23

 試験で出されるであろう魔法薬の実技練習をするために、シャルルは1人で教室に赴いていた。イースター休暇はもう半ばを過ぎ、大体の課題も終わりそうだったが、魔法薬学だけは後回しにしていたのだ。
 シャルルは魔法薬学の実技が得意ではなかった。
 おできを治す薬、忘れ薬、肩こり解消薬、髪伸び薬……候補はこのあたりだろう。試験が6月末であることを考えると材料の手に入りやすい忘れ薬か髪伸び薬、さらに習った時期と手順の複雑さを考慮すると忘れ薬が本命ではないかとシャルルは当たりをつけていた。

 棚から必要な材料を取り出し準備を始める。
 魔法薬学教室の材料棚の1部は学生の自主的な調合のために開かれ、使用記録を残せば自由に消費することが許されていた。最も、自主的にスネイプの庭であるこの教室に、休み時間にまで足を運ぶ生徒はほぼいなかったが……。

「あら?」
 シャルルは頬に手を当て首を傾げた。
「忘却の川の水がない……」
 リストを確認すると、まだ小瓶に少量は残っているはずの水が無くなっていた。これはただの水ではなかった。人の管理から外れた山に流れる、魔力を含んだ川の水であり、人の感情や頭脳に関する影響を与える材料だ。
「ヤドリギの実も数が少ないわ」
 怪訝に思い、シャルルは棚の左端から簡単に確認していくと、軽く調べただけでもトモシリソウや黄金虫の目玉、満月草やドクシーの毒液などが少量ずつ、あるいは大胆に減っている様子だった。

「……」

 少し考え、運がいいわ、と思った。
 このまま帰っても良かったが、報告すれば良い点数稼ぎになるし、ちょうどセブルス・スネイプと話す時間が欲しかった。

 スネイプの私室は教壇の奥の扉と地続きになっている。重厚な木の扉は、スネイプの心のようにギッチリと隙間なく、神経質に締め切られていた。
 コン、コン、コン。控えめにノックして佇んでいると、低い声で「……誰だ」と返事があった。
「スリザリン1年のシャルル・スチュアートです。スネイプ教授にお話したいことがあって」
「入って来たまえ」
「し、失礼します」
 スネイプの私室に通されるのは初めてだった。彼がこちらに出てくると思っていたので、シャルルはちょっと緊張しながら重い扉を開けて恐る恐る体を滑り込ませた。ギイイ……と軋む音が響く。

 研究室の中は、ランプが付いているというのに薄暗かった。光は石壁に吸い込まれるかのように重く、部屋の隅まで届いていなかった。
 思ったより広い部屋だったけれども、部屋全体を覆う高い棚や机や調合台によって威圧的な窮屈さを与えていた。
「少し待っていろ。そこに椅子がある」
「はい、スネイプ教授」
 扉のすぐ側に古い丸椅子があった。所在なさげに座り、興味深く部屋の中を見回した。
 ラベルが貼られ几帳面に並べられた瓶が棚に並び、乾燥した薬草や魔法植物が壁に吊り下げてある。部屋の中央に作業台があり液体がこびりついている古い真鍮の鍋が置いてあった。机の上の小瓶には無色透明な液体が入っている。
 あれを作っていたところだったのかしら。
 無色透明の魔法薬は少ない。あれこれ顔を動かして、ソワソワと部屋の中を検分するシャルルに、スネイプが眉の皺を深める。

 瓶にラベルを貼り、何らかの布で包んだセブルスは手早く瓶を懐にしまい、シャルルを陰鬱な眼でじっと見た。
「それで、話とはなんだね。手短に済ませるよう」
「はい。実は教室の材料棚の中身がリストの数と合わないことに気付いたんです」
 シャルルは眉を下げて、優等生の声を出した。「……なんだと?」スネイプが不可解な顔をし、すぐに表情を険しく変えた。
「昨夜のチェックでは異常がなかったが……。もう少し詳細に話せ」
「はい、先程忘れ薬を作ろうとしたのですが、忘却の川の水が無くなっていることに気付き、リストとズレているので軽く棚の中身を点検したんです。すると、数種類の材料が大きく減っていて、他にも色々とさりげなく減っているように感じられたのでスネイプ教授のところに来た次第です。わたしがこの教室に来たのは20分前で、誰もいませんでした。地下回廊で他の寮生に会うこともありませんでした」
「ほう……」
 その報告はスネイプの満足行くものだったらしく、軽く頷いた。彼は立ち上がって鷲鼻を指で軽く揉んだ。

「教室を施錠し材料の点検をする。実技練習は明日にしなさい」
「はい、教授」
 彼の後を追いかけて部屋を去る際、ふっと奥の本棚に目が行った。なにもかもが古く薄汚れたような部屋の中で、磨かれた花瓶と、真っ白な一輪の百合が酷く浮いて見えた。


 棚の前で立つスネイプの横にシャルルが並ぶとスネイプが奇妙な表情で見下ろした。
「スネイプ教授、わたしもお手伝いします」
 シャルルがニコッと見上げると、スネイプは「良い心がけだ。スリザリンに5点を加点しよう」と唇を歪めた。

 棚を両端から確認すると、棚にある数十種類の材料のうち、12種類もの材料が足りていなかった。スネイプが持つ材料のうちほんの僅かしかここに置いていないとは言え、非常に問題であることは間違いなかった。
 スネイプはこれが窃盗だと確信しているようだった。
「誤魔化そうとしているが私には分かる……奴らめ、混乱薬、あるいはフロッグポワゾン液を作ろうとしているな……」
 忌々しそうにブツブツ呟いてこめかみを神経質にトントンと指先で叩いた。シャルルは彼の一人称が変わっていることに気付き、こちらが本当の彼の自意識なのだろうと思った。
 我輩というある意味で尊大な言い方はある種の威圧感を与えるものなのかもしれない。
 スネイプは犯人を断定してるような口調であり、シャルルも候補は何人か浮かんだが、そのいずれもが赤いローブを纏う生徒だった。

「罰則を与えることは出来ないのですか?」
「出来ぬ。証拠がない。瓶に残る痕跡を追おうにも、不特定多数の人間が触っているのだ、現実的ではない」
 突き放すようにスネイプは言った。
「犯人を見つけた暁には生まれてきたことを後悔することになるだろう……」
 目を細めたスネイプの怒気はシャルルですら悪寒が走るほどだった。スネイプ相手に窃盗を働くだなんて、その生徒には本当に尊敬を抱かざるを得ない。

 しばらく沈黙が流れた。
 スネイプは振り替えってシャルルに寮に戻るように命じた。
「調合の準備が整ったら声をかける。今日は帰りたまえ。スチュアート、実に有効な発見をしてくれた」
「はい。ええと、スネイプ教授……その……」
 シャルルは唇を舐め、躊躇いがちに言葉を迷わせた。その様子に彼が片眉を上げる。
「何かね?」
 実に不機嫌なスネイプに、今の彼にはどうでも良いことであろう話題を振るのは躊躇われたが、彼と話をする機会は非常に少ない。シャルルは自分の髪を無意識にひとふさ掬ってサッと撫でた。
「その……わたしの両親についてなのですが」
「両親?」
「はい。スネイプ教授にとてもお世話になったと言っていたものですから、お話をお伺いしてみたいと思っていたんです」
「それは今でなくてはならないのかね?」
「いえ、その……」
 にべもない返事にシャルルはやっぱりダメか、と内心肩を落とした。
「すみません、大丈夫です。お時間ある時にでもお話していただけたら嬉しいです、スネイプ教授」
 綺麗な微笑みを浮かべ去ろうとしたシャルルをスネイプが呼び止めた。
「座りなさい。少しなら時間が取れる」
「本当ですか?」
 顔を輝かせて椅子に座る。スネイプものろのろと腰をかけた。一体どういう心境の変化だろう。
「それで何を聞きたいのだ?」

 スネイプは無表情だったが、その瞳に何かを探る色を感じ取った。
「大したことではないのですが、両親とスネイプ教授の関係や思い出など……その、聞いてみたくて。わたし初めて知ったんです。昔親しかったことを。両親もスネイプ教授が教職をしてらっしゃることを驚いていました」
「そうだろうな。卒業してから音信は途絶えていた」
 不安そうな顔を浮かべたシャルルにスネイプは言葉を付け足した。
「我輩はほぼ全ての人間と音信が途絶えていた。誰かと密に手紙を送り合う人間に見えるかね?」
「ああ……」
 大変失礼なことにシャルルは納得の声を漏らした。スネイプが鼻を鳴らす。

「思い出話なら両親に聞けばよかろう。本当は何を知りたいのだ?」
 見透かした言葉にドキッとして苦笑いをした。これを聞いてもいいのかしら。両親に伝わってしまうかしら。
「わたしの両親には親友がいたのですよね?」
 スネイプは予想していたように目をスっと細めた。それが何故か尋問されているように感じられ、居心地が悪くて視線を落とす。
「たまに話題に出るのですが、あんまり話したくないみたいなんです。両親の話しぶりからすると、たぶん、もう……。だから両親に直接聞くのは少し躊躇ってしまって」
「…………」
 しばしの沈黙の末に教授は口を開いた。
「ヨシュア・スチュアートとその生徒は大変に優秀だった。常に試験では首位を争っていた」
「まあ。お父様はそんなに優秀だったのですね。誇らしいです」
「ヨシュアは活発で活動的だった。反対にもう1人はもの静かで冷静だった。我輩の性質に合うのはもう1人だったが、気付けばヨシュアにも付き纏われるようになっていた」
「もう1人のお名前は……?」
「何故知りたがる?ヨシュアに聞けばすぐに分かるであろう。ダスティン、いや、ミセス・スチュアートとも関わりが深かった」
 切り捨てる言い方にシャルルはむしろ、言いづらそうな意識を感じ取った。スネイプの目を覗き込んでも、その瞳は黒々として何も読めない。むしろシャルルの頭を見抜こうとしているように感じ、シャルルはサッと俯いた。
「はい、今度聞いてみます。スネイプ教授、お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」
 綺麗に微笑んで優雅に立ち上がる。
「両親の学生時代の話を聞くのは新鮮で楽しかったです。特にお父様が活発だなんて……。ふふっ。良かったらまたお話を伺ってもよろしいですか?」
「……」
 苦々しそうだったがスネイプは僅かに顎を動かしたように見えた。やっぱり彼はスリザリン生には優しい。それとも後輩の娘だから?それとも何かを確かめようとしているから?
「ありがとうございました。犯人、見つかると良いですね」
 そう言ってシャルルは魔法薬学室を後にした。
 両親が隠そうとしている何かをスネイプも知っている。

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