30

「シャルル」
 声を掛けられて顔を上げた。
「何してるんだ?食事に行こう」
「そうね」
 日記帳をしまうところを、ドラコが見つめていた。隣に並んで歩き出す。ドラコの反対側にパンジーもいる。
「またそれを見てるのか?」しかめっ面でドラコが尋ねた。この前のシャルルの様子がおかしいことをドラコは気にしていた。
「日記を書き始めたのよ」
「日記?」
 彼が鼻で笑う。「そんな俗っぽい趣味があったとは知らなかったよ」
「思考整理するには便利よ」
「でも暇さえあれば開いてるだろ。前より話す回数も減った。だろう?」
 ドラコに同意を求められ、複雑そうな顔をしていたパンジーがパッと嬉しそうに頷いた。
「そうよシャルル。朝も昼も夜も、授業中だって開いてるじゃない」
「……そう?」
「見ればいつでも何か書き込んでるわ。日記を書くのってそんなに楽しい?わたし達と話すより?」
 言われるほど開いている自覚はなかったが、パンジーの非難の声に拗ねるような響きが篭っていて、シャルルはパンジーの隣に並んだ。腕を絡める。
「もちろんパンジーと話す方が楽しいわ」
「そうでしょう?」

 食堂ではセオドールが1人で座っていた。シャルルに気付くと彼は片手で無造作に椅子を引いた。彼と話すのは久しぶりな気がする。1ヶ月も会っていなかったし、セオドールは筆まめ方じゃない。
「プレゼントをありがとう。あの本すごく興味深かったわ。古代魔法についてレポートを纏めたくなるくらい」
「どのくらい書き上げたんだ?」
 当たり前のように彼が尋ねた。「まだほんの少しよ。羊皮紙ふた巻き程度しか……資料が足りないの」
「テーマは?」
「攻撃魔法の背景。レダクトとかボンバーダとか……起源は一緒でしょ?もう少し色々学んだら、新しく呪文も作ってみたいのよね」
 大皿からジャケットポテトを少し取りながらシャルルはべらべら捲し立てた。久しぶりに会うと話したいことが湯水のように溢れた。それにセオドールは少ししか返事を返してくれないが、きちんと相槌を打って話を聞いてくれる。懐かしい感じがした。
「僕も呪文の発明には興味がある。大抵の呪文は既に作られてるだろうから、改良や研究から手を付けようと思ってる」
「ほんと?もうしてる?」
「いや……少なくともO.W.Lレベルの予習を済まさないことには話にならない」
「テーマは?」
「マフリアート」

 端的に彼は答えた。耳塞ぎ呪文は周囲から自分への注意を逸らす魔法で便利な保護呪文だ。昔父親に教わったものでシャルルもたまに使うし、喧騒が嫌いなセオドールはいつも使っている。
 休み明けで、授業が再開して間もないのにさっそく勉強の話をは始める二人に、ドラコとパンジーは目を回してウンザリしたような顔をしてみせた。パンジーはドラコに話しかけてもらえて生き生きとしている。

「ふぅん?でもマフリアートってかなり完成された呪文じゃない?改良の余地を感じてるの?」
「研究対象として。あれが呪文学の本に乗ってるのを見たことあるか?」
 そう言われ、頬に手を当てて小首を傾げた。たしかに見たことがないかもしれない。予習は三年生、四年生、五年生あたりのものまでしか読み込んでいないし、高学年のものは何回か目を通したくらいで、さらに高度な呪文や古い呪文は使えそうなものしかきちんと学んでいないが、そういえば家にある書物にも見かけた覚えはなかった。
 ヨシュアから学んだ呪文なのに変だ。
「だろう。僕はあの呪文をロジエールに聞いた。彼は先輩から教わったらしい」
「代々受け継がれてるってこと?」
「恐らく。調べたが、実験的呪文登録委員会の認証呪文一覧に認定された記録はなかった。少なくとも君の父親の代にもあったはずだけど、本にも記録にもない。生徒か当時の教師が開発して口伝で伝わってるんだ」
「へぇ……面白いわ。よくそこまで調べたわね」
 感嘆の声に、セオドールはちょっと肩を竦めてみるだけだった。シャルルが色んなことに気を取られている間にも、セオドールは自分の研究のために学びを怠っていないことを考えると、シャルルもうかうかしていられない。
 しかしさっそく彼女はソワソワしていた。
 リドルに聞いてみたい。でもいきなり日記を開いてメモするのは不自然極まりない。

「おい、食事のペースが落ちてるぞ。話に夢中になるのはいいが」
 ドラコがそう言いながらシェパーズパイが少しと、スコッジエッグが少し乗った小皿を差し出した。
「ありがとうドラコ」
 会話を中断させてシャルルは食べることに集中した。食べ終えると、ちょうど満腹に近い量だった。今日はデザートは取らないことにし、最後にホットアップルジュースを飲み終えたタイミングで、ドラコもプティングを食べ終えた。差し出された手を取りシャルルは食堂を後にする。

 談話室に戻ると、いつもならパンジーはベッタリドラコにくっついてティータイムを過ごしているが、今日はまっすぐ寝室に向かった。
「パンジー?」
 彼女の顔が強ばっていた。声を掛けても気づかないのか小走りでスカートを翻した。
「ドラコ、何か言ったの?」目を吊り上げたシャルルが睨まれ、驚いたように「いや、知らない」と首を振った。
「でも様子がおかしいわ。傷付いているように見えた。何か無神経なこと口にしたんじゃなくて?」
 ドラコは憮然としたが、数秒思案した。そしてやっぱり知らないという結論に至った。
「さっきまで普通だったじゃないか。食事の時も普段とそう変わらなかったと思うぞ」
「うーん……」
 セオドールは興味がないのかサッサといなくなってしまった。薄情な人だ。たしかに彼とパンジーは大して仲が良くないけれど。
 ドラコに断ってシャルルも寝室に行った。

 ベッドにカーテンがきっちり引かれていた。
「パンジー?開けてもいい?」
「1人にさせて」
 固い声が返ってくる。シャルルは構わずカーテンを開けた。パンジーは傷付いた時や落ち込んでいる時、むしろ誰かに話を聞いて欲しいタイプだから。
 けれどパンジーはシャルルの顔を見るなり、鋭い目で睨んだ。

「1人にしてって言ったじゃない」
「でも……放っておけないわ」
 カーテンを閉じ、シャルルは杖を振る。さっき話していたマフリアートをかける。こうすればパンジーの私的な悩みを聞いても、周囲の人にはただの雑音にしか聞こえなくなる。
 ベッドに腰掛け、シャルルは左手でパンジーの背中を宥めるように撫で、右手はそっと膝の上で固く握り込まれている拳の上に乗せた。
「どうしたの?……ドラコに何か言われたの?」
 彼の名を出すとパンジーは唇を噛み、腕がプルプルと震えた。視線は床の方を睨んでいる。
「噛まないで……跡になるわ。何を言われたの?」
「何か言われたわけじゃないわ」
 素っ気なく言うと、パンジーは自分の手に乗っているシャルルの手を軽く払い除けた。深呼吸して自分を落ち着かせようとしている。

「別にドラコとか誰かが悪いわけじゃないのよ……分かってるけど……」
 小さく呟くパンジーは泣き出しそうに見えたが、彼女の目は乾いたままだ。眉根がギュッと寄っているが、泣くのを抑えているのでも、怒りを耐えているのでもなかった。
「でも何かあったのでしょう?わたしに手伝えることはある?誰かに話を聞いてもらったら楽になるかもしれないわ」
 シャルルはどうしたら良いか分からなかった。普段の癇癪と違う。
 パンジーは感情表現が豊かだから、嫌なことにはプリプリ怒って散々愚痴や悪口を吐いてスッキリするし、相手にもぶつけるし、ドラコ関連の悲しいことがあるときだってたまに少し泣くことはあるけれど、たいていは愚痴を言いながら惚気になってケロッとしている。
 こんな風に1人になろうとして、何かを耐えようとしているのは初めてだった。

「……」
 パンジーはしばらく床を睨み、パッとシャルルを見た。
「シャルルって恋をしたことないって言ってたわよね?今も?」
「こ、恋?」
 あまりに唐突な恋バナだった。しかも、甘くてきゃあきゃあしている、パンジーの好きな雰囲気ではない。でも彼女の顔があまりに真剣なので、シャルルはうなずいた。
「ええ。好きな人はいないわ。まず、恋っていう感覚が分からないけど……」
「ときめいて、その人のことばかり考えて、自分の感情がめちゃくちゃになる感じよ。その人の行動の意味をいちいち考えて、嬉しくなったり悲しくなったりするの」
「んー……。相手の反応を過剰に気にしてしまう感覚よね」
 まるで授業を受けているみたいだ。それか尋問を受けている気分。
「それと、相手に嫌われたくなくて機嫌を取りたくなったり、その人が笑ってくれると嬉しくなったり、その人のために何かしてあげたくなったり……」
「考えてみたけれど、やっぱり誰にも恋はしていないと思うわ……」
「そう……」
 パンジーは瞳を伏せた。安心したようにも、悲しんでいるようにも見える。何がどう関係しているかは分からないけれど、求めていた答えを返せなかったのかもしれない。パンジーが悲しんだり、シャルルに辛く当たったりすると、他の人には感じない感情が湧く。胸がツキンと痛んでどうにかしたくなるのだ。
 他の人からは、嫌われても好かれても自分の感情が動く感覚はあまりないのに。嬉しくなったりイラつく時はあるけれど、傷つくことはあまりない。
 シャルルは特に考えずにそのまま言った。
「今言ったみたいな感情は、パンジーには感じるわ。あなたが悲しそうだとわたしも悲しいし、あなたに嫌われるとすごくどうしようって思うの」
「はっ?」
 思わず顔を跳ね上げたパンジーはシャルルの表情を見た。眉を下げて、なんならパンジーよりも悲しそうな顔をしている。シャルルがパンジーの手のひらに指を絡めた。

「これは恋じゃないと思うけど……あなたに元気になって欲しいのはほんとよ。どうしたらいい?」
 シャルルは捨てられた子犬のような表情で途方にくれる表情を浮かべていた。パンジーは頬を赤らめた。
 パンジーは小さく呟いた。
「これだから嫌なのよ……」その声は聞こえなかったが、パンジーは惨めさに打ちひしがれているように見えた。

「休みの間、ドラコは今日みたいだったの?」
「今日みたいって?」
 もどかしそうにパンジーは重ねた。
「だから、当たり前のようにあなたと過ごしていたの?」
 シャルルはようやくパンジーが何を心配しているのか分かり始めた。
「たしかに食事を一緒に取ったり、課題をしたりしたけど、クラッブとゴイルも一緒だったわ。それにずっと過ごしてたわけじゃないのよ。わたしはほぼ図書室にいたけど、ドラコは自主研究は好きじゃないから」
 パンジーの心配は的外れだ。シャルルは安心させようとしたが、彼女の顔はまだ晴れない。
「じゃあ、ドラコのあなたへの態度で何か休み中と違うところはあった?」
「特にないわ。彼はいつも通りよ……何も心配するところなんかないわ」

 パンジーは眉根をグッと寄せて、耐えるような表情をした。
「じゃあそれが当たり前だってことよ!授業に行くのも食事に行くのもあなたを誘って、歩く速さは合わせて、立ち上がる時はエスコートして、扉をあけて、あなたの食事の好みや量を把握してお皿に載せてあげて、食事を取るペースを合わせて……それが……」

 わなわなと震える彼女が吐き出した言葉にシャルルは呆気に取られた。そう言われると、ドラコがまるで……すごく紳士的な男の子みたいだ。
「考えすぎよ。別にドラコはそんなこと別に考えてないと思うわ……。それかたぶん世話焼きだからよ。休み中、本に夢中になりすぎて食事を取らないときもあったし……」
「もういいわ。1人にして。別にシャルルがドラコに恋してないのは分かってるのよ」
 泣いてはいなかったが、彼女を1人にすれば涙に暮れるだろうと分かった。
 でも本当に、ドラコはシャルルにそんな……パンジーが思うような感情は抱いていないはずだ。
「わたしは恋は分からないけど、わたしに恋をしている男の子の視線は分かるわ。ドラコはわたしのことをただの友人としか思っていないはずよ」
「そういうところが!」とうとうパンジーは鋭く怒鳴った。そしてすぐにへたり込むようにベッドに座り込んだ。

「1人にして。これ以上わたしに酷いことを言わせないで」
「パンジー……」
「出て行って!別にあなたにもドラコにも怒ってない。でも考える時間が必要なの。シャルルには分からないかもしれないけど、恋をすると全部が不安になるのよ。説明させないでよ、こんなこと……」
「……その、ごめんなさい……。わたし、ダフネの部屋に行ってるわ。消灯時間になったら戻ってくるから」
 力なくパンジーはうなずいた。
 ベッドから去る時、小さい声で最後にパンジーが尋ねた。
「そのブレスレット素敵ね。ドラコから?」
「え、ええ……クリスマスに……」
 何故か後ろめたいような気がした。そう思う理由などないのに。パンジーだってドラコからクリスマスプレゼントを贈られたはずだ。
「そう……」

 シャルルは何回か振り返りながら部屋を後にした。なんだかどっと疲れてしまった。

 恋というのは、やっぱりめんどうくさい。不確かな思い込みや情報で、パンジーに嫌われそうになるのはいやだ。シャルルは指先を擦り合わせた。
 パンジーを不安にさせるドラコが悪いのか、パンジーが恋をしているドラコと仲良くするシャルルが悪いのか分からない。それとも両方悪いのだろうか。あるいは両方とも悪くない?
 思想や意見の食い違いなら対応を取りやすいけれど、恋というものが関わってくると、人は変わる。
 ザビニなら、こういうことへの対応も上手くやるのかもしれない。シャルルにはまだ難しかった。

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