09

 マルフォイは安心したのか、ならいいんだ、とオートミールを口にした。そして次の話題に移る。彼はぽんぽんと会話を提供するのが上手だ。
「スチュアート、君は談話室の予定表を見たか?」
「?いいえ」
 それを聞き、我が意を得たりとばかりにマルフォイは話し出す。
「午後の授業の飛行訓練がどこと合同だと思う?よりによってグリフィンドールだ!この学校の教授たちはよっぽど僕らと奴らが友好な関係に見えるらしいな」
「全くだわ!せっかくの飛行訓練が台無し!ねえ、ドラコ」
「ああ。だが、奴らに僕らの洗練された飛行術を披露する機会でもある。奴らが無様に地べたに立ちぼうけする様を、空中から悠々と観覧してやろうじゃないか?」
「素敵だわ…それにしても、やっぱりドラコは飛ぶのが得意なのね」
 うっとりとマルフォイを見つめるパンジーに満更でもない表情で、マルフォイは顎を上げた。唇を吊り上げていつもの言葉で締める。
「父上は来年僕がクィディッチの代表選手に選ばれなかったら、それこそ犯罪だと言うよ」

 小羊のステーキを切り分けながら、シャルルはこっそり溜息を零した。やはり、純血家系の子息子女なら空の旅を好くのが当然なのだ。
 シャルルの浮かない顔に気付き、ノットが「スチュアート?」と声をかけた。
「ああ、いえ、なんでもないの…」
 自然と眉が下がり、パンジーが「どうしたのよ」と顔を覗き込んだ。
「もしかして飛行訓練が不安なの?大丈夫よ、あいつらはマグル生まれが多いし」
「そうさ、僕らが萎縮することなんてない」
「…そうね」
 シャルルは曖昧に微笑んだ。瞳を伏せてステーキを口に運ぶシャルルに、ノットが小さく言った。
「僕も箒は苦手だ」
「えっ…」
 顔をはね上げたシャルルだったが、ノットと視線は合わなかった。
「別に純血だからって誰も彼もクィディッチが好きなわけじゃない」

 シャルルは俯いて、微笑んだ。じわ……と、胸の奥が暖かくなるのを感じた。
 彼は、家柄や理知的さを差し引いても、スマートな男の子だと思った。彼と仲良くなるべきだ。

 食事を終え、シャルルとパンジーが立ち上がると、どこからともなくターニャ・レイジーが現れた。ぷるぷると腕を震えさせながらたくさんの教科書を持ち、談笑する4人の後をそっと着いてきた。
 誰かがくすくすと笑った。「金魚の糞」吐き捨てられた言葉に笑い声が微かに大きくなる。

 シャルルは横目で彼女を振り向いた。レイジーの顔色は長い前髪で隠れていて分からない。彼女に言葉を投げたのはスリザリン生だったようだ。シャルルの知らない少女だった。
 それはつまり、スチュアート家に相応しくない生徒だ。シャルルは自分に釣り合わない人間を覚えない。
 ターニャ・レイジーはスチュアートには相応しくないが、シャルルが傍に侍ることを許している少女だ。対等ではなく、召使いとして、メイドとしてだが、シャルルは彼女を少しは気に入っていた。
 ターニャ・レイジーが侍ることを笑うのは、すなわち、彼女を傍に置くシャルルやパンジーの選択への嘲笑だ。

「彼女は後をついていってるんじゃないわ。わたし達が仕えることを許しているの」

 シャルルは素っ気なく言い、スリザリンの少女を静かに見つめた。パンジーは目を見開き、マルフォイは片眉を上げた。ノットは無表情だった。
 廊下がしん……と静まり返り、彼女を笑ったスリザリン生たちは、顔色を真っ青にして小刻みに震えた。
「す、すみませんでした……スチュアートさん」
「軽々しく話しかけないで」
「も、申し訳ございません!」
 少女たちが頭を下げた。シャルルはまったく苛立ちも感傷も無かったが、周りは何故かシャルルが気を害したと怯えているようだった。
「あなた達はわたしに触れることも親しくすることも許されないの。あなた達の言う金魚の糞…と違ってね」
 つまらなそうに、どうでも良さそうにシャルルは言った。嫉妬や自尊心ばかり高い生徒がスリザリンには多い。レイジーは俯き、頬を喜びに染めながらも、口端を歪めていた。
 スリザリンの歪みが、シャルルは好ましい。

 パンジーが「あなた、そんなに彼女が気に入ってたの?彼女はハーフマグルよ」と少し険の含んだ声でシャルルに話しかけた。
「ええ、もちろんよ?彼女は卑しい生まれだわ」
「それなら庇うなんて…」
「パンジー」シャルルはパンジーの声を遮った。

「彼女はわたし達に相応しくないわ。けれど侍らせている。あなたが選んだの」
 パンジーにはシャルルが何を言いたいのかわからなかったが、シャルルの光る瞳に何も言えなくなった。
「え、ええ、そう…わたしが選んだわよ……」
「そう。あなたが選んでわたしも許した。その選択を笑うことは許されないわ。わたし達は純血を率いる者で、その選択は何者にも尊重されるべきなのよ。逆に言えば尊重されるようにわたし達は選択していかなければならないの」
 パンジーにはやはり、シャルルのことばを真に理解するのは難しかった。だが、シャルルが恐ろしいほどぬらぬらと蒼い瞳を照らしていることと、恐ろしいほど純血としての誇りと矜恃が高いことはわかった。

「わたし達は純血よ。純血の中の純血よ。……そういうことよね」
「ええ。パンジー」

 シャルルは瞳をふと緩めて、とろけるような微笑みを浮かべた。女のパンジーですら頬があつくなるような、そんな笑みだった。
 プライドが山のように高い彼女ですらその笑みですべてをゆるして、すべて委ねたくなるようになるのだから、シャルル・スチュアートは、そういう才能があるのだった。本人もまだ気付いていない、ひとを惹き付け、魅了し、支配し、振り回し、洗脳し、同調させ、こころを溶かし、尽くさせたくなるような才能が。

 それは、もしかしたら、名前を呼んではいけないあの人と呼ばれる魔法使いのものと、似ているものかもしれなかった。

 ノットは考え込むように口をつぐみ、歩き出した3人の背中を見つめていた。いや、正確にはシャルルの背中をじっと強い瞳で射抜いていた。足取りがゆっくりと遅くなり、ついに彼は立ち止まった。
 もうすぐ授業だ。人がもうまばらだった。さきほどのシャルルの意図せぬパフォーマンスも終わり、野次も消えた。

「純血を率いる者、か……」

 たかだかスチュアートのくせに、と思わないでもなかった。
 彼女の血筋は聖28族に数えられない。純血だが、マグルの血がかつてわずかに混じったからだ。
 だが、彼女は、シャルルは、誰よりも純血らしい。自分の知るだれよりも。少ししか関わっていないのに、ノットには痛烈に理解出来た。

 シャルルはきっと偉大になる。恐ろしく、偉大なことを成すだろう。

 皮肉にも、それは帽子の出した結論と同じなのだった。





 気が重い時間がやってきた。飛行訓練の授業だ。隣のパンジーの顔色は明るかった。彼女もおもちゃの箒でよく遊んでいたし、マルフォイの活躍を見れるのが嬉しいらしかった。
 シャルルは微笑みを絶やさなかったが、返事をする声のトーンが少しばかり低くなるのは抑えられなかった。

 シャルルは、箒に乗れないのだ。

 乗れない、というと語弊がある。空が怖いのでも、高いのが怖いのでもないが、箒に自分で乗って早く飛ぶことが昔からシャルルには出来ないのだった。
 箒はゆったりと空の旅を楽しむツールだった。乗りこなすものではなく、優雅な移動手段なのだ。父親のヨシュアや弟のメロウはクィディッチが大好きで、よくスニッチを追いかけ回していたし、母のアナスタシアもシャルルもそれを見ること自体は好きなのだ。
 ただ、ひとりで早く飛べないだけで。
 いくら練習しても、シャルルは風のようには飛べなかった。認めたくはないが、恐れているのかもしれなかった。
 空や高さを恐れているんじゃない。
 何かに身を委ねるということを、多分、シャルルは恐れていた。

 グラウンドには、既に多くの生徒達が集まり、見事にスリザリンとグリフィンドールに別れていた。もう授業ギリギリだ。グリフィンドールの間をわざわざ縫い、「邪魔よ!どきなさい!」と怒鳴り散らしながら、パンジーはマルフォイの隣へするりと居座った。
 マルフォイはパンジーの登場がお気に召したらしく、せせら笑いを浮かべている。
 シャルルはパンジーやマルフォイ達のいる中心からそっと離れた。……そっと離れたかったが、シャルルが動く度モーセのように人の波が割れる。
 小さくため息をついて、シャルルはいちばん端に寄った。そこはカースト下位者の追いやられる場所だったらしく、目を剥いてちらちらと見られ、生徒達は体を強ばらせていた。
 マダム・フーチが怒鳴りながら表れ、マルフォイに恥をかかせたのち、授業はつつがなく始まった。スリザリンの生徒は、既にフーチに対して良い感情はなく、刺々しい空気が流れた。

 カースト下位の少女が、怯えながらシャルルに箒を回し、シャルルは薄く微笑んで受け取った。シャルルは常に微笑みを絶やさない。どんな相手にも、基本的には。
 ノブレス・オブリージュや気品ある態度は貴族の基本だ。
 少女は微かに肩のこわばりを解いて、そっと下がった。それは、なんだか、上位者への対応が妙に慣れているように感じた。

 シャルルはふと、扱いあぐねて遠巻きにされる自分のように、周囲から妙に浮いている少女がいるのに気づいた。
 薄褐色の肌に、腰下まで伸びる暗い茶色のたっぷりとした髪が波打つ少女だった。彼女は、居心地の悪い彼女の場所をまったく気にしていないように堂々としていた。
「なに、この箒…古すぎて使えたものじゃないわ。枝がこんなにあちこちに飛び出しているし」
 ハーフマグルの生徒達が、彼女の苛立ちを含んだ独り言にびくりと肩を揺らした。たしかに、少女の持つ箒はみすぼらしかった。
 手元の箒を見ると、毛羽立ちが少なく枝のまとまりも解けていない、比較的綺麗なものだった。パンジーのほうへ乗り出すと、パンジーがこちらに気付きウインクをするのが見えた。

 ひとりの少女がおずおずと薄褐色の少女に「わたしの箒をお使いください」と申し出た。柄はボロボロだったが、枝はまだまとまりがあった。
 薄褐色の少女はきょとん、として、じっと手元の箒を見つめ、差し出した。
「感謝するわ。名前はなに?」
「が、ガネット……」
「そう。それじゃあガネット、わたしと授業を受けましょう?」
「!…いいんですか?」
「いいわよ」
「ありがとうございます!ブルストロードさん!」
 嬉しそうに笑った少女が口にした言葉に、シャルルは驚いた。

 ブルストロードは聖28族に数えられる貴重で高貴な純血家系だ。それなのに何故……。

 シャルルは少女たちにそっと近付いた。視界の端で常にシャルルを気にしていた生徒達は、すぐにぎくりとした。
「あなたの名前は何?」
 シャルルのサファイアのような美しい蒼の瞳で真っ直ぐ見つめられると、大抵の人間は言葉をつかえさせてしまう。
「ミ、ミリセント・ブルストロードよ」
 ブルストロードは高貴さを失わずに言った。しかし、強気で大人びた顔立ちのブルストロードだったが、シャルルを前にして眉をさげずにはいられなかった。下位カーストで強く振る舞えても、マルフォイやノットやパーキンソンやスチュアートの前では形無しになってしまう。

「ブルストロードがなぜ…」シャルルが、自分たちを暗い目で見つめてくる生徒達を見回した。
「こんな場所に?」
 彼女の声音は至って普通だったが、彼女の口元に浮かぶ余裕の微笑みや、漂う気品や、堂々とした態度に、まるで見下されているような感情を覚えて、小さく唇をかんだ。 笑われている気がした。


 ブルストロードの名と血筋は、ミリセントにとって、最も誇りであり、最も恥だった。



[ back ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -