20

 大広間はいつになく広々としていた。ひしめく重厚な長テーブルは撤去され、紺色の夜空の下で金色の壁が輝いている。
「決闘クラブなんて、なかなかハイセンスな催しだわ」
「こんな大がかりなクラブはなかったもんね!」
 心躍らせるシャルルにトレイシーが同意してくれたが、パンジーは白けた目で熱心に手鏡を眺めている。大勢が集まる場所では、ティーンらしく自分の前髪が完璧な状態か確認するのはパンジーのクセだった。
「ドラコも参加するっていうから来たけど、決闘とかどうでもいいわ。ねえ、おかしくないわよね?」
「素敵だと思うわ」
 ダフネが見もせずに答えた。パンジーのそれで満足したようで、頷いて手鏡をローブにしまい込んだ。

 チラッとシルバーブロンドを見つけた瞬間パンジーが走り出そうとするから、シャルルはパンジーの腕を捕まえて「ドラコ!こっちよ!」と呼ぶ。
 一緒にいたいならパンジーが行くんじゃなくて、相手を呼びつけたほうがいい。それならシャルルもパンジーと過ごせるし、恋愛では尽くしすぎるとダメってザビニが得意げに言っていたから。
「いつから名前で呼んでるのよ?」
 不快そうにパンジーが唇を尖らせて、シャルルを横目で睨んだ。「ドラコに興味があるの?」
「いつだったかしら」
「ドラコに興味があるの?」
 パンジーはもう一度繰り返した。ピリッとした口調にダフネがおろおろと胸のあたりで手を彷徨わせている。最近パンジーがなにか言いたそうに口をもごつかせていたのはこれだったのか。シャルルは安心させようと微笑みを浮かべた。
「大丈夫、あなたの大好きなドラコはただの友人よ」
「あっそう」パンジーはカッと顔を赤くして、安堵を不機嫌な顔で隠した。「ならいいのよ」
「ふふっ、心配しなくていいのに」
「仕方ないじゃない、シャルルが本気になったら誰が敵うっていうの?クリスマスも残るし……」
「パンジーも残ったら?一緒に休みを過ごせたら、素敵!」
「バカ言わないで、わたしのパパが煩いの知ってるでしょ?残れるなら真っ先に残ってるわよ」
 ミセス・パーキンソンはパンジーに似て快活で自由人だが、ミスター・パーキンソンはそんな妻子の手綱を握ろうと必死だ。以前パーティーでお見かけした時は目尻の皺と、心做しか落とした肩、チラチラふたりを見る目線が完全に苦労人だった。

 興奮しておしゃべりを交わす生徒たちを押しのけ、肩で風を切るような歩き方のドラコが合流すると、パンジーは一気にめろめろの顔でくっついた。触れていないと死ぬのだろうか。
 シャルルには、パンジーの機嫌をこんなに簡単に治すことは出来ない。ただ顔を見せただけでこれなんて。
「決闘ね」フン、と鼻を鳴らしてドラコが言う。
「馬鹿馬鹿しいが、攻撃呪文を教えるなら参加する意義が少しはあるな」
「誰が担当なのかしら」
「フリットウィックは?決闘チャンピオンなのが彼の自慢でしょう?」
「そうなのか?」
「レイブンクロー生がいつも得意気に話してるのよ」
 ダフネの答えに期待が高まる。フリットウィックはデミヒューマンだけれど優秀だ。シャルルとダフネは呪文学クラブに入ってから使える呪文が増えたし、授業で気にかけて貰える頻度も上がり、加点の機会が多くなった。彼は話のわかる人だ。
「フリットウィックより絶対にスネイプの方が有能だよ。まあ、まさか教授がこんな場に出てくるわけがないが……はっ?」
 言葉の途中でドラコが目を剥いた。舞台を口を開けて見つめている。つられて前を向いてシャルルも間抜けな顔をしてしまった。

 薄暗い大広間の中で、太陽みたいに輝く濃いブロンドの巻き毛、自信に溢れたナルシストなパーフェクトスマイル、悪趣味なのに妙に様になる深紫のローブ……ギルデロイ・ロックハート。そしてその後に苦虫を1万匹くらい噛み潰したような顔をしている真っ黒な人は、まさかの、セブルス・スネイプ教授だった。
 ロックハートが何やら演説しているが、スリザリン生は石のように固まって固唾を飲んでスネイプを見つめた。賞賛すればいいのか、反応を示さない方がいいのか、スネイプの形相を見るとそのどれもが正しくないような気がして、見守るしかなかったのだ。
「それでは、助手のスネイプ教授をご紹介しましょう」
 よりによって、スネイプが助手!

「スネイプ先生がおっしゃるには、決闘についてごくわずか、ご存知らしい。訓練を始めるにあたり、短い模範演技をするのに、勇敢にも、手伝ってくださるというご了承をいただきました。さてさて、お若いみなさんにご心配をおかけしたくはありません。――私が彼と手合わせしたあとでも、みなさんの『魔法薬』の先生は、ちゃんと存在します。ご心配めさるな!」

 スネイプの土気色の顔色がどんどんドス黒く変化していく。スリザリン生は生唾を飲み込んだ。シャルルは初めてロックハートを心底尊敬した。彼は死ぬのが怖くはないのだろうか……。

 向かい合ってお互いが一礼する。ロックハートの芝居がかった優雅で余裕な態度と、今にも飛びかかりそうな目をしたスネイプの雑な一礼は対照的で、ピリピリとした雰囲気が漂う。肌で感じられるような殺気にもロックハートはいつも通りの調子を崩さない。
 修羅場をくぐってきたのは本当なのかもしれない。
「3つ数えて、最初の術をかけます。もちろん、どちらも相手を殺すつもりはありません」
「あいつに目はついてないのか?」震える声でドラコが呟いた。あんなに怒りが顔に出ているスネイプは初めて見た。
 カウントに合わせてふたりが杖を肩まで振り上げた。1、と同時に真っ赤な閃光が視界を焼いてロックハートが吹き飛ぶ。
 彼は空中を浮いて、壁に激突し痛々しく倒れ込んだ。

 スリザリン生が歓声を上げる。シャルルも思わず叫んでしまった。なんだ、口ほどにもない。ロックハートがピクピク痙攣しているので、一瞬死んだのかと思ったが、よろよろと彼は立ち上がった。
 乱れた髪で、あんな無様を晒した後でもハンサムさを失わないのは一種の才能かもしれない。女子生徒のため息が揃う。
「皆さん、お分かりになりましたね」
 まったくいつも通りのキラキラの笑顔でロックハートが続ける。
「今のが武装解除の術です。相手の杖を取り上げ、時には今のように相手を吹き飛ばすこともある、有用な技です。呪文は『エクスペリアームス』、復唱して……『エクスペリアームス』、そうです!」
 髪の毛を治し、帽子を被り直す。うっとりしたラベンダーから杖を受け取り、ニコニコとスネイプに話しかけている。
「スネイプ先生、たしかに、生徒にあの術を見せようとしたのは、すばらしいお考えです。しかし、遠慮なく一言申し上げれば、先生が何をなさろうとしたかが、あまりにも見え透いていましたね。それを止めようと思えば、いとも簡単だったでしょう。しかし、生徒に見せたほうが、教育的によいと思いましてね……」
 シャルルは顔面が蒼白になるのを感じた。やはり、ロックハートは大物だ。ドン引きしすぎて彼に恐れすら感じた。彼の出身はレイブンクローのはずだけど、グリフィンドールの性質も多く備えているんじゃないかと思った。
 シャルルはスネイプを盗み見て、ロックハートがまだ生きて喋っていることを確かめた。

 実践のペアはテローゼと組むことになった。
 ドラコはポッター、パンジーはラベンダー、ブルストロードはグレンジャー。生徒の相性をスネイプはよく分かっているらしい。
 シャルルは冷たく顎を上げた。テローゼも澄ました顔で睨み返してくる。生意気な。
 杖を構えて軽くお辞儀をする。カウントが響く。
「3……2……1」
「エクスペリアームス!」
 声が揃い、赤い閃光がぶつかり合った。咄嗟に閉じようとした目をなんとか開けて、視界が開ける前にもう一度叫ぶ。
「エクスペリアームス!」
 今度はちゃんと手応えがあった。クルクルと手元に杖が落ちてくるのを受け止めて、シャルルは悔しそうなテローゼに勝ち誇った表情で冷笑した。
 わたしに盾つこうだなんて100年早い。

 優越感に浸って周りを見回して、シャルルは絶句した。生徒たちがしっちゃかめっちゃかになっている。ドラコは膝をついて全身震わせながら爆笑し、ポッターがすごい形相で踊り狂っている。パンジーとラベンダーが髪の毛を掴み合いキーキー怒鳴りあっていて、ミリセント・ブルストロードはグレンジャーの首を締め上げ、バタバタと魚のようにもがいていた。セオドールはザビニを既に無力化していて、癇癪を起こしたザビニが床を蹴りつけている。しかしそれでもまだお上品だ。他の生徒のように殴りかかっていないのだから。
 呆然としていると、同じく立ち尽くしているダフネと目が合った。彼女はトレイシーと組んで穏健に決闘を終えたようだった。シャルルは言葉もなく彼女と見つめ合った。

 スネイプが呪文で無理やり決闘を終わらせて、それでもまだ組み付いているブルストロードをポッターがなんとか引き剥がしてた。グレンジャーはゼイゼイ息をしていた。ブルストロードは……なんというか……闘牛みたいだ。自分がスリザリンで、スチュアートで良かった。彼女のように背の高い子に実力行使されたらひとたまりもない。

 大広間は酷い状態だった。
「むしろ、非友好的な術の防ぎ方をお教えするほうがいいようですね……」
 あんなに悠然な……悪くいえばすこぶる鈍感なロックハートに面食らった表情をさせるとは、ある意味すごい。
 しかし懲りてはいないらしく、模範演技にドラコとポッターが選ばれた。突然生き生きとし始めたスネイプに腕を掴まれ、無理やり壇上に登らされたドラコの耳元で何かを囁くと、ふたりはそっくりに悪意的な笑みを浮かべた。ロックハートに選ばれたポッターは……見る限りは有用なアドバイスを貰えなかったようだ。

 向かい合ったふたりは、僅かに首を傾けた。どちらも鋭く相手を注視している。素早く杖を振り上げたドラコが先に呪文を唱えた。
「サーペンソーティア!」
 壇上に黒い長蛇が飛び出して、シャーッと大きな口を開けた。牙がギラリと光っている。生徒たちは悲鳴を上げて後ずさったがシャルルはニヤッとした。
 スネイプ教授も憎い演出をする。スリザリン生に蛇を使わせるとは。

 怒る蛇に立ち竦んでいるポッターに、ニヤリと踊り出てきたスネイプが呪文を唱える前に、ロックハートが叫んだ。大きな音と共に吹き飛んだ蛇が何回かバウンドして、落下地点にいたハッフルパフ生に向かって唸り始める。ロックハートって本当に余計なことをする天才なのね。シャルルはしみじみ思った。
 あの様子だと噛まれてしまうだろう。まあ、毒があってもマダム・ポンフリーは有能だ。それにスネイプが少し焦った顔で蛇のところに駆け付けている。

 その時、ポッターが動いた。さっきまで動けなかったのに、躊躇うことなく蛇に寄ってきて、そして……。

『シューーーッ、スーーーー……』

 ポッターが口から出した音を聞いた瞬間、全身に石化呪文が掛けられたかのように、全身がピキンと固まった。息さえ、心臓さえ止まったように感じられた気がした。

 えっ……えっ?

 電流が走ったみたいに頭が痺れる。目の前の光景を頭で理解するのにしばらく時間がかかった。今のは……。遠くなっていた音が戻ると、大広間が騒然としていた。
 蛇は唸り声を止め、丸くなって、まるでポッターの命令を待つようにつぶらな瞳で彼を見上げている。
 全身が震えているのにシャルルは気付いていなかった。心臓が爆発しそうなほど烈しく鳴り響いて、酸欠で頭がクラクラする。
 ロン・ウィーズリーがポッターの手を引いて、彼の背中が遠くなって行くのに、咄嗟に手を伸ばした。
「あっ……」
 行っちゃう!行かないで!待って!
「待って……」
 弱々しい言葉がするんと零れて、同時に足がふらっと前に出た。固まっていた身体がその拍子になめらかに動き出し、背中に火がついたようにシャルルは走り出した。
 扉から僅かに見えたポッターのローブを追いかける。

 まさか、まさか、彼がサラザール様のご子孫だったなんて!!

 心臓が、痛いくらいにドキドキ鳴っていて、いてもたってもいられない。こんな気持ち初めてだった。シャルルは真っ赤な頬、潤んだ瞳で必死に足を動かした。まるで恋する女の子みたいに。
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