29

 スパァン!小気味よい音が鳴って、ザビニたちは肩をピクリとさせた。シャルルはリドルの日記帳をしまって立ち上がった。
 困惑しきったザビニ派の面々に「調べたいことが出来たの!」と言って、シャルルは颯爽と駆け出した。「オイオイ……せっかちだどころじゃないだろ……」呆然とザビニが呟いた。

 シャルルは興奮するような、ゾクゾクするような名状しがたい感覚に襲われていた。ローブの内ポケットが異様に重く感じるのは精神的な理由だと分かってはいるが、背中に冷や汗が浮かんで頭皮にジワーッと鳥肌が浮かぶ。しかし心音は激しく体温が上がっている感覚があった。
 寝室に戻ったシャルルは机にリドルの日記を置き、羊皮紙と羽根ペンを取り出した。見た限り外装には変化はない。文字以外の主張はないようだ。

 思考を整理しよう。胸をふくらませて深呼吸すると、少し落ち着く気がした。

 まず事実。
 ルシウスの言では50年前に秘密の部屋が開かれた。
 その際マグル生まれの生徒が死んでいる。
 新聞で該当記事は特定出来ていない。
 黒い日記帳はジニーの落し物。
 元の持ち主は1938年〜1945年にホグワーツに在校していたT・M・リドル。
 リドルはスリザリン生であり、監督生であり、首席。
 在校中に二度のホグワーツ功労賞を受けた。
 日記帳の購入元を考えるとマグル生まれかマグル育ち。
 黒い日記帳はおそらく闇の魔術が掛けられている。
 現在秘密の部屋が再び開かれている。
 被害者は石になっている。
 猫、魔法族、ゴーストも被害を受ける。
 秘密の部屋はスリザリンの残した遺物で怪物がいる伝承がある。

 ここまで書き出し、フーッと息をつく。
 次は推測。
 リドルの日記帳に闇の魔術をかけたのはリドル本人である。
 あるいはリドルの日記が人の手に渡り媒体にされた。
 日記は自立思考し、会話が成立する。
 あるいは特定の会話や条件に反応するような魔法が掛けられている。

 リドルは在校中に継承者に通ずる何かを見つけ、表彰された。
 あるいはなんの関係もない事柄で表彰された。
 あるいは、闇の魔術を使えるほど思想の強い生徒だった。

『君はブラック?』
 この問いかけにも疑問が残る。その姓を見た途端何故かドキリとした。両親の亡くなった親友が思い浮かぶ。それにどこかで誰かにも、ブラックについて何か引っかかった覚えがあるような……。

 何にしろ、警戒しすぎて困るということはないだろう。
 シャルルは最大限のパターンを想定することにした。
 リドルが闇の魔術を使用し、日記帳に呪いをかけ、自立思考する闇の品になっているという想定である。50年前の出来事については判断条件が少ないから、日記から手がかりを得るしかない。
 こんな物を前にしても、シャルルに日記を捨てるという選択肢はなかった。むしろ好奇心と一抹の恐れが湧き出していた。シャルルだって純血子女だ。日記ごときに怯えるようではスチュアートの名が廃る。

 羽根ペンを握り直し、日記を開いた。
 さっき見た文字は消えてなくなり、日記はまた沈黙を保っていた。
 シャルルは指先の震えを抑えながら問いかけるような文字を書いた。

「あなたは何?」

 文字は一瞬紙の上で輝いたかと思うと、吸い込まれるように消えていった。固唾を飲んで日記を見つめていると、数秒後、滲むようにインクが浮かんできた。

『返事をしてくれてありがとう。僕はトム・リドル。君は?』

 また文字が消えていった。シャルルの全身が総毛立った。
 返事を躊躇い、なんて書けば良いか迷う。けれど時間をかけると他人にいらない考察の余地を与えてしまうことをシャルルは知っていた。それにある程度情報を開示した方が他人へのパフォーマンスとして有効かもしれない。心を開いているだとか、頭が弱そうだとか、警戒はしているけれど好奇心に抗えないだとか。
「わたしはシャルル・スチュアート。スリザリンの2年生です」
『スチュアート?純血の古い名家ですね。祖父母にブラックの血筋を持っていたりするのかな。君からは酷く懐かしい気配を感じます』
「懐かしい気配?」
『オリオンやシグナスは友人でした。君からは特にオリオンに近い血を感じた気がしたから、てっきり娘……いや、年代的に孫かと思ったんだ』

 オリオン……。オリオン・ブラックだろうか。没落した魔法族の王家、ブラックの最後の当主だ。
 シャルルのどこにその面影を感じたのだろう。もちろん光栄だけれど疑問が浮かぶ。スチュアート家は古いから、先祖にはもちろんブラックの血は繋がっているが、言われるほどに濃くはないはずだ。
 思考に耽っていると、リドルの文字が浮かんだ。

『この日記をどこで手に入れたんですか?』

 筆跡は美しくて柔らかかった。敬語混じりのフランクな口調は親しみやすい。スチュアートの家名を褒めるあたり、純血について正しい知識を持っている。
 シャルルはジニーの名を出すか迷った。
 嘘をついたら、日記の彼が見抜けるかどうか……日記の外で起きたことを把握できるかどうか鎌をかけてみる意図もあった。

「この前落ちているのを拾ったの。中身は真っ白で、在校生にもトム・リドルなんて生徒はいなかったから、数日間だけ預かっていました。でも、この日記が誰かのものなら返却したいと思います」
 数秒間があった。
『君に拾われて幸運でした。この日記は僕のものでしかありません。人から人の手に渡りましたが、僕以外の誰のものにもなり得ない。でも、お互い話し相手が必要なら、僕たちは友情を築けると思います』

 リドルはジニーの名を出さなかった。隠したいのか、ジニーが焦燥してまで日記を求めていたほどにはリドルにとってジニーが「必要な話し相手」ではなかったのか。
 警戒心と好奇心が破裂しそうで、一周まわって不思議なほど冷静な気分だ。

「あなたの言う通り、きっとわたし達は友情を築けると思うわ。わたしはあなたにとても興味があります」
 シャルルは羽根ペンを置いて、天井を眺めた。シャンデリアが砕けた宝石のように光を散りばめているのを見て、窓の外がすっかり暗くなっていることに気づいた。
『嬉しいよ、シャルル。たわいない話も、ちょっとした愚痴も、誰かに聞いて欲しい悩みも、どんなことも僕に零してくれてかまわないよ。僕は君だけの秘密の日記帳だから』
 やはり彼はスリザリン生だ。
 おそらくこの日記に闇の魔術をかけたのもリドル自身だろうとシャルルは思った。
 何かが這い寄るような不安と、奇妙な高揚感がシャルルを満たしていて、自分が楽しんでいることに気付いた。

*

「一体なんのこと?」

 本当に不思議そうに、むしろ困ったようにトレイシーは控えめに尋ねた。
「そういえば手紙でも言ってたね。でもわたし、本当に休暇中は家にいたわ」
「そうなの……」
 明らかに納得していないシャルルに、トレイシーは付け足した。
「本当よ。なんなら両親に尋ねてみましょうか?クリスマスは父親の知り合い家族と食事会があったから、他の人の証言もあるわ」
「いえ、そこまでしなくていいのよ……。ただ少し疑問に思っただけ」

 彼女はたしかにクリスマス、スリザリン寮にいた。絶対見間違いではなかったはずだ。
 トレイシーなら隠したい秘密があるならまず秘密さえ匂わせないし、もっと上手く誤魔化せる。家の用事だと言ったのが方便で、他の人に何か知られたくない事情があったとしても、あの日顔を合わせたシャルルやドラコに謙虚に口止めしつつ顔色を伺って、お礼の菓子折りを送るくらいの社交はするはずだ。
 突然帰ってきて突然いなくなるのはトレイシーらしくなかった。
 その日の彼女が動転していたと仮定しても、トレイシーがいたことを知るシャルルに対して、ここまで頑なに下手な態度は取らないだろう。
 むしろ普段の彼女なら謝るのが当たり前だった。
 デイヴィス家はそこまで有力な家系ではない。だからこそ、力のある子女とどう関係を築くかに注力していたし、トレイシーはそれに見合う社交力を持っている。

 だから多分本当にトレイシーはクリスマスにホグワーツへ帰って来ていなかったのだろう。

「おかしなことばかり起きるわね……」
 掠れるような呟きが宙に溶ける。ホグワーツに入ってから、考えられないような「秘密」に触れることばかりだ。でもシャルルは、自分が秘密好きであることを自覚せざるを得なかった。
 秘密はすなわち情報である。知識や情報というのは、一見なんの繋がりがなくとも、ふとした瞬間にカチリと綺麗に頭の中で嵌って美しく答えが象られる。その感覚が面白くてたまらない。

 シャルルはふとした時、例えば起きた時や、授業中暇な時、休み時間、寝る前……思い出した時にリドルに話しかけた。
 リドルがどんな人物が分析してやろうと思っての事だけれど、どうしてなかなか彼は話すのが面白いひとだった。

「魔法史ってどうしても眠くなるわね。今はDADAの予習をしてるから何とか起きてるけど」
『もしかしてまだビンズ先生?』
「まさか50年前も?」
『その通り。でも彼が役に立つところもある』
「例えば?」
『自習ができる。居眠りをしても怒られない。生徒の名前を誰も覚えてない』
「最後のはいいところなの?」
 シャルルはクスリとした。
『もちろん。ちょっとした知的好奇心を満たすとき、彼は素晴らしい相手になってくれたよ』
「もったいぶる性格なのね。あなたのことをひとつ知れたわ。リドルは猫が獲物を見せびらかすように、成果を大きく見せるのが好き……」
『分かった、言うよ。だからからかうのはやめだ。禁じられた棚の許可証だよ。彼は生徒の名前も顔も学年も覚えていないけれど、それに相応しい成績やレポートを見せれば許可を出してくれる』
「それ、本当?すごく役に立つじゃない!」
『その通り。でもシャルル、僕が禁書を読んだのはもちろんちょっとした好奇心を満たす学術的行動ゆえにだよ。分かってくれるよね?』
「もちろんよ」


「リドルは日記の中にいるの?それとも日記そのもの?ずっと1人でいて、退屈なのではない?」
『あまり時間の感覚はないんだ。でも退屈ではあるよ。今は君が話してくれるから楽しいよ。僕は、そうだな……過去の記憶といったらいいのかな』
「記憶?記憶を閉じ込めたの?」
『まあ、似たようなものかな』
「今のあなたはいくつの記憶?」
『5年生だ』
 彼が功労賞を貰った時の年齢だ。しかしシャルルは踏み込まなかった。秘密にいきなり手を突っ込むのは性急すぎる。シャルルは猪突猛進だが、待てのできない犬ではない。
「5年生の時に作ったのね。優秀ね……そんな魔法想像も出来ないわ」
『努力を怠らなければ誰でも高みにいくことはできる。君にそんな野心があるなら、だけど』
「スリザリン生だもの。でも今興味があるのはあなたよ。16歳のあなたを閉じ込めるってゴーストみたいなものかしら。過去の記憶も思考も備わってる」
『似ているけれど少し違うと思う。僕は君との対話を経て経験を蓄積できる』
「ゴーストは停滞する存在……あなたとは違うわね。少し話しただけであなたの頭の良さが分かるわ」
『ありがとう。君の聡明さも分かるよ。君は賢い魔女だ』
「どうも。たぶん、あなたは当時から突き抜けていたでしょうね?監督生だったの?」
『ディペット先生はマグル育ちの僕でも評価してくれて、有難いことに僕に栄光を与えてくれた』
 リドルは自分のことを「マグル生まれ」ではなく「マグル育ち」だと表したがった。孤児院という、捨て子の集まる場所で育ったらしいが、自分の親のどちらかが魔法族であると考えていることを感じ取った。
「それじゃあきっと、スリザリンのプリーフェストルームにあなたの名前があるでしょうね。今度見てみることにするわ」
『少し恥ずかしいな……。大したことが出来たわけじゃないから』
「こんな日記を作れるのは十分大したことよ。わたしの知る限り、羊皮紙や本に返事をさせることは出来ても、自分で考えるように魔法をかけることは出来ないでしょ?なのに記憶を宿すなんて。ああ、肖像画の応用なのかしら。自分で自分の肖像画を残したら、限りなく本物に近い記憶になるでしょ?」
『……やっぱり君は賢いね?でも違うかな。肖像画はその人の特徴や口癖をなぞっているだけだからね。意思はあるけれど』
「意地悪しないでちょうだい、リドル。ヒントはくれないの?」
『少しミステリアスな方が女の子を惹き付けられると思うんだけど、どうかな』
「真っ白な紙のままで十分ミステリアスよ。それに憶測だけど、たぶんあなたは肉体を持っていた頃から人気だったと思うわ。スリザリンの女子生徒からはどうだったか知らないけどね」
『ハハ!たしかにスリザリン生の女子生徒は最初僕にあまり近付こうとはしなかった。血筋は重要はファクターだから。君もそうだろう?』
「友人にはなれるわ」
『シャルルは今12歳なんだよね。ボーイフレンドはいないの?君も男の子に好かれるだろ』
「恋には興味ないわ。将来の相手は親が決めるだろうし」
 そこまで書いて、プライベートなことを話しすぎたとシャルルは苦い顔をした。返事を見る前に日記を閉じる。

 リドルと話しているとなんだか時間を忘れてしまう。
 たわいないことは、パンジーやダフネと話せばいいのに、ついリドルに話しかけてみたくなった。
 本人が言う通り、彼はミステリアスすぎて暴きたくなるのだ。闇の魔術がかけられているとは思えないほど、彼は柔和な話し方をし、美しい文字を書き、たまにクスリと笑わせてくれてまるで昔からの友達みたいな気分にさせる。
 時折挟まれるちょっとしたブラックな物言いや、不遜そうな側面はむしろ共感を抱かせる。
 シャルルはそれが、リドルが自分をそう見せているだけだとは分かっていた。シャルルがリドルを見定めようとするように、リドルも話し相手を分析し、それに合わせた対応をしているだろうことは、彼がスリザリンの監督生で首席であったことからも想像にかたくない。
 普通スリザリンは家柄で役柄も決まる。当時にも有力な家系の子女はいたはずだし、50年前なら今よりもっと純血の価値が高かった。それなのに監督生になれたのは、彼が政治にも優れていたからに他ならない。
 分かってはいるけれど、警戒していてもリドルと話すのはおもしろかった。
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