと、このお菓子は耳郎ちゃんが好きなやつ……これは葉隠ちゃんが気になるって……」
「ちげえ!」
「んむ……」
 違うらしい。
 眉をきゅ、として唇をむにむにする刹那に爆豪がため息をついた。
「まさかこれが主食じゃねえよな」
「あ。そういう……主食だけど……」
「ああ!?」
「ぴ」
「主食として食うもんじゃねえだろ!んだこれ、ラーメンやら弁当やら……仮にもヒーロー志望が食う飯じゃねえだろが」
「うんん……?」
「チッ!どうでもいいけどよ」
 爆豪はいつもよく分からないことで怒る。でもいつも怒ってるので多分問題ないだろう。

 よく分からないまま彼に別れを告げて背を向けると、彼も後ろからついてきた。買い物が終わったらしい。
 セルフレジで会計を終え、先生に渡されているカードで支払いを済ませる。生活費と活動費としてカードと、刹那用の口座に現金を入れてもらっているのでお金には困らない。
 先生もドクターもお金持ちなのである。
 一応生活に困らない程度なので余裕があるわけではないけれど。

 レジ袋に詰めていると思ったより買ってしまっていたらしく、2袋になった。4リットル分の飲み物がちょっと重いが、持てないほどでは無い。
 チラッと爆豪を見る。
 ポケットから黒いエコバッグを取り出し、淡々と袋詰めしている姿が妙に似合わないような、似合うような感じで刹那は少しニヤニヤしてしまった。
 爆豪は野生の獣なのですぐに気づいてすごい目で睨んできた。
 刹那はパッと唇を引き結んだ。
 しかし、ゆる、と唇をモニャモニャさせる。
 彼は手際よく重いものからパッときっちり商品を並べていた。手馴れている。どうしよう、すごく面白い。
 ずっと見ていられる光景だが、ずっと見てもいられないので、刹那は背を向けた。
 袋が小さな手に食い込む。
「待ァてや!」
 苛立った声が背中から追いかけてきた。きょと、として振り返る。

 黒いエコバッグを持った爆豪が(黒いエコバッグを持った爆豪が!刹那はそれだけで笑いそうになった)不機嫌にのしのし歩く。
 何故か2人は一緒に店を出た。
「……てめえ、家は」
「××区だよ」
「ああ!?」
「わ。もう……何?」
 爆豪はすぐ怒鳴るので、耳を守るためにぺたん、と垂れさせなければならない。彼のせいで反射速度が上がってきた気がする。
「どうやって帰んだよ」
「……?歩いて帰るよ」
「今何時だと思っとんだクソが!」
 時計を見ると22時45分を指している。そのまま答えると彼はさらに怒った。
「何分かかんだよ!」
「え?え?えっと……歩いたら20分ちょっとくらい?跳んでいったら10分くらい……かな」
「貸せ」
 無理やり両手のレジ袋を取られて、彼は路地裏にいるチンピラみたいに猫背で歩き始めた。慌てて後ろを追う。
 春だけど、夜はまだ少し寒い。風の冷たさが残っている。
 薄手だが長袖を着ている刹那とは違い、爆豪はTシャツにジャージだった。多分自主練をした後なのだ。
「あ、あの……?持てるよ……」
「いいわ!黙って持たれろ!」
「う、うん……。……爆豪くんの家こっちなの?」
「はァ?」

 白凪刹那は人を苛立たせる天才なのだと思った。
 さっきから何度も何度も何度も……。
 もはやわざとでしかねぇだろと目を釣りあげて振り返れば、小さい歩幅でとてとてついてくる刹那が、まばたきを繰り返して本当に不思議そうな顔をしていたので爆豪は怒りをぶつける矛先を失ってしまった。
 普通、男が荷物を持って隣を歩き出したらその意味ぐらい察するだろーが。
 調子を崩されて唸りたい気持ちになる。

 爆豪はわざとさらに大股で歩いた。
 刹那がジャンプするほどではないが、歩くのには少し早いスピードに、彼女は早足になる。
 なんか怒ってる?と聞こうとして馬鹿らしくて辞めた。爆豪は常に怒っている。
「家どこだよ」
「だからさっき……」
「住所聞いとンだ!分かれや!」
「え、えっと……」
 マップを開いてルートを確認する。刹那はそれをぽけーっと眺めて、ようやく気付いて間抜けな声を上げた。
「あぇ、えっ?」
「んだよ」
「んっ?えっ?まさか、送ってくれようとしてる……!?」
「それ以外にねえだろ!バカなんかてめえは」
「だ、だって爆豪くんだよ……!?」
「よっぽど殺されたいらしいなア……」
「あ、あぇ、ごめ」

 まさか。だってあの爆豪勝己が。
 意外すぎてびっくりしてしまった。
 気付いたら、なんだか急に指先がムズムズ落ち着かなくなってきた。え。心臓を柔らかく擽られているような気分。
 爆豪には嫌われていると思っていた。
 いや。嫌いな人にでも、女の子が夜道を歩くのを意外と気にする紳士的な人なんだろう。意外すぎる。その対象が自分だと思うと、なぜか焦りみたいなものが浮かんだ。

 実は刹那、こういう女の子扱いがほぼ初めてであった。
 小学校の頃はいじめの対象であり。中学1年の元彼は率直に言ってクズであり。先生と出会ってからは自己研鑽と仕事に励んでいたので、こういうまっすぐな、アオハルめいた経験はしたことがなかったのだ。
 むず痒さが全身に広がっていってしまって、刹那は胸の前でソワソワ手のひらを弄んだり、耳を引っ張ってみたりした。
「こ、こういうの……少女マンガの世界だけだと思ってた……」
「しょ……」
 爆豪は絶句した。
 ここまで何もかも台無しにするやつがいるか?
 バカみたいなことを零した刹那は、爆豪の予想と反して、まるで泣きそうに見えた。耳を掴んで視線を彷徨わせ、内側から浮かぶむず痒さを必死に逃がそうとする迷子の子供のような表情。薄暗い街灯の下でも頬どころか耳まで赤いのがハッキリと見えた。
 爆豪は何も言えなくなって、無言で前を向く。
 嫌な沈黙だった。
 完全に刹那と爆豪の間に流れるはずがない沈黙であった。
 嫌いなんじゃねえのかよ。
 頭を掻きむしりたい衝動に駆られる。意味が分からない。両手が塞がっていて爆破もできない。

 緊張感を孕んだ沈黙だった。
 爆豪は耐えられなくなって叫んだ。
「ッアーーー!!クソが!!」
「バッ。い、今何時だと思ってるのっ?」
「うっせえわ!テメェがアホ面晒してるからだろがスっ殺すぞ!」
「わかった!わかんないけどわかった!わたしが悪かったから静かに……」
 刹那は小声で叫ぶ。
 この男はバカなのだろうかと思った。
 2人の足は早まる。

「つか、こんな時間まで出歩いてなんか言われねえんか」
「あ、うん。わたしほぼ一人暮らしだから」
「あぁ?……親は」
「保護者は忙しくてなかなか帰って来れないの」
「……そうかよ」
 "親"と聞いたのに"保護者"と返ってきたことに気付き、爆豪は眉をしかめる。
 踏み込みはしないが、僅かにたじろいだ爆豪に、繊細な気遣いを感じ取ってぱちぱちしてしまう。今日だけで爆豪の知らない面を色々見てしまった。
「気にしないで」
 フ、と微かな笑い。死ねとか殺すだとか役立たずだとかすぐ言うくせに。変なの!人間って単純だ。もう刹那はとっくに爆豪が嫌いじゃなくなってしまっていた。

 彼は本当に刹那をマンションの前まで送って行ってくれた。これからまた20分かけて帰るのだ。
「タクシー呼ぶ……?」
「いいわ。こんくらい」
「そか。あの、ほんとにありがと……」
「クッソだるかったわ死ね!」
「うん。ありがと」
「笑ってんな!めんどくせえからンな時間に出歩いてんじゃねえ」
「ふふ」
「返事は!」
「……はあい」
「……」
「……?」
「いいからサッサと帰れや!」
「う、うん。おやすみ、爆豪くん」
「おう」

 彼は刹那がエントランスを通ってエレベーターに入るまで背中を見ていてくれた。
 部屋の前で少し小さくなった背中を見下ろす。
 フッと彼が振り返る。
 探すような視線に、刹那が小さく手を振ると、彼は中指を立てて怒った顔をした。さっさと部屋に帰れ、の意味だと分かる。
 刹那はもう一度大きく手を振った。

 すぐ怒鳴る人は嫌い。この言葉に嘘はない。でもなんだか、彼と過ごしてふわふわした気分になったのも嘘じゃないと思った。
 誰にでも弱いこころがあるように、誰にでも綺麗なこころがある。
 だから刹那は「だれか」を嫌いになれない。

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