魔法薬学はあまり好きな科目ではなかったが、トレイシーとペアだったために、シャルルは積極的に授業に参加していた。シャルルは親分気質である。
実技は特に好きではないので、理論で点を稼ぐ。実技派のシャルルには珍しい科目だったが、シャルルにはどうしてもカエルの死骸だとか虫の内蔵だとか獣のエキスだとか、そう言う馬鹿馬鹿しいものへの嫌悪感を拭えない。
トレイシーは後ろに座りたがり、マルフォイとパンジーが寄り添うのがよく見えた。
「パンジーとまた仲良くなるためにはどうしたらいいと思う?」
おもむろに聞かれてトレイシーは困惑したが、すぐに表情を戻し頭を働かせた。シャルルの表情を読もうとしたが、いつもの微動だにしない完璧に穏やかな微笑で、感情を読むことはできない。
「マルフォイと引き離すべきだと思う。彼は優秀だけど、あなたほどじゃないわ」
「そうね」肯定したが顔色は変わらなかった。「でもパンジーにとってまだわたしの賢さは重要じゃない」
「えーと、力があるわ。魔法省への」
「マルフォイ氏の方がより分かりやすくて、影響力が大きくて、取り入りやすい」
「誇り高くて気品がある。それにスリザリンらしいわ。それはつまり……正しく貴族的ってこと。ドラコお坊ちゃまとは違う意味で」
「……あなたは鋭いわね」
シャルルが横目で見ながら唇を湿らせた。
「それともわたしが分かりやすいの?パンジーが鈍いだけかしら」
「幼い頃から訓練されてるの」
素早く、得意げにトレイシーは言った。そしてこう付け加えた。
「ザビニも得意だと思う。生まれながらスリザリン的な感覚を得てるタイプよ」
話題に上がった彼はハーフ・マグルの女の子とペアを組んでいた。彼はうまく女の子を誉めつつ自分は適度にサボっていた。
そして、スネイプがスリザリンに近づく瞬間を的確に察知し、お褒めの言葉を貰っていた。ザビニはハンサムな笑顔を浮かべているが、彼女に決して触りはしないし、彼のハーフ・マグルを見る目は冷たい。それは誰にでも分かった。しかしペアの女の子は嬉しそうだった。
ブレーズ・ザビニはたぶん、スリザリンを泳ぐのが誰よりも上手い。
「彼を使うのはどう?ザビニは狡猾だしハンサムよ。パーキンソン家を敵に回すほど愚かじゃないし」
その案は悪くない提案だった。数秒思考し、シャルルは首を振る。
「ザビニに借りを作るのは……。彼はそういう機会を逃さないタイプでしょうし」
「ああ、確かに、私も今の提案は撤回しようとおもってた」
機嫌を伺うようにトレイシーは控えめに笑った。シャルルは眉をひそめ、彼女は信頼出来るタイプではないと脳内にインプットした。ザビニも同様だ。もちろん、役に立つことは明らかだったが。
パンジーはあまり賢くない。そして扱いやすい。
策を用いたがるのはシャルルのわるいくせだったが、しかし彼女に単純な手法、たとえばプレゼントやご機嫌取りをするのでは現状と変わらない。
ため息をついてシャルルは手元に集中した。コガネムシの目を抉りだし、死骸の体液が手に付着して吐きそうになりながら、真鍮の鍋にぶち込む。
スネイプが跳ねた鍋の水を見咎め、アドバイスという名のお小言をちょうだいする。
マルフォイは褒められて得意げだ。パンジーがわざとらしく喜んでいる。
シャルルは何だか面白くない気持ちになった。マルフォイよりシャルルの方がよっぽど一緒にいたし、彼女のことを考えているし、理解している。パンジーもパンジーだ。
シャルルがあんなに尽くしていたのに。
他人のご機嫌伺いが得意じゃないし、好きじゃないシャルルが。
この思考は良くないと、頭を振って気持ちを切替える。
自分は自分、他人は他人。相手に何かをも止めて、望む反応が得られないからと言って機嫌を損ねるのはスマートじゃない。
たとえこの気持ちが嫉妬であってもだ。
シャルル・スチュアートにとって、初めて自分で作った友人はパンジー・パーキンソンなのだ。
*
イースター休暇は、休暇と呼べるほど優雅なものにはならなかった。3ヶ月後に試験を控え、教授たちは競うようにこぞって課題をたっぷりと出し、生徒たちは呻きながら課題に追われることになった。
シャルルはダフネやノット、トレイシーと勉強することが多く、パンジーはよく物言いたげな視線を投げかけてきたけれど、シャルルから話しかけることはしなかった。パンジーが何を求めてるかは分かっている。彼女を1番よく知り、彼女に分かりやすく教えるのはシャルルが1番うまかったし、ずっとそうしてきた。マルフォイは荷物を2つも抱えているからパンジーの面倒まで完璧に見るのは難しいんだろう。
でも、シャルルはここで歩み寄る気はなかった。
ここで折れれば、シャルルパンジーの都合のいい親友になる。
パンジーの寂しそうな表情に胸が痛んだが、それは少しの喜びも与えた。
もう少しだわ。
何かきっかけがあれば良いのだけれど……。
自分でもおかしかった。1人でも全然平気だし、むしろ他人にあれこれ言われたり、踏み込まれるのは大嫌いなシャルルが、こんなにも誰かを気にかけたり、やきもちを妬いたりしてしまうなんて。
ある夜、ベッドのそばの机で静かに勉強していると、布のすれる音がした。ベッドカーテンを締め切り、橙の仄暗いランプがゆらりと空気を揺らしていた。
軽くカーテンに開く音がする。隣のパンジーが起きたのだ。眠りが深い彼女が夜目覚めるのは珍しい。起こしてしまったかしら。眠れなかったのかしら。
「……ねえ、わたし達もう怒ってないわ。意地を張るのはやめにしてちょうだいよ」
ふと、パンジーがそう声を掛けてきた。言葉は不遜だけれど、どこか焦がれるような響きを帯びた声だった。
シャルルはお腹の奥から熱いものが喉の奥まで昇ってきたような気がして、喉の奥を締めた。パンジーからの譲歩だった。嬉しい気持ちより、シャルルの胸には反射的な悔しさの熱が渦巻いていた。
なんて傲慢なのかしら!
パンジーとマルフォイにとって、自分たちに逆らうシャルルこそが間違いであり、罪であり、彼らはそれを許す立場だと思っているらしかった。
友人であっても対等になれない。
シャルルはそれを超えたくて行動を変え始めているのだけれど、それが彼らに分かるはずもない。
シャルルは悔しさを飲み込んで静かに息を吐いた。
「わたしは意地になってるわけじゃないのよ、パンジー」
静かに言う。パンジーの微かな呼気が空気を震わせる。
「純血なのに、違う寮になったり、少し欠点があるからといって差別するようなこと、わたしはしたくないの」
「でもスリザリンは選ばれた寮でしょ?」
「そうね。でも他の3寮だって誇り高いわ。わたし達はサラザールに選ばれて、他の寮はそれぞれの創始者に選ばれた。それだけのことだよ」
「……あなたが何を言いたいか、まったく分からない。間抜けなハッフルパフや愚かなグリフィンドールと、スリザリンは違うわ!」
「…………」
上手く言えない。
もどかしさにシャルルは歯噛みした。
「マルフォイの良さとノットの良さが違うように、寮の良さはそれぞれ違うわ。わたしは寮に関係なく純血魔法族みんなと仲良くなりたいの」
「……それがシャルルなのは分かってる。呆れてたけど今まで何も言わなかったわ。でもそれってスリザリンへの裏切りだってドラコが言ってて、わたし……」
「裏切ってなんかない。わたしは誰よりも純血を尊く思ってる!」
声を荒らげてしまい、シャルルは目をギュッと強く閉じた。誰かにこんなに一生懸命に何かを伝えるのは初めてで、ドキドキが指先に伝わって細かく震え続けている。
走ってもいないのに声も震えてしまって、ゆらゆら形を変える炎を見つめ、何回か深呼吸をして心臓の鼓動を落ち着かせようとした。
「ごめんなさい、少し興奮してしまって」
「……なんでわたしが怒られないといけないのよ!」
パンジーは強がるように囁き声で怒鳴った。つっかえるような言い方だった。シャルルはつい癖であやすように弁解した。
「怒ってないわ、パンジー。ちょっとだけ議論が白熱しただけ。わたしは最初からあなたに怒ってなんかいなかったわ。今は少し行き違いになっているだけ」
「……ほんとう?」
えっ!
シャルルは心臓を強く掴まれたみたいに、激しくドクン!と鳴るのが聞こえた。
パンジーの声が酷く潤んでいて、まるで、まるで泣いているみたいに聞こえる。…
シャルルはビックリして、慌てて言葉を重ねた。
「パンジーのこと今でも大好きよ。また元通り仲良くしたいって思ってるわ」
「…………グスッ、それならいいわ」
勝気にパンジーは答えた。シャルルは口元を手で抑えた。胸の中をふわふわ熱いものが駆け巡った。さっきの悔しさや苛立ちとはちがう、走りたくなるふわふわだった。
なんて、なんて可愛いの。
さっきと真逆の感想が浮かんで、シャルルはパンジーを抱きしめてあげたくって仕方なくなったけれど、まだダメよ、と必死に自分を言い聞かせた。
せっかく歩み寄ってくれたチャンスをふいにするのはあまりにももったいない。
「ねえ、わたし待ってるわ。パンジーが、わたしの考えを理解出来なくても、それでもまた仲良くしたいって思ってくれるのを待ってるから」
「、シャルル……」
「でもあんまり放っておかれると、寂しくってしかたないわ。だから早くわたしのところに戻ってきてね」
「か、考えてあげる」
ツンとそう言ったパンジーだったが、瞳からはポロッと涙が零れ落ちた。カーテンを閉めていて良かった。喧嘩して泣いちゃうなんて、まるで子供みたいじゃない。シャルルにはバレていたがパンジーは気づかず安堵した。
レースの袖で目元を拭って、パンジーは「おやすみ」と言った。シャルルも「おやすみ」と言った。その声がここ最近で1番優しいものだったので、パンジーは嬉しくなっていい夢が見れそうだわ、と思った。