19

 勉強会にイル・テローゼは参加しなくなったが、その分をシャルルが教え、穴を埋めようと躍起になった。始めの頃はぎこちなく、特に半純血の生徒たちはシャルルに話しかけられると反射的に肩を揺らしたが、まるで産まれたての赤ん坊に接するように至極丁寧に、優しく話し掛けてくるシャルルに、ゆっくりと慣れ始めているようだった。
 今まで、無機質な微笑みしか向けられたことの無い生徒たちは、いきなりシャルルがまるで優しい友人のようになったことにとても戸惑っていたが、話し掛けられた生徒は全員、嬉しさと照れと怯えが綯い交ぜになった複雑な感情を抱いていた。

 テローゼがいなくとも勉強会が軌道に乗り始めたことに、シャルルは胸を撫で下ろし、達成感を感じた。優越感も。
 しかし、ひとつの空席を見るたび、苦々しい気持ちが湧き上がる。
 たかがスリザリンの同級生すら掌握し切れない自分が情けなくて仕方がない。

 今まで無視していたかと思えば、突然優しくなり、今ではテローゼを燃えるような瞳で睨みつけるシャルルに振り回され、スリザリン生はテローゼを扱いあぐねている。
 シャルルの感情を敏感に察し、トレイシーが先陣を切ってテローゼを蔑み始めてからは、彼女はまたスリザリンで嫌われ者として存在感を増し始めていた。


「あら?」
 談話室で寛いでいると、去年の通りチェックリストが回ってきた。クリスマス休暇中在籍する生徒を確認するためのものだ。
 休み中は家族で団欒したり、親戚や知り合い同士でのパーティーに参加する生徒が多いスリザリン生は、毎年ほぼ誰も残らない。リストには上級生が何人かの名前しか書かれていなかったが、1番下に載っている見覚えのある名前に、シャルルは目を瞬かせた。
 暖炉の前に座っている彼の元に近寄って肩を叩くと、冷たい薄灰の瞳が怪訝そうに振り返る。
「どうした?シャルル」
 顔を上げたドラコの目元が和らぐ。ソファの前に立つと、彼が少し端に避けたのでシャルルは隣に座ってリストを見せた。
「クリスマスに残るなんて驚いたわ。パーティーがあるんじゃなくて?」
「そのことか」鼻に皺を寄せて嫌そうな声で答える。「休み中、僕の館に役人が来るらしい。例のお節介連中の抜き打ち調査だ。まったくウンザリするね」
「ああ、例の?」
 スチュアート家に来たことはないが、屋敷の調査を回避するためにどれだけ面倒な手回しがあるか、以前父のヨシュアが愚痴っていたのを耳にしたことがある。歴史が古い家なら、多少なりとも薄暗い品はあるものだ。
「父上は非情に貴重な物品を幾つも保管しているからね。準備が必要なんだ。物の価値の分からない下賎な連中にはイライラさせられるよ……」
「でも抜き打ち調査の準備だなんて、ミスター・マルフォイの人脈は流石ね」
 おかしそうにシャルルが笑う。ドラコは隠しようもない得意げな顔でニヤッとほくそ笑んだ。魔法省にはルシウス氏の味方が大勢いるから、不利な立場にならないよう上手く泳ぐことが出来るんだろう。素晴らしい外交力には感心するばかりだ。

「それに……」気を良くしたのか、ひそめるような声でドラコが囁いた。
 シャルルがそっと身体を寄せると一瞬動きを止めたが、滑らかに喋りだした。
「父上は継承者による粛清は必要なことだと仰っているからね。関わり合いになるなと言われたが、どうせなら特等席で見たいじゃあないか?」
 興奮がゆっくりと全身に広がって行くのを感じた。シャルルはサファイアの瞳を煌めかせて、鼻を高くしているドラコの顔をまじまじと見上げた。
「じゃあ、あなたはやっぱり……継承者を……?」
「いいや」ドラコはキッパリ言った。「誰かは知らない。だが、父上は何かをご存知なようなんだ。でもいくら手紙で尋ねても何も教えてくれないばかりか、毎回目立たずに、関わらないようにしろって締められてしまうんだ」
 至極つまらなさそうで、少し拗ねた様子の彼は本当に何も知らないようだ。シャルルは肩を落とした。やはり、スリザリン生の親はどこも過保護で秘密主義者のようだった。
 シャルルも父親に手紙を送ってはみたが、何も知らないと言われたし、危険なことに関わるんじゃないと強い口調の手紙を寄越されてしまった。
「ドラコが残るなら、わたしも今年は残ろうかしら」
「本当かい?」嬉しそうにドラコが身体を起こす。
「ええ、継承者や秘密の部屋についてホグワーツを調べてみたいし。家族には残念がられるでしょうけど……」
「どうせ君はパーティーには顔を出さないし、今年くらいいいんじゃないか?」
「そうね。楽しいクリスマスにしましょうね」
 ますます機嫌が良くなり、休み中の計画についてあれこれ考え始めた彼に、シャルルは少し甘えるような声を出した。男の子が好きそうな声だ。ブレーズ・ザビニが使うといいと指導してくれた、男の子を動かす声。
「ねえドラコ、もしミスター・マルフォイから新しく教えていただいたら、わたしにもきっと教えてくれるでしょう?」
「あ、ああ、もちろんだ」
「きっと?きっとね?」
「当然だよ。君ほどサラザールを尊敬している人はいないからな」
「ありがとう、とっても嬉しいわ、ドラコ」
 シャルルは溶けるように微笑んだ。本心からの笑顔だった。サラザールに繋がる欠片が少しでも見つかりそうでとても嬉しい。ドラコの頬がポッと染まるのをシャルルは見た。まるで自分がパンジーになったみたいだと、なんとなくシャルルはそう思った。

*

 家に帰らないことを伝えると、当然のように猛抗議の手紙が来た。ホグワーツは危険だから帰って来なさいと、いつになく威圧的なヨシュアの手紙に加え、泣き落としに近い母のアナスタシアからの心配する気持ちがふんだんに盛り込まれた手紙に、さらには追撃で弟のメロウが拙い文字で「お姉様に会いたい」と書かれた可愛い手紙まで来た。
 これには心がグラグラ揺れ、天秤がかなり拮抗したけれど、この猛反対の様子と尋常じゃない心配の仕方を見たら絶対に両親は何かを知っている気がした。アナスタシアはどうか分からないけれど、ヨシュアは絶対に何か知っている。絶対知っている。
 ここでみすみす引き下がるのはなんだか悔しいし、シャルルはもう屋敷の中で大切に隠されたままの子どもじゃない。
 返事は返さなかった。
 スリザリン生が秘密主義なのは性質だけれども、隠すなら隠していることを分からないくらい完璧にやり切ってもらわないと、気になって苛立ってしまうもの。少し罪悪感はあったが、反対されるほどにシャルルの心はかたくなになった。

 魔法薬学はスリザリン生がおそらく最も好きな授業だ。全ての科目でいちばん点が取りやすいし、天敵のグリフィンドールを嘲笑えるし、寮のすぐ側にあるから移動がラクチン。いいところしかない。
 たいていの寮生は授業開始10分前には席についている。
 机に教科書が置かれた。セオドールが隣に座り、真鍮の秤がゴトリと音を立てた。
「今日は膨れ薬を作るんだったか」
 独り言を呟くように彼が言った。彼は他人に話しかけているんだかいないんだか分からないように話すことが多い。シャルルはすっかりそれに慣れていた。
「期末試験に出そうな薬の候補よね」
「ああ、だから君と組めたらと思ってね」
 シャルルもセオドールも基本的には教室の前の方に座るのでペアを組むことが多い。パンジーはいつもドラコにくっついているし、シャルルは割と一人行動を好むのでペアは変動的だった。

 雑談を交わしていると生徒が揃い始める。授業態度の不真面目なドラコは、魔法薬学だけは教卓の目の前に座り、ひとときも離れたくないといった様子のパンジーがピッタリ隙間を埋めてドラコの隣に寄り添っている。その後ろにクラッブとゴイルがボディーガードみたいに座った。

 スネイプが煙の中を目を光らせて歩き回り、生徒に嫌味を飛ばす。ドラコはせっせとフグの目とか、切り刻んだネズミの内蔵とかをポッター達の鍋に飛ばしてはせせら笑う活動で忙しそうだ。スネイプは都合よくその場面だけ目が見えなくなる。
 セオドールが呆れて目を回して見せた。「くだらない」
「まったくね」
 シャルルも呆れ笑いを零した。テローゼの件で気に食わない人間に対してムカムカする気持ちが多少分かったつもりだったけれど、ドラコの執着心は度を超えている。
 しかし、ポッター達の反応は気にかかった。普段ならやり返すのを必死に耐えながらも、憤然とした目つきで睨み返すのに、彼らは苛立ちながらも気もそぞろな様子に見えた。
 チラチラ彼らを見ていると、通りがかったスネイプが「混ぜる手が遅い」とお小言を下さったのでシャルルは慌てて鍋に集中した。注意が削がれていたのは事実だけれど、明らかに他のことに気を取られているドラコにも何か言ったらいいのに。まあ、今更なのだけれど。

 膨れ薬が出来上がって瓶に詰めていると、近くからポチャンという水音が響いた。一瞬目を上げ、それがゴイルの方だったのですぐに目を離した。
 けれど、突然真横から強い力で引っ張られてシャルルは悲鳴を上げそうになった。
「シャルル!」
 聞いたことの無い、切羽詰まったセオドールの声。同時に何かが轟音を立てて爆発した。何が起きたか分からないまま、セオドールの腕の中にぎゅっと閉じ込められ、阿鼻叫喚の悲鳴を聞いていた。
「ぐっ……」鈍い苦痛の呻き声に顔を上げる。平行眉に皺が寄り、奥歯を噛み締める彼にシャルルは動転した。
「セオドール?一体何が……」
 彼の背中や腕がみるみる巨大に腫れ上がっていく。絶句して教室を見渡すと、身体の一部を膨れさせた生徒が呻いたり、泣いたりしてまるで地獄みたいだった。
 どうやらゴイルの鍋が爆発したみたいで、スリザリンを中心に被害者が円状に出ている。ドラコの端正なスッとした鼻は豚のようになって、パンジーが顔半分をパンパンにさせて、重みに傾きながら泣き喚いていた。

 スネイプが怒鳴って、ほんの少し生徒が声を落とした。ぺしゃんこ薬を処方してくれるらしいので、シャルルはセオドールの腕を取って悲壮な顔で彼を列に連れていく。彼が咄嗟に庇ってくれなければ、シャルルの身体も膨れてしまっていただろう。
 半純血の生徒や、被害の出たグリフィンドールの一部の生徒が我先に並ぼうとするのをシャルルは「どいて!どきなさい!セオドールを先に治してあげて!」と怒りの形相で蹴散らした。

 薬を飲むと徐々に腫れが引いてきた。さすがスネイプの作った魔法薬、即効性が素晴らしい。安心すると胸の奥がじーんとして、シャルルの眉毛が泣きそうに垂れ下がった。
「ああ……セオドール、わたしを庇ったせいであんなに……」
 背中全面が膨れたせいで、彼の制服は破れていた。申し訳なさと一緒に、まさか庇ってくれたなんて、と喜びも感じてしまう。
「別に。たまたま鍋に何か入るのが見えたんだ。それで君が隣にいたから」
「ええ。……ありがとう」
 素っ気なく彼は言った。シャルルが腕に抱きつき、まっすぐ見つめられたセオドールは珍しく困ったように視線を逸らした。

 それにしても……。
 特定の誰かを殺しそうな勢いで烈しく睨み、黒焦げの何かをつまんでいるスネイプの視線の先には、やはりというべきかハリー・ポッターとロン・ウィーズリーがいる。素知らぬ顔をしているけどポッターは視線を避けているし、ウィーズリーの顔は狼狽えている。
 ネビルの時のような事故ならともかく、こんな無差別的で攻撃的な悪戯をするなんて……。
 軽蔑の視線を送っているとポッターと目が合い、彼はサッと視線を逸らした。シャルルはセオドールに巻きついている腕にギュッと力を込めた。
[ back ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -