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「プロテゴ?」
 数日経って、レッスンは次の段階に進んだ。次は呪文を使いながらの抵抗を試みていく。シャルルは連日のレジリメンスで、瞬間的にまでとはいかなくとも、数秒で心を防御出来るようになっていた。
 今までリドルはシャルルの杖を使っていた。だから、杖がなくとも開心術を使えるのか問いかけると無言の微笑みが返ってきた。そして「抵抗するために魔法を頼るのは三流がやることだからね」と冷たい声で笑った。

 プロテゴは個人的に練習していた守護の呪文で、杖の先からエネルギーが伝っていく感覚はあったが、盾としてはまだ未完成だった。
「決闘する上でプロテゴは役に立つ。それと、以前教えた攻撃呪文もね」
「あなたに攻撃するの?」
「かまわないよ、君にそんな余裕があるなら」
「そう、それなら遠慮はしないわ。わたしはいつだってあなたの想定以上の結果を出してきたはずだもの」
「言うじゃないか。失望させないでくれよ」
 リドルはいちいち煽るような物言いをしてくるが、そんな言い方に慣れきった自分がいる。それに、なぜか嫌な気分ではない。むしろ小気味よいコミュニケーションだと思わせるところが彼の厄介なところだった。
 彼と関われば関わるほど、彼の魅力に取り憑かれていく。リドルは理想的な男の子だった。知性に溢れ、皮肉げなユーモアを持ち、行動力と指導力がある。正当な素晴らしい血筋以外でも彼は魅力に満ちていた。彼が持たないものはなかった。
 シャルルの人生の中でこれほど完璧な人とは出会ったことがない。

「君が得意な呪文は?」
「何かしら…シレンシオとか?」
「攻撃呪文だよ。使い慣れているものが望ましいね」
「攻撃呪文を使い慣れてなんていないわ…でも…そうね……ディフィンドやコンフリンゴは研究の一環で得意になったわ。ステューピファイも使いやすいし…」
「そう、なら始めはそのあたりがいいだろうね。それからプロテゴも意識して使うように。これは無言呪文で扱うのが最も効果的だ」
「分かったわ…」
 彼自身が有能だから、当たり前のように求められる水準が高い。ため息をつきたくなるが、やり甲斐があるのも事実だった。

 リドルの黒曜の瞳がシャルルのサファイアの瞳と交差する。
「レジリメンス」
 透明な何かがシャルルの脳みそに無遠慮に触れる感覚がした。シャルルは慣れたように記憶と感情の断片を集め、ダンブルドアのことを考えた。目の奥がズキズキとして、目の前の景色が揺れる感覚はあるが、断片の奔流に飲み込まれずリドルが目の前に佇んでいる。
 震える手でシャルルは杖をかまえた。
「ディ……っ」
 だが、痛みが強くなって言葉にならなかった。その隙に記憶の中に強引に手を突っ込まれて、脳みそを掻き混ぜられる。
 杖を取り落としそうになり、グッと手のひらに力を込めた。痛みを振り払うように怒鳴る。
「ディフィンド! っっつぅ……!」
 避けたのはシャルルの太ももだった。強制的な痛みにより、脳みその不快な感覚が消えていく。開心術が解けたのだ。

「P(不可)だ」

 リドルが端的な評価を下した。唇を噛む。
 制服が破け、真っ白な陶器のような肌から赤い液体が垂れていくのが映えていた。
「呪文が暴発したようだね。杖先をきちんと制御出来ないからそうなる。痛みによって魔法を解くのは原始的な手段であって、自らが傷を受けていては戦闘においては意味がない」
「エピスキー。レパロ」
 投げるように乱雑にそう唱えて、挑むようにリドルを睨む。「もう一度よ」
「ハハ、その調子だ。いくよ」

 嫌になるほど失敗を繰り返して、何度か成功も掴んだ。
 攻撃呪文は杖がブレたりすると、あらぬところに魔法が飛んでいくため成功率が低かった。プロテゴは呪文自体の成功率は低いものの、形になればほとんど確実に脳内からリドルを追い出すことができる。
 けれど、全体的な結果はギリギリA(可)というところだろう。
 精神的にも肉体的にも摩耗し、シャルルは肩で息をしていた。
 大口を叩いたのに情けない…!
 リドルのニヤついた視線にジリジリと羞恥心が身を焦がす。
「もう一度」
「これが最後かな」
「まだ出来るわ!」
「精神を消耗する魔法は時間を置かなければ成長しない。ダメージが目に見えないものは特にそうだ」
 不服を顔いっぱいに浮かべ、しぶしぶうなずく。言っていることは理解できるが、このまま終わるのが悔しかった。思ったよりも使えないと思われたまま終わるのが…シャルルのプライドは既に十分すぎるほど痛めつけられている。

「レジリメンス」
 リドルが入り込んできて、心の防御を固める。表面的に築いた記憶の裏で思考することも出来るようになってきた。シャルルの心が逸る。
 彼に一泡吹かせてみたい。
 そんな、反抗心にも似た承認欲求が首をもたげる。
 シャルルは少しだけ手法を変えて、あえて心の防御を緩めた。その隙を見逃さないリドルが心の奥深くに触れようとした時、それを待っていたシャルルが力を込めて唱える。
「プロテゴ!」

 リドルの手から杖が弾き飛ばされた。やったわ!
 喜びも束の間、脳内に自分のものではない記憶が流れ込んで来るのを感じた。
 薄汚い小屋のような部屋で薄汚い子供たちがたくさんいる…黒髪のハンサムな痩せぎすな少年が、周りの少年たちから恐怖と怒りの表情で囲まれている……。
 狭い部屋で黒髪の少年が白髪の老人に輝いた目で何か話しかけている……おそらくリドルとダンブルドア…。そしてダンブルドアが突然リドルの箪笥を燃やした……。
 緑の談話室で成長したリドルが黒髪の少年と金髪の少年と顔を突き合わせている…『孤児院で野垂れ死にした女が魔法族であるはずがない…父方の系譜が魔法族だったんだろう』…。リドルの傍に侍る黒髪の少年を見たシャルルは思わず息を飲んだ。自分の生き写しのようだったのだ。

 一瞬の出来事だったのに、数々の記憶が雪崩込んできた。そしてそれは唐突に終わった。
 よろめきながら見上げると、リドルの元々銀白色の身体が、一層蒼白になり、無表情でシャルルを見下ろしていた。瞳だけが真っ赤にぬらぬらと光っている。彼のその目に睨まれると体中の毛が逆立つような気がした。
「僕の記憶を見たな」
 リドルが震える声で言った。動揺ではなく、憤怒によって震えているのが分かった。

「クルーシオ!」
 突如、全身に言葉にならない程の衝撃が襲ってきた。シャルルはミミズのようにのたうち回った。最初、冷たい何かが全身を這っているかと思ったが──冷たいのではなく、熱い。自分の肉体が燃え上がっているような熱さにゼェゼェ喘ぎながら、なんとか逃れようと床を引っ掻く。けれど、それも違った。痛みだ。痛みで全身が燃えている。
 喉がしまって声が出ない。
 ブルブルと痙攣している芋虫のようなシャルルを、ぼやける視界の中でリドルが唇を吊り上げて見下ろしているのが見えた。
 バチン!と音がした。
 這い回る衝動が消え去る。

 床に倒れ込んで、許されたのかと震えるシャルルの胸元で、シャランと何科が音を立てる。霞む視界をどうにかこじ開けると、水晶のネックレスが光を放ち、徐々に落ち着いていく。

「御守り……」
「プロテゴか」
 リドルが鼻を鳴らした。不快そうに何度かコメカミを揉んで、シャルルを横抱きにすると、ソファにそっと下ろした。
「わたしに…」
 体中の熱が引いてくると、さっきの事態が鮮明に蘇ってきて、シャルルはわなわなと手のひらを震わせた。ネックレスを白くなるほど握る。無意識に何かに縋りたかったのかもしれない。
「わたしにクルーシオをかけたの……!?」
 愕然とする彼女の瞳には、呆然、そして強い怒りと嫌悪感が滲んでいた。リドルは無表情だった。
「躾には痛みが有効だ。そして恐怖もね。誰であっても僕に触れることは許さない」
「躾…躾と言ったの!? わたしに対して!?」
「教育と躾は同義だ。そして教育は支配と洗脳だよ」
 彼がうんざりと、見下すように言った。シャルルのことを、まるで感情的になるヒステリックで面倒な女の子としてあしらう様子に、彼女の顔色が石のように蒼白になってゆく。
 だが、ローブを皺になるほど強く抑え、なんとか深呼吸した。彼にはまるで悪びれた様子がない。そして、クルーシオを人にかけることになんの躊躇いもなかった。
 シャルルは純血で…リドルの手駒なのに。彼のためにシャルルは今まで協力してきたのに……。
 心の中に反感と不信感が芽ばえる。けれど、考えないようにして、脳みその片隅に追いやった。考える時間が必要だった。

 しばらく無言で俯いていた。リドルも退屈そうに足を組み、杖を弄びながらシャルルを待つ。
 やがて、静かな声でシャルルが問いかけた。
「プロテゴは…禁じられた呪文も跳ね返せるの?」
「死の呪文以外はね。けれど稀な例だ。ほとんどは意志の力で跳ね除ける…けれどそのネックレスにはプロテゴ・マキシマが掛けられていたようだね。それも随分強力な魔法使いによるものだ……それをどこで?」
「父よ…」
「へぇ。過保護な父親だな」
 シャルルは父の…ヨシュアのその愛情に救けられた。それを嘲笑う彼に、心のどこかがねじれる感覚がした。
「その記憶も父親のものかい?」
「記憶?」
 困惑してリドルを見上げるシャルルに、リドルも眉をひそめて怪訝に見返した。
「記憶だろう?そのネックレス」
「ど…どういうこと?」

 彼がおもむろに象牙のような指先をシャルルの胸元に差し伸ばした。チェーンを手繰り寄せ、まじまじと検分する目付きで眺める。
 ほら、と水晶の中で泳ぐような銀色の液体…を指さした。
「知らないのか? これは記憶だ。杖で脳から取り出し保存させておくことが出来る。誰の記憶かは知らないが…君の父親から渡されたなら父親の可能性が高いんじゃないのか」
「記憶……これはどうやって使うの?」
「憂いの篩に注ぎ込み、水盆に入ることで記憶を追体験できるが……これは水晶に守られているようだから、砕く必要があるね」
 ──必要な時に砕ける。あるいは、適切な時に。
 ネックレスを渡された時に言われた言葉が蘇る。時っていつなの?何がきっかけなの?お父様はわたしに…何を伝えたいのだろう?
 盾の呪文と共に、水晶に閉じ込められた記憶。磔の呪文から守られたことを思えば一層大切なものに思えた。煌めく水晶を指先でそっと撫で、シャルルは胸元にまたしまいこんだ。

 父はシャルルを守ろうとしてくれている。秘密から遠ざけ、隔離するように育てられたのも、きっとそうだ。両親に秘密はあれど、シャルルを一心に愛してくれている。それが分かる。
 反発してしまうのはシャルルの幼稚な反抗心のせいだ。自分が認められていない気がして、押さえつけられている気がして、物も考えられないような子供だと扱われている気がして……。
 それに引き替え、リドルは……。だから惹かれ、だから憧れ、だから今、恐れている。

 シャルルは唇を舐めて、声が固くならないように意識した。まだ彼に聞きたいことがある。この話題に踏み込むのは勇気が必要だった。

「今見た記憶……」
 リドルの黒々とした瞳に一瞬赤い色が走り、心臓がドクリと青い鼓動を立てた。言葉を募りたくなるのを抑制して、意図的に鷹揚に微笑んでみせる。
「あなたについては聞かないわ。気になるのは…一緒にいた少年たちのこと。あなたの友人だったの?」
「……。…ああ、オリオンとアブラクサスのことか?そうだね、友人であり、同志であり、協力者であり、部下だった」
「オリオン…オリオン・ブラック?…アブラクサスは……年代的にマルフォイ……?」
「その通り。主要な家系の祖先は覚えているようだね」
「ええ。オリオン・ブラック…あなたが言った通り、わたしに瓜二つだった…とても」
「だろ?血も似ているよ。君がブラックの直系ではないことが信じ難いほどだ」
「でもブラックは…断絶したのよ」
「そうなのか?」
 僅かに目を瞠った。眉をひそめる。
「ブラック家はまるで王家のような権勢を奮っていたのに?…何があったんだ?」
「さぁ…詳しくは。でも、二人息子がいて…一人は牢獄に、一人は……若くして亡くなってしまったみたい」
「ふぅん。息子をアズカバン送りにされるのを許すとは…オリオンも堕ちたものだな」
 リドルはせせら笑った。シャルルは信じられない思いで、彼の酷薄な横顔を見つめた。たった今友人だと語った口で、その友人の権勢が翳ったことを嘲笑う。彼は…二枚舌で、心がない。
 それなのに、彼の笑顔は歪んでいればいるほど、一層彼らしく、冷たい輝きを纏って見える。誰も触れることを許されない氷のような横顔だった。

 シャルルの心は相反する感情でせめぎ合っていた。
 リドルを不審に思う心と、その彼の酷薄さが彼自身の魅力だと思ってしまう心だ。

「今日はもう…休むわ」
 すくっと立ち上がると目眩がした。よろけそうになるのを足に力を入れて踏みとどまり、背筋を伸ばして彼をまっすぐ見つめた。
 ソファに座る彼を見下ろしている。
 揺れる心を悟られないように、気丈さを掻き集める。
「明日からのレッスンは少し考えさせてちょうだい」
「……何故?」
「あなたにされたことを考える時間が必要だわ。わたしはあなたの手駒となり、協力者になったけれど、ハウスエルフのような奴隷じゃない。今日のことをよく考えて、受け入れられるか思案するわ」

 リドルが何か言おうと口を開いた。それを聞く前に踵を返し、黒い髪をたなびかせて凛と背を向ける。黒い日記帳は必要の部屋に置いていった。彼をそばに置いておきたくない。
 彼がどれほど尊い存在であろうと、シャルルは純血だ。誇り高い純血なのだ。
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