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 のんびりと時間が流れる陽気な昼下がり、突然妹の興奮した声が響いた。
「お姉ちゃん!お姉ちゃんフクロウ!フクロウだよ!」
「あら。なにかしら?ホグワーツからの案内は7月下旬って言ってたし……」
「お姉ちゃん手紙!フクロウが食べてる!お姉ちゃん!」
「はいはい、今行くから落ち着いてよ」
 ユーニスは刺繍をしていた手を止めて、慌ててリビングに降りていく。妹のクラリスがぴょんぴょん飛び跳ねながらフクロウを捕まえようと格闘していたので、ユーニスは間抜けな声を上げて妹の肩を慌てて掴む。バッサバッサと羽音が響く。
「おバカ!何してるの」
「だって逃げちゃう!ねえあのフクロウ何?魔法の世界のフクロウなの?特別な子?なんで来たの?」
「魔法界はフクロウで連絡のやり取りをするのよ」
 洪水みたいに疑問をぶつけてくるクラリスに苦笑して、ユーニスは怯えと警戒を露わにするフクロウを優しく抱き寄せた。
「妹がごめんね。手紙を持ってきてくれたのよね?ありがとう」
 羽を優しく撫でて宥めると、フクロウはフシャーッと膨らませていた胸を徐々に小さくし、嘴を差し出した。受け取った手紙を開ける。
「ねえ、フクロウって何食べるの?なにかあげたい!」
「んん……何か大きいお皿に水入れてあげて?」
「水飲むんだ!」
 妹がてててっと走っていく。
 手紙はレニからだった。

「ハァイ、ユーニス!元気?
 わたしは全く元気じゃないわ。課題が多すぎて嫌になっちゃう!サマーバケーションを全て机に齧り付いて終わらせるなんてありえないわよね?
 ということで、みんなで遊ぶ計画を立てたのよ。
 2週間後の水曜、昼、ダイアゴン横丁集合。
 みんな魔法界は行きやすいはずよね?何か問題があるとすればグレンダだけど、こんなに早く予定を立てるんだし。
 わたしユーニスの叔母さんのお店に行ってみたいの!
 面白い道具がいっぱいあるんでしょ?どんな人かも気になるわ。いつもユーニスがお世話になってますってご挨拶しなくちゃ。
 じゃ、いい返事を待ってるわね。
 良い夏を。」

 手紙すら話し言葉そのままなレニにクスッと笑う。手紙からはユーニスの好きなアイリスの香りがかすかに漂っている。シャボンのような、甘くて清潔で優雅な香り。
 返事を書こうと部屋から手紙セットと羽根ペンを取ってくると、ボウルから水を飲むフクロウをほへーーっと妹のクラリスが興味深そうに覗き込んでいる。フクロウは警戒心を顕にしながらも、長旅で疲れたのか、チビチビ浴びるように嘴を浸けていた。スコットランドからベル家はとても遠い。
 手紙は花が織り込まれたものを選んだ。
 ユーニスも後で自分で作れるようになりたいと参考にしているお気に入りのセットで、当日遊びに行けること、来週にはもうダイアゴン横丁にいること、課題はもう半分は終わっていること、会えるのが楽しみなこと。
 すらすら書いていると、クラリスがきらきら見つめてくる。
「羽根ペン?っていうの初めて見た!使いづらくない?」
「最初は慣れなかったわ。すぐ羊皮紙に引っかかるし、長くて持ちづらいし、インクが滲んだり掠れたりしてしまうし。でも今はもう、ボールペンが書きやすすぎて違和感を感じちゃう」
「ふうん」
 クラリスの顔には憧れが浮かんでいる。1つ年下のこの妹には魔力が発現しなかったようで、昔から変なことが起こるのはユーニスだけだった。
 種を埋めた瞬間に芽が出てきたり、階段から落ちたのに空中で止まったり、猫やカエルやフクロウに好かれやすかったり……。
 非科学的な現象に父は慌てたけれど、母はピンと来て叔母さん──母の妹のリリアナに知らせた。そしてやはり、と答えが出たのだ。ユーニスがリリアナと同じ「魔法族という種族」であることが。
 物心つく頃からリリアナに可愛がられ、魔法界に出入りしたり、魔法のことを教えてもらっているユーニスのことを、妹のクラリスは羨ましくて仕方がなかった。
 魔法界はマグルからは隠されなければならないものだから、クラリスはあまり深入りさせてもらえなかったけれど、こうして目の前で姉が非現実で神秘的な現象に触れていると、自分も魔女だったら良かったのに、と思わずにいられない。

 夕飯は母のシチューだった。庭で育てているツヤツヤの人参が美味しくて、顔を綻ばせてはふはふ食べる。
「姉さんのところにはいつ行くの?」
 母がユーニスに水を向けた。
「来週は忙しいから手伝いに来てって言われてるの。バケーションは学生も増えるから、隣のパブもお客さんがひっきりなしにやってくるのよ。叔母さんの作るお酒はとっても人気でね」
「まさかユーニス、お酒を作ってるの!?」
 びっくりしたように声が上ずるので、ユーニスはギクッとして慌てて首を振る。
「そんな、わたしはおつまみの仕込みを手伝ったり、卸すお手伝いとか、ジョークグッズを一緒に作ったりするくらいだよ!今年の夏は何を作るのかしら。叔母さんの発想ってナナメウエで面白いんだよ。髪の毛がお花になるスモッグ・ボールが1番好きで……」
「ああ、悪いことをしてないならいいのよ。そっちの法なんかは私は分からないけど、あなたはマグルの子でもあるんだから、ちゃんと分別のある行いをしなきゃダメよ?」
「うん、分かってるよママ」
「全くリリアナったら、昔から破天荒だけどユーニスを染めてしまわないかしら……。まだ魔法界で生きていくって決まったわけでもないのに……。あんまり変なことに染まって欲しくないわ」
「…………」
 ユーニスは曖昧に笑って頷いた。
 母はマグルで、叔母は魔法族。生きる世界が違う。2人は仲は良いけれど、お互いの世界のことをぜんぜん知らないし、知る気もないようだった。
 ユーニスが魔法界の話をしてもあんまり興味が無さそうで、変なことって言われてしまうから、ユーニスは家族に魔法界のことを言うことが少なくなっていく。
 うちはうち、よそはよそ。
 わたしはわたし、あなたはあなた。
 魔法界は魔法界、マグルはマグル。
 多分そうやって区別して生きることが、魔法界とマグル界の正しい共存の仕方なんだと思う。少し寂しいけれど……でも、魔法界はマグルから隠されなければならないものだから。法律でそう決まっているから、きっとそれが正しいんだよね。

*

 ポンッ。
 軽快な音が響く。リリアナの姿現しだ。周囲は薄暗く、ゴミやシミの目立つ汚い裏路地だった。プウ〜ンと鼻につく匂いに顔をしかめる。見る限り人は誰も居ないけれど、遠くの方から人々が行き交う足音や街の音が聞こえてくる。
「すごい!すごいすごい!これって瞬間移動っ!?何がどうなったの?ねえ叔母さん、」
「リリアナよ」
「あっ!ごめんなさい、えっとリリアナ、ここどこなの?わたしたち瞬間移動しちゃったのっ?さっきまで家にいたよね!?」
 はしゃいだ声はクラリスだ。
 リリアナとユーニスとクラリスは今、マグルの……ロンドンの裏路地にいた。
 リリアナの両腕に捕まって姿現ししたのだ。
 クラリスは初めてのすごい魔法に興奮しきって、リリアナに縋り付いてワーキャー喜んだ。それをいなしながら2人の背中を押す。
「漏れ鍋はすぐ近くよ。行きましょ」
「うん!すごく楽しみ!」

 なぜ3人がロンドンにいるのか。
 ユーニスを迎えに来たリリアナにクラリスが泣きつき、妹も魔法界に遊びに来ることになったのだ。母はいい顔をしなかったけれど、泣きそうになりながら「わたしも連れて行って」とおねだりするクラリスに、叔母はあっけらかんと「まあ今日くらい案内してもいいか」と笑ってクラリスも着いてくることに決まった。あんまりにも簡単に言うからユーニスはびっくりしたけれど、リリアナがいいと言うんだからきっと大丈夫なんだろう。
 手を繋ぎながらふんふんご機嫌に鼻歌を歌う妹に微笑ましい気持ちになる。
 叔母さんのお店をお休みさせてしまうことに申し訳無い気持ちはあるけれど、魔法界に興味津々なクラリスの喜ぶ顔を見れて、ユーニスも嬉しかった。

 ロンドンは大都市だからユーニスもあまり来たことがない。キョロキョロしながらリリアナにふたりの子供がとてとて着いていく。
 いつもリリアナの姿現しでお店に連れて行ってもらうのだけれど、今日はクラリスもいるし、いい機会だからユーニスも1人でマグルの世界から魔法界に来る方法を知っていた方がいいと言われ、裏路地に飛んだというわけだった。

 ユーニスは最初、魔法界の入り口が全く分からなかった。あまりにもみすぼらしい店だったから。
 リリアナがつんつんとつついて、「もう見えるわよ。分かる?」と面白がるように聞かれてやっとその店があると知ったくらいなのだから、わかるわけが無い。
 チャリング・クロス通りの本屋の近く。ということは知識で知っていた。本屋はすぐ見つけられた。ユーニスはジーッと目を凝らす。
「えっ、えっ、もうあるの!?分かんないよ、どこどこ?」
 クラリスもそっくりな顔で目をむーっと細める。
 本屋、レコードショップ、花屋、銀行、郵便局……ズラーっと通りを眺めて、また通りを左側から舐めるように見ていくと、フッと何か違和感を感じた。
「あっ」
 本屋とレコードショップの間に、しみったれた、背景に溶け込んでしまうくらい小さくてボロい小屋みたいなお店があった。
 え?まさかあれが?
 人々は本屋とレコードショップにはぞろぞろ入っていくけれど、その小さな店だけは世界から隔絶されたみたいに、ポツンと寂しそうに人の輪から外されている。
「あら。見つけたのね」
「うそ、だって漏れ鍋って1番人気のパブじゃない。たしかに少しボロいとは思ってたけど……あそこまで?」
 それにあんなに小さくもなかった。
 2階より上はホテルの役割もあって、いつも人がたくさん溢れ返っているのに。
 戸惑うユーニスに叔母がクスクス満足そうに笑う。
「拡張魔法があったら大きさなんて関係ないでしょ。それに、隠れるためにわざとああいう見た目にしているのよ」
「ふうん」
「えーっお姉ちゃんもう見つけたの!まだ分かんない、ちょっと待って……えー、どこー!?」
 リリアナがクラリスの頭を撫でた。
「マグルには見えないようになってるから、あなたには見つけられないわ」
「えっ……そうなんだ……」
 クラリスは言葉を失って、シュンと肩を落とした。花が萎れるような妹にユーニスは途端に可愛そうになってしまったけれど、リリアナはポンと軽く背中を叩いて歩き出してしまった。少し冷たくて気圧される。叔母さんは面倒見が良くて優しいけれど、優しくない。
 本屋まで来るとリリアナはクラリスの目を隠した。
「わっ、どうしたの?」
「目をつむっていて。いい子ね」
 何故かいたたまれなくてユーニスは目を逸らした。リリアナはクラリスを魔法界の住人にするつもりはさらさらないんだとわかってしまった。
 マグル生まれのレニが言ってたから知っている。
 漏れ鍋はそこにあるって分かっていれば、マグルも見えるようになるって。入学する時両親と一緒にダイアゴン横丁に行って、その後両親はレニがいなくてもパブがあるのが見えるようになったって……。
 今日わざわざロンドンから来たのも、ユーニスが1人でも大丈夫になるためで、クラリスが行き方を隠されるのは1人では来れないようにするためなのかもしれない。
 そう思ったら胸の奥がズシッと重くなる。
 クラリスのためでもあるし、魔法界のためでもある。きっとそうしなきゃいけないことなんだろうけど……。

 リリアナの視線に促されて、ユーニスはおずおずパブの扉を開いた。すると、先程までは一切聞こえなかった喧騒がワッと降ってきた。
 後ろから2人も入ってくる。店主のトムがリリアナを見て、不格好にニヤッと怒鳴る。
「なんだ、リリアナ!珍しいじゃないか。マグルの方に戻ってたのか?久しぶりだね、ユーニス」
「こんにちは、トム」
 ついでみたいな挨拶にもユーニスはニコッと反射的に返す。子供店員はバカにされがちだけど、笑って丁寧に接すると、何故かおとなはそれに萎縮するからユーニスは笑顔を浮かべるのに慣れていた。
「今日は子供が1人多いじゃないか。隠し子か?」
「バカ言わないで。お守りが1人増えただけよ」
 リリアナはここらのマドンナだから、ひっきりなしに話しかけられてはそれを軽口で返したり、軽く怒って見せたり、受け流しながら笑顔を浮かべる。リリアナの口から軽く出たお守り、という言葉にちょっとムッとする。
 合ってるけど、そりゃ子供だし何の役にも立てていないし世話を焼いてもらう立場だけど、一応ユーニスは魔女で、リリアナの叔母さんを手伝っているんだから。
 魔法のことをなんにも知らないクラリスとおんなじ扱いなのがちょっと悔しい。
 ユーニスはリリアナに対してだけはなぜか少し子供じみた感情が浮かぶ。

 都会に初めて出てきたお上りさんみたいに、不安と興奮と喜びが綯い交ぜになってパブをぐるぐる見回すクラリスを守るように、リリアナはぴったり肩を抱く。
「今年ホグワーツに入学かい?」
「ユーニスの妹かな?顔がよく似ている」
「きっと叔母さんに似て優秀な魔女になるよ」
「ハッフルパフは良いところさ。必ずいい思い出ができる」
 クラリスはニコニコしていたが、だんだん視線が俯いていった。リリアナが「わたし忙しいの。よろしくて?」とピシャッと言い放ち、3人はやっと人混みから解放された。
「クラリス……」
「なあに?それより、早く色々見たーい!」
 体を揺らしてワクワクした声を上げるクラリスに喉が詰まる。気にしないように強がっているんだ。リリアナ達が気にしないようにか、自分が気にしないようにかは分からないけど……。
 さすがの叔母さんもこれには心打たれたようで、少し眉をしかめて、慰めるように頭を撫でた。微笑んで囁く。
「今日は最高の1日になるわよ」

 パブの1番奥の突き当たりに来ると、「え?」という顔でクラリスが首を傾ける。
「わたしがやっていい?」
 ユーニスはジーンズに無造作に突き刺していた杖を引っ掴んで、ピカピカッと笑う。魔法界のアーチを開くのは何回やっても新鮮な興奮が湧いてとっても楽しい。
 杖でカン、コン、カンと決まった場所を叩く。
 すると、厳しい轟音を立てて石がパズルのように規則的に左右に収まっていった。石に隠された魔法界の入口。
 振り返ってコホン、と咳払いし、恭しく手を胸に当ててユーニスは言った。
「ようこそ、魔法界へ」

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