14

 クィディッチ・シーズンが到来すると、ホグワーツ中が浮き足立ち、またはピリピリし始めた。
 朝から晩まで練習に明け暮れた選手たちが、夜は宿題を何とかこなそうと談話室に集まってくる。最近はすっかり冷え込んだ上に、地下室にある石造りのスリザリン寮はどこかいつも寒々とした雰囲気だったので、自然と暖炉のそばに人が寄っていく。

 マルフォイは次期シーカーと目されていたので、よくマーカス・フリントやエイドリアン・ピュシー、キャプテンを務めるエリアス・ロジエールたちの後をついて回っていた。
 シャルルはクィディッチに気を惹かれることは無かったが、紳士的なルシアン・ボールや温厚なテレンス・ヒッグスと共に、暖炉の前で勉学に励むのは心地の良い時間だった。

「やつのデビューをこの目で見定めなきゃならない」
 シーズンの開幕を1週間後に控え、メンバーは頭を寄せあっていた。開幕を飾るのはスリザリン対グリフィンドール。
 忌々しそうに鼻に皺を寄せて、マルフォイがテーブルを覗いた。机上にはチェスの駒が並んでいる。クィディッチの作戦会議をしているらしい。

「経験も技術もない1年シーカー…とは思うけど、どうだろうね。ウッドが毎日浮かれまくってる」
「あの熱血男が即戦力で使うなら、ある程度の実力はあると見るべきだろうな」
 ロジエールとピュシーは冷静に指摘したが、フリントは鼻を鳴らして獰猛に笑った。
「ふん、あんな小さい棒っ切れなんて、オレが吹っ飛ばしてやるよ」
「血の気が多いな、マーカスは。頼もしいよ」
 ヒッグスが苦笑した。

「クァッフルは集中してシーカーを狙おう。英雄様を潰してしまえば問題なしさ」
「それか女子陣だな。やつらはか弱い上にグリフィンドールの主戦力だ。あっちは層が薄いし、潰せばすぐ揺らぐ」
「うーん、俺はレディを狙うのは気が進まないな」
「軟弱な考えは捨てろよ、ルシアン。弱いやつから潰すのは定石だろ」
「ま、その考えには同意だけど。でも君は野蛮すぎるね、だからモテないのさ、ペレグリン?」
 ボールが口元に笑みを浮かべてからかうとデリックが沸騰しかけたが、慌ててヒッグスが宥める。

 そんなヒッグスの肩に腕を回し、グラハム・モンタギューが脇を小突いた。スリザリンは他寮に比べ上下の関係がことさらに厳しいが、クィディッチ・チームは固い絆で結ばれていたので、そのルールからは外れたところにあった。学年も家柄も関係なしに、気兼ねしない口調で彼らは対話する。
「テレンス、お前にかかってるんだからな。いつも通りでいい、頼むぜ」
「僕に任せて、って言いたいけどね…。でも、そうだね、1年なんかに負けていられないよね」
 ヒッグスの瞳にくらい光が宿っている。「ただでは転ばない。それが僕らスリザリンだ」
 ヒッグスの言葉にメンバーたちは顔を見合わせ、破顔してそれぞれ肩を叩いた。

 マルフォイがわずかに瞳に尊敬の念を浮かべ、
「スリザリンの勝利は間違いないだろうね。こんなにも理知的で威厳溢れる先輩がいるんだから」
 と、称賛を述べると、クールを装ってそれぞれが嬉しそうな顔をした。マルフォイが素直に他人を褒めるのは珍しい。
 数秒待っても、マルフォイは自分の自慢を始めなかった。
 今日はたいへんに機嫌が良いようだ。

 賑やかに良い気分で作戦を語り合う彼らに、シャルルはボールがもう今日は勉学に付き合う気分でないことを察した。
 かと言って、自由な時間に対等に勉学に励む友人は、ほぼ居ない。パンジーとダフネは上流階級の子女とティーパーティーに参加しているし、ターニャは成績が良くない。
 図書室は遠いから、暖かい部屋から出たくないとも思った。

 仕方ないので、やかましい男たちから離れ、暖炉から少し離れた小さなテーブルに向かう。
「ここ、使わせていただいても?」
「もちろんだよ、ミス・スチュアート。良い時間を」
 シャルルが声をかけるとさっと彼らは席を離れた。上級生だったが、彼女がそれに物怖じすることは無い。

 スリザリンはシャルルが望めば、なんでも思い通りになる心地の良い空間だった。

 教科書をたたみ、ローブの内ポケットから小さな文庫本を取り出し、目を通す。机の上には自然と紅茶とスコーンが準備されている。ハウスエルフは勤勉だ。
 内容は200年前活躍したハッフルパフの魔女の慈愛の物語だった。今の医療魔術に繋がる伝記で、ストーリーもおもしろく、勉強になったが、スリザリン生の間では軽視されがちな本だった。

 黙って字を追っていると、向かいの椅子に誰かが腰掛けたのがわかった。シャルルの落ち着いた空間に、物怖じせず入り込んでくる輩はあまりいない。友人たちはシャルルに声をかけるだろう。
 そっと視線を上げると、柔らかい瞳と目が合った。
「やあ、君はとっても素敵だね。海底を舞うマーメイドのようだ」
 自信に満ちた態度でウインクを飛ばしてきたキザな彼の名前は知っている。ブレーズ・ザビニだ。彼は深い紺の癖毛を遊ばせて、群青の瞳を艶めかせている。
 彼の腕には品よくくすんだ銀のブレスレットが嵌められていた。シャルルの正確な審美眼はそれが非常に良い職人の作品であることを見抜いた。
 緩やかな時間を楽しむことを止められるのは好きではない。
 しかしシャルルは読書をやめて彼と向き合った。彼は正当な純血の血筋だった。

「あなたと話すのは初めてね」
「驚いた、君は声まで愛らしいんだな、シャルル」
 彼はシャルルを称えた。シャルルは、彼とはあまり会話が成立しないかもしれないと心配になった。
 ザビニはマイペースに会話を進めた。
「よかったら今度ふたりで一緒に過ごさないか?きっと素敵な時間を提供するよ」
「お誘いは嬉しいけれど……」
 少し言い淀む。彼の女好きは有名だった。シャルルはまだ恋愛に時間を割くつもりはない。本に視線を逃がした彼女にザビニが宥めるような声音で言う。
「押し付けるつもりは無いよ。君の好きなことを一緒にしよう。俺としてはチェスなんかに興じたいところだけど、図書室で静かに本を読むのも君と一緒ならたのしいだろうな」
「どうしてとつぜん?」
 もっともな疑問を口にするとザビニは嬉しそうな笑みを浮かべる。

「突然じゃない、ずっと気になってたさ。シャルルはスリザリンで最も品位のある女性だ」
 自分が最もうつくしく素敵に見える角度を彼は熟知しているようだった。
 それに、彼の仕草はひとつひとつがキマっている。

「その言葉で何人の女の子を喜ばせてきたのかしら?」
 皮肉な言葉とはうらはらにシャルルはまんざらでもない笑いを零した。

 ザビニはスリザリン内で独特の地位を築いている。
 彼自身は紛れもない純血だが、彼の母親はあまりにも有名すぎた。貴族的ではない手段で栄光と財産を手に入れ続けている彼女に、魔法界の旧い家などは歓迎的でなかった。
 息子であるザビニも複雑な立場だったが、彼は半純血の生徒を取り込んでそのトップに立った。そのグループにはあのミリセント・ブルストロードといた。

 シャルルは少し考えた末、微笑みを返した。
「あなたのエスコートに期待するわ」
 まっすぐ見つめられてザビニは頷く。喜びと自負。女の子をときめかせることには、同世代では誰にも負けない自信があった。
「有意義な語らいをしたいね。俺自身も、俺を取り巻くものもきっとシャルルを喜ばせる自信があるよ」

 その時、尖った声が降ってきた。

「次のターゲットはスチュアートか?分不相応な身分を弁えろよ」
 振り返るとノットが不機嫌に腕を組んでザビニを鋭く射抜いていた。ザビニは一瞬つまらなそうな目をして、片眉を上げると煽るように顔を背け、立ち上がる。そして
「素敵な時間をありがとう、レディ」
 と微笑むと、踵を返そうとする。
 そして、わざとらしくノットの肩にぶつかると、大げさに謝った。
「ああ、悪い、このジメジメ埃っぽい匂いはお前だったのか。陰気すぎて気付かなかったぜ」
「……卑しい禿鷹が随分な言い様してくれる。所詮君は程度の知れる男なんだ、腐肉でも漁っていればいい」
「君の父親のような?」
「お前の母親ほど下劣な生き物はいない」

 ノットとザビニは激しく睨み合った。
 知的でクール、常に余裕を崩さない。そんなノットが敵愾心を露わにするのは初めて見たので、シャルルは呆気に取られてふたりを見つめた。
 やがて2人は熱い視線を交わすのをどちらともなく辞め、忌々しそうな顔をした。

 去る間際、ザビニが振り返ってシャルルにウインクを飛ばしていく。
「そういえば、俺の義父が新しい店を開いたんだ。プレゼントにも期待しててくれよ」

「成り上がり風情が」
 ノットが吐き捨てる。
 そしてシャルルに向き直ると謝罪を述べた。
「すまない、君を利用した」
 おそらく、ザビニを侮辱するために流用した件だろう。淡い微笑を浮かべ、シャルルは小さく首を振る。
「気にしないで。でも、あなたは彼とは相性が悪いみたいね?」
 シャルルがからかうと、ノットは気まずそうに苦々しく笑った。
「彼とは色々な面で馬が合わないんだ」
「ふふ、感情を剥き出しにするノットは新鮮だった。新しい一面を見つけた気分」
「君はたいそうな言い方をする」

 ノットは視線を暖炉へ向けた。それは見方によっては照れ臭そうにも見えた。
 すこし炎が燃えるのを楽しんで、ノットが口を開く。

「奴に何を言われたんだ?」
「どうして気になるの?」
「特に深い意味は無いよ。答えたくないなら言わなくていい」
「称賛と、デートのお誘いをいただいたただけ」
「そうか」
 ノットは微かに言い淀んだ。
「これは、僕の私情とは関係ない、有益な忠告だ。ザビニは女好きだが、それ以上に寄生するのが上手い男だ。気をつけたほうがいい」
 固い声だった。シャルルは彼の心配と忠告をありがたく受け取ることにした。
「ありがとう、ノット。彼に心を預けないようにするね」
 しかし、おそらくそれはいらない心配だった。
 シャルルは誰にも心を開かないから。
 彼女は、大好きな人たちにさえ、ぜったいに左右されない不思議な芯があった。
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