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 夏休みも終盤に差し掛かっている。残りの課題も魔法史のレポートを仕上げるだけだ。
「リリアナ、少し外に出てくるね」
「はーい、遅くならないうちにね」
「分かってるよ」
「ノクターンの方には行かないのよ」
「もう、分かってるってば」
 苦笑してユーニスは財布をローブに突っ込んだ。勉強道具も鞄にしまい込む。
 その仕草は雑で気もそぞろだった。
 ユーニスは髪をクシで整えて、香り付きのリップバームを塗った。そわそわとローブのシワを直したりして、鏡の前で確認した後、不安そうにリリアナに「変じゃない?」と尋ねた。
「可愛いわ」
 楽しそうなリリアナの声と細められた瞳にも気付かず、ユーニスは「そか……」と呟いた。
「じゃあ行ってきます」
 ドアを開けたあと追いかけてきた声に、ユーニスの耳が火がついたように熱くなった。
「デート楽しんで!」
「デッ……デートじゃないよ!」
 リリアナの笑い声を振り切るようにユーニスは走り出した。
 さいあく!
 バレてたんだ!
 いや、デートじゃないけど……!

 純血魔法族であるディゴリーは昔からダイアゴン横丁に遊びに来ているらしい。前は家族と一緒だったけど、ホグワーツに入ったから1人で来る許可を貰えるようになったと彼は手紙で話していた。
 クラリスを案内した日から、彼と手紙をやり取りが始まった。
 向こうから送ってくれて、日を改めてダイアゴン横丁で会うことになったのが今日だ。
 でも、甘酸っぱいものじゃなくて、課題をお互い教え合うという真面目なものだ。計画的に課題を片付けるタイプのユーニスとディゴリーはほぼ終わっていて、答え合わせや不安な点の確認、2年生の予習をすることになっていた。

 デートじゃない……デートじゃないけど、そわそわして緊張する気持ちは抑えようがなかった。
 リリアナにからかわれて火照った顔を深呼吸して沈める。

 待ち合わせのフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーに着くと、既にディゴリーがテラスに座っていた。
「ごめん、待たせちゃって」
「気にしないで、そんなに待ってないよ」
「でも……」
「久しぶりに会えるのが楽しみで、少し早く来すぎちゃったんだ」
 さらっと言われた言葉がリフレインする。ユーニスの耳が瞬間的に赤くなった。
「ダイアゴン横丁で友達に会える機会ってあんまりないからさ。日常的に来ている生徒って少ないし」
「あ、そ、そうだよね」
 ソワソワと髪を耳にかけるユーニスと違い、ディゴリーは穏やかで落ち着いていて、いつも通りだ。当たり前のようにこういうことを言えて、ディゴリーの大人っぽさにドギマギしてしまう。
「飲み物とアイスクリームは何にする?」
「えっと、じゃあ……紅茶と、チョコクッキーバニラを」
「僕もその味好きだな。ここのチョコレート、甘さとほろ苦さがすごくちょうどいいよね」
「そうなの!くどくなくて、でもコクがあって」
「僕は何にしよう。今日は暑いからハニーレモンかな」
 店主から受け取って、ふたりは向き合って座った。たわいも無いお喋りをしながらアイスクリームを舐めていると、ようやく忙しなく動いていた心臓が平常に落ち着いて行った。

「お店の手伝いをしているんだろ?それに加えて課題もなんて大変じゃない?」
「たしかに時間は取りづらいけど、すごく楽しいし勉強になるの。叔母さんは若い時から自分のお店を持っているだけあって、すごく優秀で、色んな呪文や魔法植物の知識に詳しくて。それに、時間が少ない分集中して勉強出来るから」
 ユーニスは思わず前のめりになって、早口で話してしまった。まだ緊張が残っているせいもあったし、店の手伝いが本当に好きだということもあった。
 あんまり人に自分から言ったことはなかったから、店の話を聞いてもらえるのが嬉しくて、クスッと笑ったディゴリーにユーニスは慌てて「ごめんなさい、つい」と謝った。
「楽しそうに話すベルを見れて嬉しいよ。温室で話している時と同じような顔してる。本当に好きなんだね」
「う、うん……」
「薬草のお世話をしているのも、その叔母さんの影響?」
「そうかもしれない。叔母さんは色んな商品を扱ってるけど、専門は薬草学だったんだって」
「保護者に影響を受けるのは分かるなあ。僕も父さんが魔法スポーツ部に勤めてて、昔からクィディッチが好きだったのが結構大きいんだ」
 彼が自分のことを話してくれるのは初めてで心の中がほわっと温かくなった。入学した当時は想像もできなかったくらい、ディゴリーと仲良くなれた気がする。
「今年はクィディッチの試験を受けるの?」
「そのつもりだよ。実は、チームからスカウトの打診も受けてるんだ。もちろん、他の人と平等に試験を受けるつもりだけど……」
 照れくさそうに肩をすぼめて、ディゴリーが声を潜めた。ユーニスは「えっ!」とぱちん!と口を覆った。
「すごい!ディゴリー飛ぶの上手いもの、絶対合格できるよ」
「ありがとう。でもライバルになりそうな人がたくさんいるから、気を引き締めて試験に望まなくちゃ」
「大丈夫よ、あなたには才能があるもの!自信を持って!」
「……ありがとう」
 褒めたつもりだったが、はにかんでいたディゴリーの笑顔にサッと影が走り、困ったように眉が下がったのを見て、ユーニスは冷や水を浴びせられたような気持ちになった。
 何かおかしなことを言っただろうか。
 ディゴリーはよく、こういう顔をする。
 友達に囲まれている時や、すごいすごいと褒められている時、なんだか所在なさげで居心地悪そうに見えるのだ。

 でも、ユーニスが謝るよりも早くディゴリーが素早く話題を変えてしまった。
「この前の妹さん……クラリスだったかな?すごく可愛い子だったね」
 さっきの話題に踏み込むタイミングを失し、ユーニスは紅茶を口に含んだ。
「ありがとう。帰ったあとも、家ですごく興奮していたみたいで、手紙でもまた行きたいってことばかり書いてあるの」
「楽しんでくれたみたいで良かったね。やっぱりマグルの人から見ると、魔法界は変わってるの?」
「そうね、マグルの常識じゃ考えられない不思議なことがたくさん。今でもびっくりすることがたくさんあるわ」
「そうなんだ、例えばどんなことに驚いた?」

 それは挙げきれないほどある。
 まず魔法という現象がありえないし、瞬間移動もありえないし、岩のアーチが動くのも心踊ったし、イギリスに隠された場所がたくさんあることも。
 日常的な面だったら、羊皮紙や羽根ペンを使うのも、連絡にわざわざフクロウを使うのも、校舎が悪戯ばっかりする不思議な構造になっているのも、化学製品が使えないのも、非効率だけどロマンがたくさん詰まっていると思う。
 無機物が意志を持つのも、人間が空を飛ぶのも、重さが違うものを違うものに変身させるのも、明らかに口にすべきではないようなものも完成したら効能を持つ魔法薬になることも……。
 数え上げたらキリがない。
 だけどそのどれもがとても魅力的で、ユーニスは魔法界の虜だった。

「マグルの視点から見る魔法界って新鮮で面白いね。僕らにとって当たり前なことが、違う世界ではまったく違うように映るのか」
 感心を含んだ声でディゴリーが呟く。
「もうだいぶ慣れて、魔法界が第二の家のように感じるけどね」
「帰る場所がふたつもあるって素敵だな。ふたつの世界がベルの中で融合しているのも面白い。きっと色んな知識が混じりあって、魔法界は発展してきたんだね」
「そんな風に考えたことなかったわ……」
「ホグワーツ特急がそのひとつの例かなって思うよ」
 パチクリと目を瞬かせるユーニスにディゴリーが思慮深く瞳を細めた。知的に灰色の目がキラッと光を放っている。言われてみればそうなのかもしれない。マグル界は魔法界から隔離され、拒絶されていると思っていたけれど、ふたつの世界がゆるやかに混じりあって良い影響を与え合うことがあるかもしれない。
 理由は分からないが、そう思うとユーニスが無意識のうちにずっとあった肩のこわばりがふっとほぐれて、柔らかな風が吹いたような気がした。

 やっぱり、ディゴリーはすごい。
 視野が広くて、頭が良くて、人に安心感を与える。
 ユーニスはぼうっと、ディゴリーの光に照らされる明るい髪の毛や、穏やかなグレイの瞳を眩しそうに見つめた。

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