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 火曜日の授業は4時限全てが魔法薬学になっている。通常の授業は2限続きが多いけれど、魔法薬は調合に時間がかかるためだ。
 最初の2限はテストが行われた。
 ハッフルパフはあからさまにため息や呻き声が充満し、レイブンクロー生も顔を顰める生徒が多かったが、スネイプ教授が昏い瞳で教室を見渡すとたちまちに静寂が場を満たした。

「わかっているとは思うが……仮に……愚かな手段に出た場合。その人間は人生の最も惨めな記憶を上塗りされるだろう。それでは、開始」
 スネイプ教授はむしろそうなってほしいかのように、じっとりと湿るような声音で教室を支配していた。
 脅しなんてかけなくても、ハッフルパフやレイブンクローカンニングをするような生徒はいない。しかもこのスネイプ教授のクラスで……。多分それをする人間は勇敢だとか無謀だとか愚者だと呼ばれる。つまり、ある寮しか当てはまらない。
 とある双子のニヤけた笑顔が浮かんだ。

 テストは一問一答が100問ほど続き、最後に羊皮紙1巻分のレポートが課されていた。
 最初の数十問は基本的な問い、例えば生ける屍の水薬の効能、材料、材料の性質、気をつけるべき点……などに集約され、ユーニスはサクサクと羽根ペンを動かした。
 中盤の材料生産地、水薬を開発した薬学者、この薬の危険性に警鐘を上げ規制した魔法省の法律評議会なども、難しかったが、いちおう解くことは出来た。

 後半の設問はあまりにも高度で、上級生レベルだと思われた。スネイプ教授の性根の意地汚さがこれでもかというほどまっすぐ詰め込まれているように感じる。
 生ける屍の水薬で初めて起きた犯罪の事例と判決、材料を変えた時の事故の事例、また作り方をどのように工夫すればより効果的な調合が出来るかなど……記述問題が多く、ユーニスですら羽根ペンをへし折りたい衝動に駆られた。教室はガリガリ机を削るような音や貧乏ゆすり、舌打ちがとめどなく流れていた。

 しかしユーニスは設問の何問かはピンと来るものがあった。

 1929年、魔法省のノリエル・ヤンドに対し、同じく魔法省サータナ・モンタミアが飲料物に水薬を混入させ、自死を装った「安楽死事件」について、その動機と判決を述べよ。
 また、最高判事の名を答えよ。

 この前ディゴリーとやったところだわ!
 ユーニスは目を開いた。誰も水薬を巡る事件について深めようとはしなかったが、ディゴリーが
「おできを治す薬について習った時に、スネイプ教授は過去の例について触れていたから」と、『魔法薬による凄惨な過去』『魔法薬を巡る犯罪』なども読んでいたのだ。

 みんな「考えすぎだろ」「セドリックは真面目だよなー」「ここまでやれば大丈夫だよ!1番になりたいわけでもないしさ」と勉強を辞めてしまったが、ディゴリーは苦笑してまた本に目を落とした。
 彼がそう言うからには何か理由があるんだろうと尋ねてみると、ディゴリーは驚いた後、少し嬉しそうに話してくれた。

「おできを治す薬は手順を誤ると、酷い爆発と重度の炎症を巻き起こし、それを利用した犯罪の事例が教科書の脚注に記載されている、って言ってたの覚えてる?」
「ううん……覚えてないわ」
「仕方ないよ、すぐ重要な箇所についての説明に移ったし。でも、なんていうのかな……」
 ディゴリーは少し口篭り、空中を僅かに睨んだ。考えながら口を開く。
「魔法薬の作り方や効能だけじゃなくて……。魔法薬そのものの歴史、みたいなものまで踏み込んで、スネイプ教授は理解しているっていうのかな……。自然な流れだったからなおさらそう思ったんだ。それって、スネイプ教授にとって当たり前のことなのかなって」
 普段あまり喋らないディゴリーがゆっくりとだが、たくさんユーニスに意見を伝えようとしてくれた。ユーニスは足の裏がくすぐったくなって爪先をモジモジさせた。

 あくまで勝手な予想なんだけどね、と自信がなさそうな口振りだったけれど、そんなことない。
 ユーニスには全くない視点だった。ディゴリーは色んなことをよく見ていて、それを理解しようと努めている。本当にすごい。手のひらもくすぐったくなってきて、指先を絡めながらディゴリーに賞賛を送ると、「こんなこと人に話すの初めてだから嬉しいよ。ありがとう、聞いてくれて」とはにかんだ。
 ユーニスはディゴリーの顔が見れなくなった。
 彼は本当にすごい。わたしとは全然違う!なんて広い視野を持っているの。
 ユーニスの中にまた、ディゴリーへの憧れと尊敬が募った。

 そういう訳で、設問のいくつかはディゴリーと読んだ本に載っていた事例だったし、レポートについてもそれを踏まえた文章を書けたと思う。
 先見の明に長けるディゴリーに感嘆のため息をつく。

 少し離れた席の斜め前に座るディゴリーをつい見つめると、フッと彼が視線に気付いた。ほんの少し振り返り目が合う。
 彼の柔和な顔が笑みを象った。ユーニスもこっそりと笑顔を返した。直ぐにお互いテストに視線を戻したけれど、内緒のやりとりみたいで嬉しい気持ちが次々と湧いて出て、集中するのが困難だった。

 テストの結果はレイブンクローを抑えて、ディゴリーが首位に輝いた。
「70問目以降を8割方正解したのはディゴリー、デイヴィス、アレンビー、バーネット、ベインズのみだ。ごく僅かに脳みそはあるようだが、次はご同輩であるトロールの諸兄らにその脳みそを分けて頂きたいものですな」
 暗に、同じ寮のバカに教えて成績をどうにかさせろ、と嫌味を付け加えられたけれど、スネイプ教授がディゴリーを明確に褒めた。名前を挙げられた中でハッフルパフはディゴリーだけだった。
 ユーニスがうっとりと彼を見つめていると、授業が終わった途端、彼はワッと囲まれ始めた。男子も女子も彼を褒め称えている。レイブンクローも混じっていた。
 ディゴリーは少し眉を下げて笑った。
「たまたま読みが当たっただけだよ。でも、スネイプ教授に褒められたのはちょっと嬉しいかな」
 謙虚な態度にみんな満足そうだった。ここで威張ったり得意げ過ぎるとカチンとくるかもしれないけど、ディゴリーは常に控えめなのだ。

「ディゴリーって優しいだけじゃなくて頭もいいのね」
「大人しくて地味だと思ってたけど……」
「彼って箒も得意だったよね?」
「なんでも出来るわね」
「それに、よく見たらとってもハンサムだわ」
「やだ。セドリックって素敵かも……」
 あちこちからそんなヒソヒソ声が聞こえてきて、ユーニスは嬉しくなった。彼の魅力に気付き始める女子が増えて来ている。内心ふふん、と胸を張り、そうでしょうそうでしょう、と得意に思う。
 わたしは彼が素敵だって前から知ってたわ。
 ディゴリーのファンであるユーニスはしたり顔で頷いて彼女たちの会話を聞いていた。ユーニスの胸は喜びと満足感で満たされていた。

*

 トランクに荷物を詰め込んでいく。古くなったネグリジェや少し小さくなったトレーナー、休暇用にたっぷりと出された課題と教科書、参考書、よれてきた羽根ペン、残り少ないインク。レニとよく見ていたティーンズカタログにファッション雑誌、ジェイミーからのレターセット、羊皮紙他にもいろいろなものを詰め込んだらトランクをバタンとしめる。
 ローブも杖も、本当は必要ないからしまってもよかったんだけれど、列車の中でまでは魔法を使っても暗黙の了解で許されていたから、スカートのベルトに差し込んだ。
 休暇中はホグワーツが閉鎖され、ユーニスはマグルの世界で過ごすことになる。不可思議な世界とほんの少しだけお別れするのは、なんだか落ち着かない気分になった。マグルの世界で魔法は使えない。でも、魔女の必需品がないと物足りない気持ちになるのだ。
 たぶん、魂から魔女なんだ。ユーニスはそう思った。魔法族はきっとそういう生き物な気がした。
 ホグワーツにはまだ1年しかいないのに、「家に帰る」気持ちと、「マグル界に行く」気持ちがある。帰る場所がふたつあるのは不思議な感覚だけれど、その感覚がどこか心地いい。

 ホグワーツを去る前に旧温室を見て帰ろうと思った。木の影に隠れるようにして立つ秘密基地。重たくて金具が一部錆びかけた扉を開く。中には先客がいた。
 壁際のソファにゆったりと凭れているディゴリーが軽く片腕を挙げた。
「ごめん、お邪魔してるよ」
 彼が少し横にずれた。ユーニスは1人分の距離をたっぷり取って彼の横に座った。一緒に温室に来たことは何回かあるけれど、彼1人でここにいるのを見るのは初めてだ。
「よく来るの?」
「たまにね。ここは落ち着くから」
「そう」
 2人は何を言うわけでもなく、無言でぼーっとしていた。ディゴリーは太陽が動く度に模様を変える陽光を目で追って、ユーニスは彼と、自分が育てた花を見ていた。
 ドミナ・ドーヌムは真紅と純白と淡紫の花を咲かせていた。それぞれ単色の花もあれば、花弁の1枚1枚が3色の花も、それぞれの色が斑に混じりあった花弁もある。壁の一角を完全に覆っている数百もの花たち。
 今の時期に一斉に咲き誇り、3ヶ月もの期間昼夜問わず咲き続ける、生命力に満ち溢れた花。
 いくつもの魔法薬に使用される優秀な薬草でもあり、ユーニスもドミナの蕾、花と、露、葉や枝を既に十分な数採集していた。夏休みにリリアナ叔母さんの店で作成をする予定だった。

「すごく綺麗だ」
「えっ?……ああ、そうでしょ?」
 ポツリと呟かれた声に一瞬ビックリして、けれどすぐに落ち着きを取り戻した。ディゴリーは緩んだ表情でドミナを眺めている。
 いつも穏やかで、完璧な微笑を湛え、常に人に囲まれているディゴリー。
「この場所好きだな。何だか安心するよ」
「わたしも大好きなの。ディゴリーに気に入ってもらえてうれしい」
「ベルもこの温室みたいな雰囲気を持っているよね。君の前では、なぜか肩の力を抜けるんだ」
「そ、そうっ?」
 他意が無いのは分かっているけれど、ユーニスは一瞬で肩が強ばり、気付かれないくらいに俯いた。頬が急激に火照った。ユーニスは笑いながら話を続けた。
「友達にも落ち着いてるって言われるの。だ、だからかもしれないね」
「そうだね。すごく話しやすいし」
「……ありがとう。ディゴリーは期末試験、4位だったよね。すごいなあ」
「大したことないよ。たまたま……って言うと少し傲慢に聞こえるね、そんなつもりないんだけど」
「わたしにとってはすごいことよ。もう少し誇ってもいいのに」
「うん……結果が出たのは嬉しいよ。すごく」
 ディゴリーは6月末に行われる学年末試験で、4位を獲得していた。ハッフルパフ内では1番の成績だし、ハッフルパフからそこまでの優秀な生徒が出るのは久しぶりの事だった。
 スプラウト教授は、成績の優秀さはあのニンファドーラ・トンクスも超えるかもしれないと、2人の時こっそりと仰っていた。トンクスはハッフルパフの6年生で、素行はちょっと荒れているけれど、成績はずば抜けて優秀であり、将来闇祓いを目指しているらしい。先生からの期待も高い生徒で、そのトンクス並の才能があると言わしめるディゴリーはやはり、他とは違う存在だと思った。

 2人はまた少し黙った。ディゴリーはおしゃべりではないけれど、ユーニスといる時は殊更に寡黙になり、2人の間に沈黙が流れることが多々あった。
 しかし、その沈黙はなぜか、静かな時間を共有する心地よい時間にユーニスには感じられた。気まずいどころか、その沈黙によって繋がっているような。

 少しして、ディゴリーが立ち上がった。
「そろそろ行こうか」
 ユーニスは頷いて、温室を見渡した。夏休み明けはマグルの花も咲かせてみよう。ワクワクしながら心の中で呟く。
 行ってきます。

 ホグワーツでの1年間が終わった。


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