09

 シンディーから送られてきたクッキーやマフィンの詰め合わせをモソモソ食べながら、談話室で教科書を開く。リリーも一緒だった。入学してひと月ほど過ぎたがセツナが劣等生なのは変わらずで、リリーはマグル生まれとは思えないほど優等生だった。
 理科でおしべとかめしべとか、優性遺伝とか劣勢遺伝とかの話を先生が軽く話していたし、セツナの他の日本人より明るい髪や、光によって色々な色が混じるヘーゼルアイについて優性の法則を小学生ながらに調べたこともある。
 だから魔法族の遺伝子も優性遺伝で、その濃さによってたとえば魔力だとか、魔法の扱いやすさに違いが出るのかと思ったけれど、リリーやメアリーを見ているとそんなこともないみたいだ。

 脳みその端っこでそんなことを考えつつ、魔法界の歴史を個人的にレポートに纏めていると、ビカビカ発光しているような圧の強い声が聞こえた。
「やぁ、エヴァンズ! 課題をやってるのかい?」
「見たままよ」
 ジェームズは素っ気ない返事にもニッコリしてリリーの手元を覗き込んだ。薬草学のレポートで、期限は1週間後だった。1年生はまだレポートに慣れていないからスプラウト先生が期限を長めに設定してくれていて、セツナはまだ手付かずだった。
「僕終わったから手伝おうか?」
「えっ、もう?」
 思わずといった感じでリリーが感心した声を上げると、ジェームズは顔を明るくさせて断然前のめりになった。
「課題は出たらすぐ終わらせてるんだ。その方が自由な時間が取れるからね。今は何について纏めてるんだい?」
「結構よ。自分でやるわ」
「遠慮しなくていいよ! 人に教える機会が最近増えてさ。同室のペティグリューがよく僕らに泣きついて来て、なんでこんなのも分かんないんだろうって不思議ではあるけど、意外と人に教えるの楽しいかもって気付いたんだよ」
「……」

 リリーは無視して教科書を眺めていた。ジェームズが空いているソファに座り、肘をついて「いつでも聞いてくれよ」と言い、しばらくリリーの顔を見つめた。
 彼女の腰のあたりまで伸びた赤髪は緩くウェーブし、西に傾いた陽が目につくもの全てを染め上げる夕焼けにも、風に揺れる紅葉の海にも似ていた。俯いて垂れた前髪から覗くエメラルドの瞳は意志の強さを浮かべ、分厚い睫毛がまばたきするたびに音を立てる。シームレスな肌はどれだけ暗い場所にいてもいつも生き生きと健康的なツヤを放っていた。

 ジェームズに穴のあくほど見つめられ、リリーはどんどん顔を強ばらせた。相手をする方が面倒だと思い放置していた彼女が、しかしとうとう苛立ちに顔を跳ねあげようとする瞬間、ジェームズが機敏にセツナの方を向いた。
「美味しそうなマフィンだね。これ君の?」
「あ、う、うん」
「へー。貰っていいかい?」
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
 セツナがいることにすら気付いていないかと思っていた彼が話しかけてきて、どもりながらも何とか返す。答える前にすでに彼はマフィンを持ち、食い気味に笑顔を浮かべた。断られることを一切恐れていないジェームズにセツナは感心すら覚えた。
 彼みたいに生きられたらきっと楽だろうな……。

「美味しい! 手作りだよね、これ。君のママって料理上手だね!」
「あ、ありがとう。ママに伝えとく……」
「魔法薬学は料理に通ずるって僕のママも言ってた気がするなー。あっ、シリウス、リーマス!」

 ジェームズがいきなりのけぞった。椅子を後ろに倒し、手を上げて談話室の扉の方に手を振り、2人がやってきた。セツナは逃げ出したくなった。
 男の子とあまり絡んだことがないし、セツナは男の子が苦手だ。声が大きいし、怖い。それにませ始めた年頃の女の子たちは誰がかっこいいとか、付き合ったとかいう話を好むのは日本もイギリスも変わらずで、セツナのオドオドとした喋り方や怯えたような態度、媚びるような笑顔はよく「ぶりっ子」だと言われがちだった。

「何してんだよ」
「見て、これ。ノースエルのママが作ったんだってさ。すごく美味しいよ」
「ちょっとあなた、セツナのお菓子なのに勝手に自分のものみたいに……!」
「あっ、ごめんごめん。彼らにも分けてあげてもいいよね?」
「は、はい、どうぞ」
「……」リリーがギラッと怒りを眼差しに浮かべたが、セツナのことに口を出すべきでは無いと思ったのか、黙った。
「いや、別に……」
「申し訳ないよ」
 シリウスは素っ気なく言い、リーマスは眉を下げたがジェームズはかまわず2人の口にクッキーを押し込む。シリウスは片眉をピクッとさせ嫌そうに口を動かしたが、リーマスは目を丸くした。
「! 美味しい!」
「だろ?」
「なんであなたが得意気なのよ」
「気に入った物を他の人も好きになったら嬉しいじゃないか。シリウスはどう?」
「……美味い」
「嫌そうな顔に見えるけど? 勝手に来たくせに失礼な人ね」
「そうそう! もっと美味しそうに食べなよ。リーマスみたいに」
 名前の上がったリーマスは2つ目を食べてもいいのかと空中で手をさまよわせているところだった。肩を揺らした彼に「部屋にまだあるから、好きなだけ……。マフィンも良かったら……」と促すと、頬をかいてへにゃりと笑った。
「ありがとう。ごめんね、図々しくて」
「き、気にしないで」
「君って甘い物が好きなの? デザートもよく食べてるよね」
「実はかなり。チョコレートはいつも持ち歩いてるし。あ、これあげるよ。スイーツのお礼」
「あ、ありがとう」
 ローブからカエルチョコを取り出してリーマスはニコニコと次はマフィンを食べ始めた。シリウスは1つ食べたっきり、飽きたように足を交差して、気だるげに立っている。

「シリウスは? もういらない?」
「俺はいいや」
「ふうん、美味しいのに」
「美味かったよ。でも他人の手作りってあんま好きじゃねーんだよな……」
 罰が悪そうにガシガシ髪を混ぜ、何かを思い出すみたいな遠い目をした。その様子を見てセツナはピンと来た。前に何かあったのかもしれない。恋する女の子って過激だし。

 まるで自分が作ってきたみたいに振る舞うジェームズに、リリーのフラストレーションがそろそろ溜まり始めた頃、3人は来た時と同じように突然にさらっと帰っていった。
 去り際、シリウスが観察するような、何か言いたげな瞳で数秒間セツナをジッと見下ろしたが、結局彼はフイと視線を逸らした。たった数秒のことだったが、セツナは石のように固まり、カッカッカッと顔が沸騰したみたいになった。
 睫毛がキラキラ照明に光り、鋭く高い鼻が完璧なシャープを描いていた。透明度の高く感情を読み取れない硝子のようなグレイアイや、一縷の隙もない人間離れした美貌の前に、セツナのような小市民は瞬間的にドキリとして動けなくなる。

「ようやくうるさいのがいなくなったわ。セツナ、続きは部屋でやりましょうよ」
 うんざりした調子のリリーを心底尊敬した。硬質な美しさを持つシリウスや、全身から存在感を主張してくるジェームズと当たり前に話せるのは、リリーが彼らを何も恐れず、対等からだ。そういう意味では、たぶんセツナは誰とも対等じゃない。一生誰かと対等になり得ることなんてないのかもしれない。

*

 廊下を歩いていると、ドンッと肩がぶつかった。腕の中からバラバラと教科書が零れる。
「どんくせぇな。スクイブは誰かに迷惑をかけないで普通に歩くことも出来ないのか?」
 教科書を拾うセツナの頭に、悪意に満ちた嘲笑が降ってくる。この声はエイブリーだ。セツナは廊下の端っこを俯いて歩いていたから、たぶんわざとぶつかって来たんだろう。
 いつもだったら胸がぎゅっと痛んで、ただやり過ごすことを考えているけれど、今はチャンスだ、と思った。
 顔を上げると、エイブリーにマルシベール、それにラバスタン・レストレンジもいた。よくつるんでいる3人だ。図書室で自習していたところだったから、今はセツナ1人しかいない。
 良かった。

「う、うん。本当にごめんなさい、エイブリー家のご子息に迷惑をかけちゃうなんて……。これからは気を付けるから」
 ヘラリ、と笑って顔色を伺うように見上げる。自分が随分媚びた顔をしているだろうと思った。彼等からは前髪で隠れて見えないかもしれないけれど。
 エイブリーは目を丸くしたが、マルシベールは眉根を上げて不快感をあらわにした。
「へえ……もしかして僕たちに取り入りたいのかい? 吼えメールまで送られてきたようだからね」
 セツナの浅い考えは、見事にまるっと見抜かれているようだった。
「不愉快だ。お前ごときが気軽に話しかけてくるな」
「そ、そうだね。ごめんなさい。わたしはマグルの血を引いているし……マ、マルシベールに声を掛けるなんて、図々しかったね」
 彼は話にならない、という風に綺麗な顔を軽蔑に歪めて舌打ちをした。しかしエイブリーはアンバーの瞳をキラッと面白そうに光らせ、レストレンジに至っては「穢れた血の割に話が分かるな」とセツナに声を掛けていった。

 3人が去っていき、ふーっと深く息を吐く。
 怖かった。でも、ほんの少し前進した気がする。友達になれなくてもかまわない。こうしてちょっとずつ、見下される対象であっても、顔見知りになっていけば……パーティーで会った時、祖父母の前で会話を少しでも出来るような関係になれれば……。

 セツナは人に嫌われるのも、浮くのも、いじめられるのも怖い。悲しいし、胸が苦しくなる。
 でもそれよりもっともっと苦しいことを知っている。
 大事な人に捨てられることだ。
 自分のせいで、居場所がぐちゃぐちゃになること。それが何より怖い。
 きっと、祖父母がどうしてもセツナが目障りで仕方なくなってしまったら、ママはセツナを選ぶだろう。セツナのせいでママが家族を捨てる選択を取らなければならなくなるなんて、セツナはそんな酷いことをシンディーにさせたくないのだ。
 今のママは誰よりも家族が必要な時期なのだから……。

 深呼吸して歩き出すと、曲がり角にシリウス・ブラックが立っているのに気付いた。彼はセツナが竦み上がるほど、鋭い、冷え切った軽蔑の瞳でセツナを見下していた。
 足が止まりそうなのをなんとか動かし、俯いたまま彼の横を通り過ぎる。
 視線は追いかけて来なかった。
 見られていたんだ……。

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