追憶
あの日に浮かぶサウダージ

「待てって、刹那!」
「着いてこないで!」

 夕方、町から寮に戻る途中に女の子の大声が響いて瀬呂範太は思わず足を止めた。大通りから1本外れたこの通りはカフェや本屋が多く、大都市にしては比較的落ち着いた雰囲気だったから、場違いなその声は周囲によく響いていた。
「どういう意味だよもう会わないって……オレ何かした?」
「そのままの意味だよ!あんたとはもう二度と会わない!」
「だから何でだって聞いてんの!」
「触らないで!」
 女の子が怒鳴って男の手を振り払う。
 揉めている2人はこの辺りのそこそこ名門の高校の制服を着ていて、内容はよくある痴話喧嘩のようだった。東京では小さな揉め事やいざこざは毎日のようにある。
 足を止めていた通行人達が興味を失ったようにまた歩みを進めていく。

 瀬呂もこの場を後にしたかったが、進行方向上に2人がいるのでその横を突っ切っていくのもはばかられて、どうしたもんかとそれを眺めていた。
 つうか歩道のド真ん中で喧嘩すんなよ……。
 呆れ混じりに思う。

「あんた彼女いるんだってねっ?」
「えっ?」
「わたし言ってたよね?彼女いる男とは会わないって」
「な、なんでそれを……」
 話の雲行きが変わって来た。どうやらただの痴話喧嘩ではなく修羅場らしい。毎日訓練に明け暮れる瀬呂にとって縁遠い話すぎる。彼女のいないわびしい毎日を送っているというのに、目の前の男は浮気だなんて、この世は理不尽だとしみじみ無常を噛み締める。
 男はいわゆる「イケメン」の顔立ちをしていた。お綺麗な顔が焦りに歪む。
「あいつとは別に惰性で付き合ってただけで、本当に好きなのは刹那なんだ。裏切ってて本当にごめん。あいつとは今すぐ別れるから!」
 男が女の子の手を握ってしおらしく謝った。男の瀬呂からもカッコよく見える表情で、くだらね〜……と冷めた眼差しを向けていると、女の子が男の横っ面に強烈なビンタをぶちかました。
「何勘違いしてんだよ!」

「えっ?」
 思わず驚きの声が漏れる。
 つくづく予想の上を行くカップルだなこいつら。
 男はよろめいて尻もちをつき、呆然と女の子を見上げている。女の子の顔は背を向けているので見えなかったが、怒鳴り声には思わず後ずさりそうなほどの怒気が含まれていた。

「何で彼女がいるのに浮気なんてすんの?申し訳ないと思わないわけ?」
「そ、それは」
「わたしはあんたなんかクソほどどーでもいいんだよ!あんたが彼女を裏切ったことに怒ってんだよ!彼女にひたすら申し訳なくて怒ってんの!死ねよお前マジで!」
「な、なんでお前が怒るんだよ?」
「うるさい!話しかけないで!あんたみたいな男に引っかかった彼女が本当にかわいそうだし、わたしも本当に恥ずかしいよ。見る目無さすぎて……ほんとにふざけんなよ」

 女の子は息を荒らげて声を震わせていた。
「なあ、ごめんって……オレはお前が好きなんだ。彼女にも本当申し訳なく思うけど、刹那を失いたくないんだよ」
「……っ!!」
 男は立ち上がって、宥めるように言う。女の子は俯いた。読んだことねえけど、少女マンガにありそうな展開だ。
 やっぱこういうキザなセリフが好きなんだろうか。
「お前がっ……」
「刹那、本当にごめん。すげえ好きなんだ」
「お前が好きなのはっ!わたしじゃなくて、わたしの身体だろ!!」

 はっ?
 瀬呂はまたしても驚きに身体を硬直させた。オイオイ、少女マンガじゃなくて昼ドラかよ!高校生が昼ドラ的展開ってどーよ?
 不謹慎だとは思うが、好奇心も湧いていて瀬呂はそのカップル(カップル……?)の喧嘩を眺める。

「薄っぺらいんだよお前の言葉は!大体わたしが好きなら普通すぐ別れるだろうが!彼女もわたしもキープしたかっただけのくせに、何綺麗な言葉で誤魔化そうとしてんの?バッカじゃないの?」
 彼女の口は止まらない止まらない。
 男がだんだん怒りに顔を歪めていく。
 なんとなく不穏な空気に変わっていっている気がして、瀬呂は少し警戒態勢に入った。
「てか最初からセフレでしかないし、お前に興味なんて微塵もないから!もう一度言うけど、何勘違いしてんの?好きって言われても彼女と別れても、わたしはあんたのことなんか好きじゃないし、もう二度と会わない。調子乗んなよセフレの分際で」
「んでそこまで言われなきゃなんねーんだよ!お前だって色んな男と寝てんだろ!」
「悪い?わたしはフリーだし、最初からセフレって伝えて会ってるけど?あんたもそれ分かってたよな?」
「開き直ってんじゃねえよ!ビッチのくせに!」
「は?わたしがビッチなこととてめえが浮気してることは関係ねえだろ!」
「それこそお前には関係ねえだろ!」
「だから彼女いる男とは会わないって……あー、もういいもういい。バカと話しても時間の無駄だよね。とりあえず顔みたくないから早く死ねよ」
「マジでふざけんなよお前っ!こっちがしおらしくしてりゃあさあ!話し合う気ないのはてめえだろ!」
「いた……っ!離せよクズ!」
「いいから帰るぞ!」
「離せって言ってんの!」

 何何何超展開すぎるって!
 力ではかなわないのか、女の子は激しく抵抗しながら引き摺られていく。男が髪を掴んだ。
 瀬呂は「あーもうっ」と呟いて肘からテープを噴射して、女の子を自分の手元に引き寄せた。
 これヒーローの仕事じゃなくねっ?
 でもみすみす見逃すのもヒーローじゃない気がする。
 すげえ貧乏くじを引いた気分になりながら、めちゃくちゃキレてる男に「人目集めてるしそろそろ辞めた方いいんじゃないっすか?ほら、ケータイ出してる人もいますよ。浮気DV男として有名になっちゃいますよ?」とヘラヘラ言うと、男は詳しげに捨て台詞を吐いて逃げるように走って行く。
 イケメンなのに絶妙にもったいねえな。
 キザなセリフは似合ってたのに。

「あー、大丈夫っすか?」
 引き寄せて肩を抱いていた女の子を身体から離し、顔を見下ろすと、瀬呂はきゅっと息を止めた。
 めちゃくちゃ……めちゃくちゃ可愛い。
 サラサラでつやつやの黒髪に、零れ落ちそうなくらい大きな目がうるうると瀬呂を見上げていてたじろぐ。綺麗な形の眉毛が今は八の字に垂れ下がっていて、なんというか、どうにかしてやんなきゃ、と思わされる雰囲気を纏っていた。

「あの……すみません。こんなことに巻き込んでしまって……」
「やー、それはまあ……ハハハ……。腕とか髪とか掴まれてたけど、怪我はないっすか?」
「はい、大丈夫です。すみません本当に……」
「ないなら良かった。気にすんな、っつーのは無理でしょうけど、こういうときはすみませんじゃなくて、ありがとうって言われた方が嬉しいかな」
 女の子はきょとん。として目をパチパチさせた。睫毛が光を散らして瞬いてすら見える。うーん、俺って単純。
「ふふ、そうだね。ありがとう、ヒーローさん」


 お礼をしたい、せめてご飯とか奢らせて欲しい、という彼女に、瀬呂はいやいやいや!と首を振った。
「俺寮入ってて飯出るし、そんな大したことしてないんでほんといいっすよ」
「そっか……」
 しゅん、と悲しそうな顔をされて良心にずさずさっと突き刺さる。別に悪いことをしていないはずなのに、とてつもなく酷いことをしてしまった気分にさせられる。
「嫌がってるひとに、無理強いはよくないよね……」
「や別に嫌とかじゃ……ただほんとに気にしないでもらって大丈夫っつーか。なんか逆にすんません」
「ほんとに嫌じゃないですか?」
「え?ええ、まあ……」
「よかった!じゃあ、ぜひお礼させてください!」
「わ、わかったっす……」
 女の子の笑顔は目の前にパアアッと花が咲いたみたいで、瀬呂はドギマギした。
 目の前のこの女の子が爆豪と同レベルの口の悪さで、高校生に有るまじき倫理観ゆるゆるで、言っちゃ悪いけどバカっぽいのはもう知ってるのに。顔と仕草がすごくふわふわしていて小動物っぽくて、ちょっとでも傷付けたら死んでしまいそうなほど華奢で……。
 うーん、男って単純。自分に呆れる。

「LINEやってますか?」
「あー、まあ」
「じゃ、わたしQR出しますね」
「アハイ……」
 スマホを操作する指が白くて、爪がきらきらしていた。俯いた顔からチラチラ見える唇はピンクにうるうるしていて、このちっちゃい口があんな怒鳴り声をあげていたなんて、実際目にしていても夢なんじゃないかと思う。
 マジで勿体ねーーー……。
 この女の子といい、あの彼氏?と言い、顔がいいのに残念なカップルすぎるだろ。

 追加したプロフィールのアイコンは華やかなプリクラで、名前欄には「固城刹那」と表示されていた。
「あー、そうだ、瀬呂範太くんだ」
 納得したように呟く女の子……刹那の声に瀬呂がンン?と怪訝な顔をする。
「そうだって?」
「実はお礼をしたいっていうのには、下心もあったの」
「し、下心?」
 答えになってない返事とその内容に、瀬呂がちょっと動揺した声を上げる。
「雄英のヒーローでしょ?テレビとかで見てたよ。天下の雄英生にいろいろ話とか聞いてみたいなって思ったの」
「あー、下心ってそういう」
「わたし、固城刹那。××高校2年、ヒーロー科。わたしもヒーロー目指してるんだっ。よろしくね、瀬呂くん」
 ちょっと照れくさそうで無邪気な刹那の笑顔に、冷静な頭とはうらはらに心臓がバクンと高鳴って、瀬呂はボーッと彼女を見つめた。

 瀬呂範太、17歳。
 それがずっと忘れられない恋と痛みの始まりとは知らない。

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