16


「あ」
「あ?」
 昇降口で彼を見つけてしまい、刹那は思わず声を上げていた。
 爆豪勝己。
「……おはよう」
 一瞬逡巡し、まるで何も無かったかのように話しかけてくる刹那に爆豪は盛大な舌打ちをかました。
「話しかけてんじゃねえよ、クソモブが」
 靴箱の扉を叩きつけて、ガニ股で去っていく彼に苦笑する。
 まだ怒っていた。
 昨日「嫌い」だとかつい言ってしまった刹那だったが、その時の感情のまま口に出しただけで、本当に嫌いなわけじゃない。嫌いになるほど興味がなかった。

 そのはずなのに……どうして怒ってしまったのだろ。
 床の上履きを見つめる。
 雄英に入ってから、こころが色んなかたちに動くのが疲れる。新鮮でほわほわして面白いけど、こころを制御できないのは疲れる。
 いつも怒ってる死柄木や爆豪が、刹那には凄いことに思えた。


 爆豪に敵対認定されてしまったのか、刹那は彼の視界に入る度に殺されそうな目で睨まれた。
 最初はビクッと肩を揺らしていたが、何回も睨まれるうち、もはや律儀にすら感じて来てしまう。
「爆豪すごいキレてるよね?昨日のやつ?」
「あはは……そうみたい」
「しつこ」
 短く吐かれたその声は呆れは含まれていても、苛立ちや嫌悪感は含まれていない。入学して数週間で、爆豪のキャラは確立している。
「むしろ、切島から聞いてびっくりしたよ。怒ったの初めてじゃない?」
「怒ったっていうか……ちょっと言い返してみたくなったっていうか……」
「ケッ!」
「うわ」
 盛大な舌打ち。足を踏み鳴らして教室を出ていく爆豪の背中を切島が追いかけていく。
「聞こえてたみたい」
「あー……ごめん刹那」
 気まずそうに耳郎は頬を掻く。「んーん」刹那は微笑んで首を振る。
「いまさらだし」
 いつも困り眉で口もちっちゃくキュ、としている刹那だが、最近はよく笑うようになった。すみれとかたんぽぽみたいな、可愛くて清純な花みたいな。
 今も無理しているようには見えない。
 刹那は意外と顔に似合わず肝が座っているというか、図太いというか、ぶれないというか。だから本当に気にしていないんだろう。

 今日の授業はオールマイトのヒーロー基礎学で、コスチュームに着替えようと席を立つと、横からおずおずとした声が聞こえてきた。
「あ、あの……白凪さん」
「、どしたの?」
 ほぼ話したことの無い緑谷が話しかけて来たので刹那は少し戸惑った。
 椅子に座り直して身体を向けると手をわたわたして「ごごごめん邪魔して……」と焦る。
 耳郎が「先行ってるよ〜」と教室を出ていった。
「あ、あのほんとごめん、」
「いいけどどうしたの?」
「大したことないんだけど、かっちゃんと何かあったのかと思って……!温厚な白凪さんが怒るって、よ、よっぽどだと思うし」
「んん……」

 怒ったというか、あれは瞬発的な怒りだった。
 刹那と緑谷は訓練場に向かいながら話すことにした。
 唇を指でふにふにしながら少し言い淀みながら答える。

 昨日の自主練で山間マラソンになったこと。
 競走の形になったけれど、勝敗には興味がなかったので自分の限界ギリギリのペース配分で走ったこと。
 ラストはトップ争いのかたちになったけれど、刹那は1位を競う気がなかったこと。
 それを舐めてると怒らせてしまったこと。
 怒鳴られて怖かったけど、だんだん、なんで自分のための特訓なのに爆豪に怒られなきゃいけないのかもやもやしたこと。
 だから本人に直接「嫌い」だとぶつけたこと。

「へぁっ、?」
 ちょっと恥ずかしそうに語る刹那に緑谷は間抜けな顔をした。かっちゃんに嫌い?って直接言った?耳を疑って変な汗がダクッと吹き出す。
 そりゃ怒るよ!
 白凪さんす、すごいな……。
 そして意外にも思う。彼女がそんな風に喧嘩腰になるなんて想像が出来なかった。
 フォローの仕方が思いつかずに焦っていると、刹那がぽつりと呟く。

「緑谷くんは、爆豪くんと幼馴染……なんだよね?」
「う、うん」
「……」
 踏み込んでいいのか少し迷って、刹那は髪の毛を弄ぶ。
 緑谷はそれをキョトンと見ている。

「前爆豪くんが言ってたこと、少し気になってるんだけど……」
「かっちゃんが言ってたこと?」
「緑谷くんが無個性だって……」
「ヒュッ、」
 思わず息が止まった。
 心臓が急速に鼓動を刻み始めて、身体が冷たくなった。
 汗がダクダクと流れ落ちる。考えろ。考えろ!
 口から矢継ぎ早に言葉が零れ落ちる。
「そっ……それは、なんか後天的にきっ奇跡的に発現したらしくて!精密検査したわけじゃないからこれから先もしかしたらもっと違うことが分かるかもしれないけど例えば可能性として上げるなら僕の"個性"はリスキーだから元々"個性"が発現してたけど第二次性徴期と同時に表面化したとかあるいは……」
 刹那は突然捲し立て始めた緑谷に困惑を浮かべて首を傾げている。
「だ、大丈夫?」
「あっうん!ごめん、いつもの癖が……」
「……緑谷くんは知らなかったの?"個性"があること」
「うん、ずっと無個性だと思ってたよ」
「そっか……」

 刹那は目を伏せた。
 緑谷は刹那とは違う。先生が"個性"を与えたなら事前に教えられるはずだし、そうそう"個性"を与えられることがあるとは思えない。
 無個性として生きる……。
 彼に親近感を覚えた。その無力さを、痛みを、刹那は誰よりも知っていた。
「だから身体があんまり出来上がってないんだね」
「わ……分かるの?」
「うん。わたしもヒーロー目指すの遅かったから。爆豪くんとか轟くんとか尾白くんは、身体も、"個性"も使い慣れてる感じがするけど……緑谷くんは、急いで仕上げたって感じがする」
「観察力が鋭いんだね……」
 よく見てる。緑谷には彼女の鋭い視点が恐ろしくなった。武に通ずる人にはわかってしまう。それが怖い。

「無個性だと思ってても、ヒーローに憧れたんだね」

 すごいな……。緑谷に眩しさと、なんだろう、不思議な羨ましさを覚える。
「うん。僕はオールマイトみたいなヒーローになりたい」
 そう言い切る緑谷の瞳は太陽みたいにまっすぐ輝いていた。
 刹那はヒーローになりたいと思ったことは一度もなかった。こっそりと軽く握られた拳が緑谷の目に入ることは無かった。
 同じ無個性の2人。
 道が交わることはない。

*

「わーたーしーがーー!空から!来たー!!」

 ドォン──!!
 土煙が舞う。担当のオールマイトが飛び降りてきたのだ。派手な登場に歓声やら野次が飛ぶ。

 演習場βに集められたA組はそれぞれヒーローコスチュームを身にまとっていた。ビルが乱立する都心の市街を模した広大な演習場。
「今日はなんだろなー」
「戦闘かな?戦闘訓練?」
「前とは違うペアでやんのかな」
 オールマイトが手を上げると生徒たちは期待に目を輝かせて口を閉じる。

「今日のヒーロー基礎学は──人質救出!」

「「「ヒーローっぽいの来たあ!!」」」
「それこそヒーローって感じ!カッケーとこ見せまくってやろーぜ」
「合法で女子に触れる機会…だと……!?」
「峰田ちゃん、ダメよ」
「うおお燃えるぜ!」
「ハッハッハ。今日は敵チームとヒーローチームに分かれ、屋内戦を行う演習だ。人質は人形……といいたいところだが、ランダムに選ばれた生徒1名とする。もちろん無力化し一般市民と変わらない状態になってもらう」
「生徒!?」
「無力化ってことは何も出来ねえのか」
「それは危険では無いのですか!?」

「ウム。良い質問だ、飯田少年。その通り!自力で動けない人質は、攻撃を避けられなかったり、建物の崩壊に巻き込まれたりするだろう。しかし、それを守り抜くのがヒーロー!そして敵チームも、どう動けば有利に対応できるか頭を使うことで、プロになった際の敵との対敵に繋げることができる。人質役もより市民の心境を理解した行動を取れるようになるだろう。
 以前の戦闘訓練で、みな、どこか訓練だという油断が生じた作戦を取っていた部分が見える。しかし今回は人質は生きた人間……クラスメートだ!より緊迫感を持って訓練に取り組んで貰えるよう期待しているぞ!」

 飯田が感極まったように「全てが論理的で意味のある訓練……!さすが雄英……!」と感極まっている。オールマイトはカンペをポケットにしまった。
 絶対に相澤が考えただろうな、と刹那は思った。
「合理的ですわね」
「たしかに人質がクラスメートなら、前みたいな大技は使えないよね」
「見てんじゃねーぞ耳ィ!」
「耳郎ね。自覚あんじゃん」
「ま、前みたいな作戦を使うと人質を巻き込んでしまう可能性がある……まずいぞ……僕の手段も限られる……」
「出た、緑谷のブツブツ」

 A〜J組のくじ引きを引く。J組だけ3人ペアになる。刹那はC組だった。
「Cの人いませんか……」
 顔をキョロキョロさせると、瞼を痙攣させるように驚き顔を浮かべる爆豪と目が合ってしまった。彼の手に握るのは……Cのくじ。
 彼はグシャッと握り潰して苛立ちに顔を歪めた。
「最悪だ……テメェかよ兎野郎」
「うわあ……よろしくね」
「何がウワだテメェこっちのセリフなんだよ!」
「うっうん、ごめん」
「いちいち謝んな殺すぞ!」
「ひぅ、ごめ、あっ」
「だから……っ!」
 耳を垂らしてぺぺぺぺとコミックみたいに焦る刹那と、目をつり上げる爆豪はどう見ても加害者と被害者にしか見えない。

 胸倉を掴む勢いの爆豪は迅速に切島と上鳴に回収されて行った。ごめんな!と爽やかに謝られ、刹那は曖昧に頷いた。
 作戦を立てるとか立てないとか、もはやそういう段階にない。
 まあ……なるようになるだろう。
 最悪、爆豪は無視して刹那だけ逃げ切れば良いのだし。むしろ爆豪を囮にする……?いつもやってることと変わらない。
 追いかけてくるヒーローから、たまたま一緒にいた野良敵や、たまたま近くにいた市民を使って逃げるのは慣れている。
 ヒーローの場合でも、二手に分かれるのは悪い手では無いはず。多分……おそらく……。大声でゴネテいる爆豪を横目で見ていると、しかし刹那はそこはかとなく不安に襲われるのだった。
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