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 一瞬でも目を離したら次の瞬間には消えてしまいそうなクラリスに手をがっちり握り、その少し後ろを気だるさと慈愛を浮かべたリリアナがゆっくり追いかける。クラリスはまるで弾丸だった。
 ダイアゴン横丁のアーチを見て、「ワーオ……」と呟いたっきり、口を開けて放心していたかと思えば、瞳に宝石の輝きを浮かべてダッと走り出したのだ。あっ、と止める間もなく居なくなってユーニスは冷や汗をかいた。
 幸いすぐ近くの鍋屋のショーウィンドウに齧り付いていたから迅速に回収出来たけれど、今のクラリスは乳幼児よりも危うい存在だとユーニスは理解して、それからずーっと離すまい、と手を繋いでいる。

 クラリスはダイアゴン横丁の全ての店に入りたがったので進むのが大変だった。
 ポタージュの鍋屋さんではクラリスの上半身ほどもある巨大な大鍋に落ちかけて慌てて引っ張り上げたり、ダイアモンド製の20ガリオンもする小瓶を「香水入れにするから!お願い!」と駄々を捏ねたり、ひとりでに掻き混ぜてくれる最新自動式鍋を邪魔しようとしてみたり……。
 イーロップではフクロウに大興奮して触りまくるから店員にイヤ〜〜な顔で追い出されてしまった。
「夢みたい!わたし、夢見てるのかな?お姉ちゃんったらいつもこんな素敵な毎日を送ってるの?」
 ハアハアと口呼吸して羨ましさの滲む顔で見上げるクラリスに「まさか。ホグワーツの授業はマグルのスクールと変わらないよ。まあ、少し内容は違うけど」と苦笑したが、マグルの世界よりずっと素敵なことはユーニス自身がいちばんよく分かっていた。
 課題はどっさり出されるけど、その全部が魔法に関連することだもの。楽しくって仕方がない。

 ミラーの専門薬品店はずっと入ってみたかったので、ユーニスはドアを開ける時ドキドキして手が少し震えてしまった。
 リリアナ叔母さんもお気に入りで、お店の作業室に置いてある薬草の多くはミラーで買っているのを知っている。でも、このミラーの専門薬品店で取り扱う商品は高すぎてなかなか手が出せないし、内装もエレガントで大人っぽくてキラキラして、とてもじゃないけどユーニスひとりで入れるようなお店じゃなかったのだ。
 呼び鈴がオシャレにかろらん、と響き、奥から真っ赤なルージュの似合う、天鵞絨の紫のローブをなびかせた女店主がしとしと出てきた。
 女店主のミラーは2人の子供に星みたいにチラリと笑ってリリアナと話し込み始める。「何か目新しいものはあって?」「知り合いの薬草学者からミンビュラス・ミンブルトニアとスナーガラフを鉢で仕入れたわよ。数が少ないから早い者勝ち」「まあ!鉢で?生きてる子たちを手に入れる機会って少ないのよね。おいくら?」「どちらも9ガリオンと14シックル」「いただくわ」「他にも色々新しい子がいるのよ」……
 珍しい魔法植物で盛り上がる大人2人を背後に、ユーニスはゆっくり店内を歩く。
 悲嘆草の種や原罪柘榴を乾燥させて粉末にしたもの、棘ハナハッカの鉢植えなど、高級で扱いが難しい品物を前に、ユーニスはワクワク浮き足立つような気分でひとつひとつを宝石みたいに眺める。
「ああうそ……泪珊瑚の水槽があるッ!本物を見たの初めて……真珠みたいでとっても綺麗……」
「これはなに?」
「きゃあッ、一角獣のファブールっ!こんなものまで置いてあるなんて!」
「なに?なんなの?」
「これはユニコーンの生息する森の一部でしか生えないとっても希少な植物なの!別名母なるユニコーン、幼体はファブールのみを食べて成長するの。群生地は森の奥地でユニコーン達が守っているから、歴戦の魔法戦士でも辿り着くのは難しいって言われてた……」
「ユニコーン!?ユニコーンがいるの?おとぎ話に出てくるあの?」
「マーレインまで!ああ、ここって宝物庫みたい……すごいわ……一生手が届かないようなものばっかり……」
 夢見心地のユーニスは妹にガクガク揺さぶられるのも意に介さず、ぽわ〜んと商品棚に食い入っている。商品は透明なガラスで保護され、盗難防止の物々しい魔法道具が置かれていた。
 夢中になっていたユーニスは背後に店長のミラーが寄ってきているのに気が付かなかった。

「一角獣のファブールまで知っているなんて、勉強家なのね」
「ひゃ、!?」

 ユーニスはあんまりにも驚いて飛び上がった。口から心臓が零れる。振り返ると、妖艶な笑みを浮かべたミラーと腕を組んだリリアナが立っていた。口をはくはくさせて、体にしっとりと沿うドレスを纏った美しい女性を見上げる。
 何故かリリアナが得意そうに言う。
「当然よ。私が面倒見てるのよ?弟子みたいなものよ」
 胸を張るリリアナの肩にミラーが細くて白い指を乗せる。「あなたが弟子を取るなんてね。しかもこんなに深い知識まで……」
「でも、薬草学の知識は教えてないわ。学校で自分で学んだのね。私もユーニスがニッチな知識を付けてるなんて知らなかったわ」
 2人に見下ろされて、すっかり赤くなって肩をすぼめた。俯いてポショポショ言う。
「ポンフリー教授のお手伝いをしてるし、図書室でも書籍を読んでるの……薬草学はすごく面白いから……」
 なんだか言い訳している気分になった。褒められているのに恥ずかしい。ミラーが目を細めて微笑んだ。
「魔法植物を愛してくれて嬉しいわ。またいつでも遊びに来てちょうだいね。1人で来てくれてもぜんぜんかまわないのよ」
「……え、い、いいんですか?」
「もちろんよ。眺めるだけでこんなに嬉しそうにしてくれるお客さんは少ないもの」
 全身に歓喜が巡って物を言えなくなり、バッとリリアナを見る。彼女は「ミラーがいいって言ってるんだから甘えときなさい」と鷹揚に頷いた。社交辞令じゃなく、本当にまた眺めに来てもいいんだ!
 口を抑えて、嬉しさにピョンピョン跳ねそうなのを必死に抑え、首が折れそうなほど何度も頷く。
 夢でも見てるんじゃないかと思う。

 興奮の冷めやらぬまま、3人は店を後にした。ユーニスはまだぽーっとしていた。ふわふわした足取りの姉を、今度は妹がガッチリ掴んで呆れた顔で引っ張った。
「もー、お姉ちゃん!案内してくれるんでしょ?次は?」
「……あ、あ、そうね……。うん……。次は書店に行くわ。そこの……」
「もー!ここ?えっと、フローリッシュ&ブロッツ書店。わー、本が空を飛んでる!」
 ダイアゴン横丁で1番大きなこの本屋は人混みと雑音と本の擦れる音でいっぱいだった。宣伝と盗難防止を兼ねた羽付き書籍や、チェーンライブラリ、自動読み上げ絵本に巨大な動くポスター。羊皮紙の匂いやツーンとするインクの匂いは嫌いじゃない。1年ですっかり嗅ぎなれた日常の匂いだ。
「叔母さん、」
「リリアナよ」
「……リリアナ、魔法の本は?魔法の本は買って帰っちゃダメ?」
 きゅっと指先を握り、おずおずと見上げてくるクラリスにリリアナは難しい顔をした。
 書籍は魔法界の象徴すぎる。写真なんかがあると動くから魔法のことがバレてしまうし……。でも魔法道具を買ってやるより、本を選んだ方がまだマシな気がする。文字だけの本なら、ファンタジー小説のように思われるだろう。
 そう考えて、「そうね。児童文学とか絵本とか……そういうものならいいわ」と答えると、クラリスが「やったあ!」とドカンと叫んだ。
 一瞬視線が突き刺さり、しかしすぐに霧散していく。
「ユーニス、選んであげて。私は外で待ってるわ」
「はあい。でも魔法界の子たちが何を読んで育ってるかなんて、わたしも分からないけど……」
 適当に本を選んでいると、見たことがある題名が目に止まった。『吟遊詩人ビードルの物語』。グレンダがボロボロになったこの本をたまに寝る前に読んでいた。幼少の頃から何度もママに読み聞かせてもらった思い出の本らしい。純血子女が幼い頃から読むお供にしていたこの本ならピッタリだろう。

 パラパラとページを捲る。
 幸運の泉や父親の残したポット、バビティ兎や三人の兄弟と死の話……。道徳的にも学術的にも物語的にも面白く、ユーニスは立ったままいつの間にか読みふけっていた。
 はっ、と一冊読み終えて顔をあげる。
 クラリスは近くで場面が幻影として現れる絵本に夢中になっていた。開く度に花が飛び出したり、伝承上の妖精が踊ったり、小さな騎士の決闘する魔法の絵本に齧り付く妹を見て胸を撫で下ろす。
 不思議の国で野放しにするなんてお姉ちゃん失格だわ、と先ほどの自分を棚上げして、妹を呼び寄せる。

「これはどう?」
「どれどれ!?」
 ビードルの物語を差し出すと、パタパタ開いたり、閉じたりして拍子抜けした顔をした。そりゃあ直前までビックリ箱みたいな本を見ていたら、普通の本が物足りなくなるのはわかるけれど、あからさまにガッカリされると力が抜ける。
「この絵本がいい。『ちいさなまじょベッラとおしゃべり妖精のぼうけん』」
 幻影が飛び出す絵本だなんてマグル界に持ち返らせることができるわけが無い。特別に不思議なものは人に見せたくなってしまうものだし、もし誰かに見られたら誤魔化すことが出来ない。それにきっとママも反対する。
 ユーニスは優しく妹の名前を呼んだ。
 反対されることはわかっていたらしく、ちいさく唇を尖らせる。
「魔法族の家の子がこの絵本をちっちゃい頃から読み聞かせられて育ったって話してたの。これじゃ、いやかしら?」
「……ううん」
 ニコッと笑ってくれたので、安心してユーニスはもう1冊本をとった。
「?2個買うの?」
「面白かったから、自分のも買うことにしたの」
「そんなに面白かった?」
「うん。とっても。魔法界の価値観がよく分かる気がする」
「ふうん……」
 今度は心の底から嬉しそうな頬笑みを浮かべて、本をぎゅっと抱える。ユーニスは妹の頭を撫で、叔母さん……リリアナに預かったお金と、自分のお小遣いで本を買うと、店の外で待つリリアナの元に向かった。


 フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーで2段アイスを買ってもらい、テラスに座って冷たい美味しさに舌鼓をうっていると、見慣れた声が聞こえた。
「ベル?ひさしぶりだね」
 柔らかな茶髪に透き通ったグレイの瞳。爽やかで優しい笑顔。
「ディゴリー!」ユーニスの耳が反射的に少し赤みを帯びた。
「今日はご家族と一緒?初めまして、学友のセドリック・ディゴリーです。君もこんにちは」
 彼は優雅にリリアナに挨拶すると、椅子に座るクラリスの視線に合わせ、かがんでグレイの瞳を細めた。クラリスはポーっとして「こ、こんにちは……」と呟いた。
 姉妹の血を感じて、ユーニスは顔を覆い隠したくなった。
 リリアナは軽く片眉を上げて片方の唇だけで笑い、挨拶した。余裕があって、ユーニスも彼女みたいに振る舞いたいと思う。
「今年ホグワーツかい?」
 クラリスはサッと眉を下げたが、一瞬で微笑んだ。「ううん。違うけど、お姉ちゃんと叔母……のリリアナに、魔法界を案内してもらってるの!」
「そうなんだ?優しいお姉ちゃんと楽しんで」
「うん!」

 ディゴリーはユーニスに「またダイアゴン横丁にくるの?」と尋ねた。
「ええ、この後はずっとここで過ごすつもりなの」
「へえ、漏れ鍋?」
「ううん。リリアナがお店をやってるから、その手伝いで」
「ベルはいつも誰かの手伝いをしてて偉いね。後で手紙送るよ。ヒマな日があったら一緒に勉強しよう。僕、ダイアゴン横丁は結構来るんだ」
 ディゴリーは「またね」と手を振って去って行った。久しぶりに会ったからか、彼に対する耐性が失われていたようで、その背中までカッコよくてくらくらしそうだった。
 誘いを受けた喜びを噛み締めるユーニスの背中に妹のキャンキャン声が聞こえた。
「ねえ!あのハンサムな人、誰!?友達!?」
「うん、同じ寮の同級生なの」
「いいなあ〜いいなあ〜。ミドルスクールにあんな素敵な人いないよ」
「素敵な男の子だったわね?」
 リリアナがわざとらしく、何の他意もありませんとばかりに小首を傾げて、流し目を送って寄こした。ユーニスは頬まで真っ赤になった。
 彼女を軽く睨む。リリアナは声を出して笑った。

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