溶かした思い出を飲み込んで


 瀬呂と友人は結局ホテルにはいかなかったらしい。上鳴がしたようにタクシーを呼んでお金を出してくれたけど、甘える友人を飄々と躱して戻ってきた上鳴と2軒目に向かったらしい。
「マジで有り得んくない!?」
 友人……奏が憤慨したように言うが、その顔は笑っている。
「あんたもあたしも収穫無しって……こんな惨敗ある?笑うんだけど」
「それなすぎる」
「自信失うわよ」
 微塵も思っていない口調でカラカラ笑う。このプロダクションに入ってから知り合った奏は、サバサバしているのに肉食系で、狙った男に全力でアピールするあざとさと豪快さを持っていて、刹那ととても気が合う。倫理観と股が緩いところもとても気が合う。
 奏はセックスが好きで、刹那は甘やかされるのが好きだから少し違いはあるけれど、嫌われることを恐れることなく素をさらけ出せる初めての人だった。
「まーでも連絡先交換したからいっか」
 だから、こう、ワンナイトだけじゃなくてプライベートで会うつもりがあるなら、黙ってるのは少し居心地が悪い。
「瀬呂くんのことけっこうガチ?」
「え?やフツーかしら。顔は好き。てか顔しか知らん」
「そりゃそう」
「なんで?やっぱ元カレだった?」
「いやセフレだった(笑)」
「セフレかよ!なんだ、手出すの辞めた方いいかなって迷ったのに」
「別にいいけどなんか気まずくね?と思って。親友と竿兄弟?竿姉妹?なるのは」
「全然気にしたこと無かったわ。今まで何回修羅場ったと思ってんのよ」
「うはは。武勇伝武勇伝」
 ランチタイムをカフェで取りながら、真昼間から猥談に明け暮れる刹那と奏。ヒーローの会話ではない。
 刹那は友達と男では、比べ物にならないほど友達が大切だったので、今まで男選びは死ぬほど気をつかっていた。友達の彼氏はもちろん、兄弟や家族、気になっている人や推しも選ばないようにすごく気をつかっていたので、奏が気にしないと知って少しホッとする。
 瀬呂のことはたしかに好きだった(かもしれない)が、過去の話だし、奏のほうが好きだ。それにもし奏が瀬呂を落としても応援できる自信がある。

「刹那、そういうの気にするタイプなのね」
「奏と揉めたらいやじゃん……」
「え、デレ?可愛い。あたしも好き」
「両想いだね。キスする?」
「しない」
「つめたい……」
 泣き真似をしてストローをヂュッと啜る。

「まーでも瀬呂くん落としづらそうだったしいいかな。ボロクソ言ってごめんだけどめっちゃ塩なのよ!あんなに甘えたのにまったく触ってこないし!」
「そう?悪い気してないみたいだったよ」
「え?嘘?」
「マジマジ。ま、あれでいてロマンチストだから恋愛に発展するかは知らんけど」
「えー、分かりづらっ。めんどくせっ。刹那に返却するわ」
「返されてもね?それなら上鳴くんいーんじゃない?」
「あんたの隣の?」
「そう。ちゅーした。めっちゃときめいた」
「ええーっ!いいなあーー!」

 本当に上鳴はカッコよかった。刹那の乾いた心に潤いを与えてくれた。すごく良かった。
 と、思ってはたと思い出す。
「あ待って。やっぱダメ」
「なんで?狙ってる?」
「いや、手出すなって言われた。瀬呂くんに」
「はあ?」
「ちゃんと恋愛に向き合うやつだから遊びなら辞めてねてきなことを」
「あんた嫌われてんの?」
「多分」
 自分で言って傷付いた。バカだ。
「ヒーローめんどくさい奴多いわね。やっぱ遊ぶなら芸能人気取りかな」
「それな〜」

 ゴミみたいな会話をしていると、スマホで流していたニュースが緊急速報を告げた。同時にスマホに社内メールが届く。
「あー。出動命令」
「わたしも」
 グラスに残った紅茶を飲み干して、2人は立ち上がった。ヒーローに休み時間はないのである。


*


 昨夜のこと。
 刹那と奏をタクシーで帰還させた上鳴と瀬呂は、2軒目で飲み直していた。
 上鳴の住む木椰子駅マンションの近くのバーだ。
 ほんのり赤黒いディアブロが照明に照らされて、「やっぱ俺カクテルのほう好きだわ」と上鳴が一口飲む。瀬呂はマティーニを揺らしている。辛口が好きなのだ。
「飲み足りねーよな」
「それ。つか隣にいた子……奏ちゃんだっけ?勿体ね〜」
「まー勿体ないちゃ勿体ないことしたよな」
 苦笑する瀬呂の横顔は学生時代に比べるとやっぱり大人っぽく感じた。昔より少し髪が伸びた。
 瀬呂は恋愛に対して器用だった。
 上鳴と違って相手に感情を割きすぎないというか。適度に遊んで適度に身を引いて、彼女が出来たら相手に幸せを与えてやれる奴。
「タイプじゃなかった?」
「まあ、フツーに可愛かったよ。エロそうだったし」
「だよなあ!?モロ肉食系すぎてビビっちまったよ」
「ちょっと引くレベル」
「うはは!モテる男瀬呂くんは言うことがちげーぜ」

 上鳴が肩を揺らす。
 店内は人が多く話し声が溢れていた。瀬呂が好む静かなバーとは正反対だが、たまには悪くない。
 カウンターの端に座って、バーテンがカシャカシャとシェイカーを振る。
 黒い灰皿には既に2本ほど吸殻が押し付けてあった。上鳴が3本目を咥えて煙を吸い込む。
「お前そんな吸うっけ?」
「なんか今日吸ったら吸う気分になっちった」
 煙が上顎を撫でて、喉から肺に流れていく。濃白色の煙がゆるゆると流れる。
「上鳴こそ良かったのかよ。気に入ったように見えたけど」
「刹那ちゃんねー」
 目を細めまた一口吸い込んだ。
「すげえ可愛かったわ。もうめっちゃ可愛かった。でもさー、俺いい加減恋愛してえなって思ったんだよね」
「おめー続かねえもんな」
 いつも半年やそこらで上鳴は彼女と破局していた。
 時間が空いたら会いに行ったり、オフはデートしたり、マメに連絡を取ったり、瀬呂から見ると上鳴はとても丁寧に彼女と交際しているように見えるけれど、何故かいつも短期間で上鳴は終わってしまう。
 しかも毎回振られる側だった。あるいは浮気されたり、二股だったり。
 すこぶる女の趣味が悪い。
 その度に上鳴は少し落ち込んで、わざとらしく騒ぎながら瀬呂や切島や爆豪に「慰めて〜」と泣きついてくるのだ。

 振られた理由はいつも適当に誤魔化される。
 でも何となく瀬呂は勘づいていた。
「やっぱ耳郎?」
「……そんな分かりやすい?」
「いや。隠せてると思うよ」
 罰が悪そうに横目で見る上鳴に瀬呂は肩を竦めた。
 小さく流れるピアノのBGMと喧騒。
「なんで瀬呂は分かんの」
「俺もお前と同じだから」
 短い眉を顰めて歯を見せるその顔に浮かぶのは紛れもなく自嘲だった。上鳴の肺から巨大な空気の塊が零れた。
 瀬呂が彼女と別れるたびに、落ち込むよりも悔しそうなのはそういう理由だったのか。
 俺らってマジでバカだなあ。
「瀬呂ってもしかして刹那ちゃんと知り合いだったりする?」
「………」
 何食わぬ顔で言ったその言葉に、瀬呂は虚をつかれた。
 小さく唸りながら片手で顔を覆う。
「マジか。マジか……なんでそう思った?」
「んー。なんとなくだけど」
「俺すげー普通だったと思うんだけど」
「うん。普通だけど……なんか目が……。なんだろな。すげえ優しかったり、すげえ冷たかったりした。多分」
「意味わかんね」

 意味は分かっている。
 5年ぶりにTV越しじゃない刹那を見て、過去の苦い思い出だと割り切っていた気持ちが生々しく圧倒的な感傷を持って蘇った。
 初めて見る酔った姿だとか、落ち着いて愛想笑いを浮かべる顔だとか、でも変わらない我儘で無邪気な笑い方だとかが、過去を過去じゃなくさせたのだ。

 上鳴は「なっさけね……」と呟く瀬呂を意外そうに見つめた。耳が少し赤いのは酒のせいじゃないと思う。
 いつも飄々としている瀬呂があからさまに動揺するのは少し面白い。
 最初はなんかあったんかなー、程度の認識だった。
 上鳴が最初刹那にロックオンしててもちょっと呆れた顔をするだけで、そこに負の感情は無かった。でも、話しているうち、チラチラ投げかけられる視線に気付いたのだ。
 その視線は上鳴に向けられたものではなかった。
 隣の刹那にまっすぐ向けられていた。
 瀬呂はよく言えばスマート、悪くいえば策士的に恋愛のアプローチをする。遠回りっていうか。だから、あからさまに向けられる視線に珍しいなと思ったのだ。

 喫煙所から戻ってきて、上鳴に少し甘えてくれる刹那を見た瀬呂の視線は明確に変わった。紛れもなく負の感情が篭もっていた。
 そして、トイレに行った刹那の後に「俺もちょっとトイレ」と立ち上がった時、確信に変わったのだ。

「ごめん。雰囲気でキスしちまった」
「ブッ。言うのかよ。律儀なお前」
「言うか迷ったけどね。でも連絡先は聞いてねーからさ」
「いいんだよもう」
 そう言って喉を上下させる瀬呂はやっぱり感情が読めない。隠すのが昔から上手いんだよな。
「元カノ?」
「いや……」
 歯切れが悪い返事。瀬呂が首をさする。
 上鳴と耳郎みたいなものだろうか。
 高校の頃からずっと耳郎が好きだった。でも話しやすすぎて、距離が近すぎてそれに気付かなった。
「ウチ、彼氏出来た。あんたには言っとこうかと思って」
 恥ずかしさから突っかかるように言う耳郎の赤い顔を見た時、まるで心臓に穴が空いたかと思った。なんとか軽口で返したけど、その声が震えていなかったかどうかは自信が無い。
 ありがとね、とはにかむ耳郎に、初めて「俺、耳郎が好きだったんだ」と気付いた。失ってから気付く、なんてありがちなチープな恋をそれからずっと捨てられずにいる。

 上鳴が重ねて尋ねて来ないのをいいことに、瀬呂は答えるのをはぐらかした。
 ただのセフレにしかなれなかったなんて、情けなくて、恥ずかしくて、みっともなくて、それに今でも当時と同じように心臓が軋むから、とても口に出せなかった。

「俺協力すんよ〜?」
「何。いいよ」
「あそお〜。マジでいいの?」
「いいって」
「いいやつの顔じゃねーと思うけど」
「上鳴は耳郎のことだけ考えてろって」
「それはそれよ。あいつ今フリーだし。それより瀬呂よ?お前ってなんか一線引くとこあんじゃん」
「……」
「俺よりずっと頭いいってか、バカになれないっつか。人に言えねえけど、どっかで終わらせないと諦めつかねえよな。お互い」
「……。バカだよなー、お互い」
「んっとに」

 飲み込んだカクテルはずっと苦く口の中に残った。上鳴とここまで深く踏み込んだ話をするのが初めてで落ち着かない気分になった。
 カロン、グラスの氷が乾いた音で響いた。

[ back ]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -