03

 姿現ししてすぐ目に入ってきたのは、無秩序にうぞうぞと蠢く穢れた血の群れだった。目につくマグルのどれもこれもが、俯き、早足で歩き去っていく。
 シャルルは無意識に腕をさすっていた。ポツポツと鳥肌が立っている。アナスタシアが「穢らわしい…ああ、早く行きましょう。こんなところ1秒でも居たくない」と吐き捨てた。
「出来るだけ息を吸っちゃダメよ」
 言われなくてもそうしていたが、シャルルは微かに頷いた。見慣れない衣服を除けば、見た目には魔法使いとそう変わらないはずなのに、穢れた血どもはどうしてこうも嫌悪感を湧かせ、理解できない虫のように感じさせるのだろう。

 キングズ・クロス駅を足早に進み、蠢くマグルの波を泳ぐように進んだ。壁に向かって突き進むヨシュアにシャルルはちいさく息を呑んだ。目を見開いて悲鳴を押し殺したシャルルにふたりは気づかなかったようだ。
 両手が塞がっているので壁に手をつくことも出来ない。目を瞑る暇もなく、シャルルは壁に飲み込まれた。
 異様な感覚だった。壁を通り抜けると蠢いていたマグルは消え去り、見慣れた魔法使いたちが溢れていた。真っ赤な蒸気機関車が威圧的に佇んでいる。シャルルは呆然としてきょろきょろと周囲を見渡した。

 また、ひやりとした感覚に襲われ、アナスタシアとヨシュアが現れた。置いていかれたこどものようなシャルルにヨシュアがやっと気づき、慌てて彼女と目を合わせた。
「すまない、シャルル。おまえはもしかして、キングズ・クロス駅は初めてだったね?心遣いが足りなかった、怖かっただろう」
 そっと抱きしめられ、頭を撫でられると少し気分が落ち着いて、同時に恥ずかしいような悔しいようなきもちになった。ヨシュアがシャルルを忘れたことも、自分が怯えたことも、旅立ちの日にちいさな子供扱いされたことも。
「こわくはなかったわ……。そうね、ただ、ちょっと驚いただけ」
 本心ではなかったが、シャルルはそう言った。思いのほかちいさな声になってしまった。

 ヨシュアは微笑んで、シャルルのやわい頬にキスをした。
「強い子だ…シャルル。健やかに、正しく、誇り高く、強くなりなさい」
「はい、お父様」
 ヨシュアの温もりが離れると、思った以上の心細さが襲ってきた。

 アナスタシアが涙声で「頑張り過ぎなくていいのよ。辛くなったら帰ってきて。あなたは優秀すぎる。きっと抱え込むわ」とシャルルを抱きしめた。
「はい、お母様」
 心配しすぎだと思ったが、いい子の返事をした。彼らに心配されることは、悪い気分ではなかった。シャルルを愛していると知っているからだ。

 アナスタシアがシャルルの瞳をじっと見つめた。鼻先が触れ合う距離だった。彼女の瞳は、いとしさ、よろこび、かなしみ、あきらめ…いろいろな感情が渦巻いて、蒼い瞳がきらきらしていた。
「もう行かなきゃ……」
 不思議な色をたたえた瞳に圧倒されて、シャルルは躊躇うように囁いた。「ええ、わかってる……わかってるわ……シャルル……」
 アナスタシアとヨシュアはキャリーケースを引いて汽車に乗り込むシャルルを、名残惜しげに眺め続けた。寂しさに後ろ髪を引かれる想いがあったが、汽車に乗ると、同世代のこどもたちが目に入り、否応なく新しい世界への期待に心中は埋め尽くされた。

 赤い汽車に飲み込まれ、旅立ってしまったシャルルの背中が見えなくなっても、アナスタシアは汽車を見つめ続けていた。
「行ってしまったわ……」
 思わず零れるようにアナスタシアは呟いた。まるで、ホグワーツへ行くことなんて望んでいないような声音だった。いや、事実望んでいなかった。ヨシュアはそっとアナスタシアの腰を支えた。
「きっともう隠しきれない……」
「僕らが守ろう。僕は恐れない」
「わたしは恐ろしい…あの子が…見つかったらと思うと」

 爪が食い込み、真っ白になるくらい握りしめられたアナの手をヨシュアが包み込んだ。
「僕らにはその力がある。戦うことも抗うこともできる。それに、シャルルはきっとスリザリンになるだろう。僕らの寮は自分の家族を脅かす敵を、決して許さない」
 ヨシュアの言葉はほんの少しだけ頑なな心を溶かしたが、溶かしきるには足りなかった。
「知られることも恐ろしいの!恐ろしいのよ……」
「シャルルは聡い子だ。理性的に物事を捉えることが出来る」
「それは傷つかないこととは違うわ」
「ああ、けれど」ヨシュアは優しい声で言った。「シャルルは僕らの愛を知っている。そうだろう?」
 アナスタシアは涙に濡れた目でヨシュアを見つめた。彼はそっとかがみ、さらに言葉を続けた。
「僕は君も、シャルルも愛しているし、誠実に向き合ってきたつもりだ。僕らの日々は嘘だったかい?」
「いいえ……」恥じ入るような声音だった。
「シャルルを愛しているわ」




 空いているコンパートメントは既に少なくなっていた。
 きょろきょろしながらシャルルは汽車を練り歩く。パンジーやダフネと乗りたかったが、彼女たちを見つけることは叶わなかった。
 どこに座ろうか…。
 眉を下げる。席が余っているところはいくつかあったが、既に座っている人は純血らしい上品さのないひとたちばかりで、一緒に座るのは遠慮したかった。

 そうして席を探しているうちに、ふと目に付いたコンパートメントがあった。肌の白い、痩せ型の男の子が優雅に足を組んで本を読んでいる。はらりと前髪が垂れていて、隙間から除く目は冷たく光っていたが、同時に知性を感じさせた。
 悩むこともなく、彼のコンパートメントをコンコンコン、とノックした。
 男の子はほんの少し顔を上げると、面倒そうな顔を隠しもせずに片眉を釣り上げた。
「空いてるところがもうないの、ここに座ってもいいかしら?」
 シャルルの顔を見て一瞬目を見開いた後、上から下に視線をさっと走らせ「…好きにすれば」とだけ言うと、男の子はまた本に視線を戻した。
「ありがとう」
「別に」

 汽車が動きだした。「ついにホグワーツへ行けるのね」思わずシャルルは喜色が滲んだ呟きを零した。
「……より深い知識を得られることは悪くない」
 シャルルは彼の顔を見つめた。視線は相変わらす本に落とされている。しかし独り言に律儀返事を返してくれるタイプだとは思わなかったのだ。
 本のページを捲る仕草からも気品を感じるこの男の子と仲良くなりたいと、シャルルはふんわりとした笑顔を浮かべて話しかけた。
「あなたの読んでいる本、アヴィン・ケラーの書いた『新種の毒草と周辺の生態系との関連』よね。32ページの考察がおもしろかったわ」
 突然長々と話し始めたシャルルに少し驚いた顔をした男の子だったが、「…へえ」と唇の端を歪めた。
「驚いたな、この本を読んでいる生徒がいるなんて」
「お母様が薬草学者だから、関連の本は積極的に読むようにしているの」

 男の子は観察するようにシャルルを見てから、うっすらと笑った。そして目を見つめて彼女に視線で促した。
「わたしはシャルル・スチュアート。あなたは?」
「セオドール・ノット。」
 シャルルはかなりの家柄の名前を聞き目を見開いたが、すぐに微笑んだ。
「あなたと出会えてとても嬉しいわ、ノット」
 シャルルはつとめて気品のある微笑みを口元に浮かべた。彼は素晴らしい家柄の子息だ。
「あなたも新入生なの?」
「ああ」
「1年生なのにそんな上級薬草学を読むなんて頭がいいのね」
「きみの方こそ」彼は真顔だったが、声音は軽かった。「教科書はもう全部読んだのか?」
「読んだわ、知らないこともたくさん載っていてとってもおもしろかった」
 ノットはいつの間にか開いていた本を閉じて膝に乗せていた。
 ふたりは教科書の内容、高度な書物の話、ホグワーツについて…気付けば大いに盛り上がっていた。
 どれくらい話していただろう?

──コンコン。
 ノックの音が響き、はっとシャルルは周りに意識を戻した。 シャルルは同世代の子と勉強の話をしたり討論をしたりするのは初めてで、たのしくて時間を忘れるほど夢中になっていた。
「車内販売よ、お菓子はいりませんか?」
「そうね…それじゃあ蛙チョコレートと大鍋ケーキ、それとかぼちゃパイをひとつ」
「僕はドリンクでいい。紅茶をひとつ」
「はい、どうぞ」
 シャルルの蛙チョコレートはアルバス・ダンブルドアだった。魔法界で有名な偉大な魔法使いだが、ヨシュアもアナスタシアも彼を信用しているとは言いがたかった。思わず顔をしかめた彼女に「どうしたんだ」とノットが問いかけた。
 肩をすくめて無言でカードを渡すと受け取る前に「…ああ」と押し返された。やはり、彼もホグワーツの校長を好いてはいないらしい。
「そろそろ着くな」
「えっ、もうそんな時間なの?」
 長く話していたつもりはなかったが、思った以上に話し込んでいてシャルルは驚いた。どうやらノットも同じだったらしい。

 荷物を下ろして席を整えていると、やがて列車が止まった。
 ノットはさっとローブを引っ掛けると、ちらりとシャルルと視線を交わしコンパートメントから出ていった。
 彼と話していてわかったが、やっぱりセオドール・ノットという男の子はひとりを好むひとで、思った以上に周りに関心がない。
 だけど話は面白いし、知識が深くて、仕草も美しくて、ユーモアもあるし、素っ気ないが優しく、そこそこは紳士的で、なによりスリザリン的だ。
 入学初日からそんなスチュアート家にふさわしい友人を作ることが出来てシャルルは大満足だった。そして、きっとノットも同じ気持ちだろうと、シャルルは確信していた。


「イッチ年生はこっちだ!」
 大柄の毛むくじゃらの男が大声で叫んでいる。普通の人間の大きさではない…巨人?人間にしては大柄すぎる。けれど巨人にしてはみすぼらしい。よく分からない知能の低そうな男はできるだけ無視して4人がけボートに乗り込み、広大なホグワーツ城へ向かう。
 進むにつれて露わになる壮大で、荘厳な歴史を感じるお城にシャルルはうっとり感嘆のため息をついた。
 そびえ立つ城から迫るような魔力を感じる気がして、シャルルはお城に入った後も隅々までせわしなく目を動かした。
 動く絵画も喋る絵画もたくさん家にあるのに、ホグワーツにあるというだけでとても神秘的なものに思えてしまう。
 きっと偉大なる創始者たちが手ずからかけた魔法がこの城にかかっているからだとシャルルは思った。

 ホールに1年生が集められると、眼鏡をかけた厳しそうな老婆の魔女が現れた。きっちりとした着こなしも、姿勢も、口調も、威圧的ではあったが、嫌な気分にさせるものではなかった。むしろ、知的な印象を受ける。
 彼女が説明を終え「では組み分けに呼ぶまでここで待つように」と去った背中を見つめて、シャルルは碧の瞳をきらりと輝かせた。




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