わたしにはあなただけがいない

・もしもの話
・本編にはまったく関係の無いパラレルワールド
・ドラパン前提
・年齢は5年生〜6年生あたり
・キスシーン
・夢主の男関係が爛れている
・百合
・百合
・百合

*





 初めてキスをした時、こんなものか、と思った。


 パンジーがドラコとキスをしたと嬉しそうに話す頬が林檎のようにほの赤く熟れていて、今にも泣き出しそうに瞳が潤んでいる。
 1年生の時からパンジー・パーキンソンはずっとドラコ・マルフォイのことが好きだった。
 彼の反応を求めて、彼のつまらない冗談に甲高く笑い、威嚇するように彼の腕にひっつき、まるで雛鳥のように彼の後ろをついて回っては彼の真似をして彼を求めた。
 だからパンジーの気持ちが成就したのなら嬉しい。
 そう思いつつも、シャルルの胸の中は言葉に出来ないわだかまりがモヤモヤと渦巻いていた。パンジーが幸せそうで嬉しい気持ちは決して嘘なんかじゃないのに。

「おめでとう、パンジー。ドラコもやっとあなたの魅力に気付いたのね」
 シャルルはずっとずっと前から気付いていたけれど。

「ありがとうシャルル!あなたにお祝いされるのがいちばん嬉しいわ!あなたはずっとわたしのことを応援してくれていたものね」
 無邪気に喜んでハグをしたパンジーだが、その言葉の裏に僅かな牽制が入っていることをシャルルは知っていた。「当然よ、親友だもの」ハグに応えて背中に腕を回す。肩にかからないくらいの、綺麗に切り揃えられた黒髪から柔らかい薔薇の香りが漂った。嗅ぎ慣れた匂い。

 パンジーはシャルルにずっと劣等感を抱いていた。ドラコが彼女に向ける熱の篭もった視線を、パンジーはずっと見ていた。ふたりが名前で呼び合うようになり、距離が近くなり、ふたりの視線が絡むようになってからはシャルルのことを「親友」と呼ぶときいつも心の中に黒いものが生まれて自己嫌悪に苛まれたけれど、ようやく純粋な気持ちだけで言える。
「ええ、わたしたちは親友よ」
 なんだか涙が出るほどにパンジーは幸せな気持ちだった。


 ふたりが常に一緒にいるのはスリザリンどころかホグワーツ中で有名な事実だったが、ドラコの態度が以前とは変わっていた。おそらくそれに気付いたのはスリザリンの、それも同学年だけだっただろう。
 嬉々として彼の食事を取り分けるパンジーに目を合わせて「ありがとう」と礼を言うことだとか、教室に移動する時パンジーの教科書を持つようになったことだとか、パンジーが引っ付いてくるために腕を曲げて待つようになったことだとか。
 そんな小さな、紳士ならして当然の気遣いを今までドラコはして来なかった。パンジーが自分に恋していることを知っていただろうに、突き放しもせず、受け入れもせず、その好意を当たり前のように享受していただけだった彼の変化。
 ドラコに好きだと言われたわけではないらしいが、やっぱりふたりはカップルだった。
 シャルルはそれを横目で見て歯噛みしたくなった。

 何がそんなにモヤモヤするのか分からない。ドラコが時折今でもシャルルを見つめていること?今まで蔑ろにしていたのに突然優しくなったこと?パンジーと過ごす時間が今まで以上に減ったことだろうか?
 あるいはその全てなのかもしれない。

 ただ甘ったるいシュガーのようにとろけたパンジーを見るたびに、シャルルの胸の中はほの苦いビターを帯びるのだ。
 その感情は「悔しさ」にいちばん似ていた。


「それにしても、パンジーがマルフォイを捕まえてくれて本当に良かったわ。このままじゃわたしマルフォイと結婚させられそうだったのよ」
「そ、そうなの?!どういうことよ!」
 目を剥いて、怒りの表情でパンジーがダフネに食いついた。肩を竦めてダフネが肩に垂らした三つ編みをつまらなそうに弄ぶ。
「小さい頃から父親とミスター・マルフォイの間で話してたらしいのよ。どちらも魔法省にコネがあるから、歳の近い男女の子供を結婚させるのはいい案じゃないかって」
「き、き、聞いてないわ!」
「誰にも言ってないもの。シャルルにだって言ってないわ」
 パンジーがシャルルを見ると、本当に初めて知ったらしく瞠目してダフネを見つめていた。
「知らなかったわ……。だからダフネはマルフォイに当たりがきつかったの?」
「そうよ。だってもしわたしの夫になるなら、きちんと彼を見極めないとじゃない?でも彼って子供っぽくてとても結婚なんて考えられないと思ったわ」
 人の彼氏に向かってすごい言い様ではあるが、たしかにドラコはかなり子供じみていた。それが許されるバックボーンを持っていた。
 しかしダフネの好みは年上の頼りがいのある知的な男の子だ。ドラコはまったくもって真逆だった。

「じゃ、ドラコのご両親は……ダフネの方がいいと思ってるのかしら」
 たちまちパンジーが不安そうに声を震わせる。それを笑ってあしらった。
「ただの軽い口約束よ。そこまでマルフォイと親交があったわけでもないし、たぶん彼はわたしが婚約者候補だったことも知らないと思うわ。ただ、うちの場合……」
 顔を暗くして視線を伏せる。睫毛の影が頬に落ちた。
「ほら、アステリアが虚弱なのは知ってるでしょう?だから妹は嫁の貰い手が厳しいと両親は考えているの。どこか有力な家から婿を取って、わたしは結婚するのが小さい頃から決まってるのよ」
「ダフネ……」
 政略結婚は貴族の常識だけれど、彼女たちはまだティーンだ。特に好きな人と結ばれたばかりのパンジーは、痛ましそうにダフネを見つめた。

「もうっ、わたしの家のことはいいの。受け入れる心の準備はずっとしてきたし、恋人が見つかればその人と結婚するのも許されてるの。これから卒業までに素敵な人を見つければいいだけの話よ。それよりパンジー……」
 暗くなった空気を払うように、ダフネが目の奥をいたずらっぽく煌めかせながらパンジーを問い詰めた。
「ねえ、マルフォイとのキスはどうだったの?」
「えっ!そんな……恥ずかしいこと言わせないで、ダフネったら……」
 顔を隠して恥ずかしさに身をよじるが、本当は彼女は何もかもを明かしてしまいたいと思っているのを全員が知っている。彼女はボーイフレンドとそっくりで、自慢するのが大好きで、恋の話をするのも大好きなのだから。
「いいじゃない。そんなに隠すようなことじゃないわ。ここにいる全員ファーストキスは済ませてるんだから」
「トレイシーも?」
「そりゃ何回かはね」
「シャルルだってアランとしてたものね。誰かと付き合ってるって話は、あれ以来まったく聞かないけど」
 背中を押され、少しの間視線をさまよわせたパンジーが口を開いた。言いたくって仕方がなかったような顔だ。3人共苦笑いすら出ない。

「この前わたしたち、ホグズミードに一緒に行ったでしょう?ダービッシュのお店を見て、グラドラグスでドラコが目を留めたワンピースをプレゼントしてくれて、天にも昇るような気持ちになったわ!その日の彼、なんとなくいつもと違う気がしてた。だって、いつも衣装店を見てる時退屈そうなのに、あの日はずっと隣でわたしが見てるのに付き合ってくれたのよ。その後休憩することになって三本の箒に行って……」

 話し始めたパンジーの口は止まらずに動き続けた。紅茶をひと口飲んでまた興奮したように言葉が滑り出した。

「わたし、いつもみたいに彼の隣で話を聞いてたわ。彼が話すところを見るのって大好き。彼って言葉通りに表情がころころ変わるから、その横顔を見ているとうっとりするの。カウンターに座っていたんだけど、ビールの棚でボックス席の影になってて、他の人から見えづらくなるからわたしたちいつもそこに座るんだけど……。そうしたら、ドラコがいきなり口を噤んで」

 夢見るように語っていたパンジーが、不意に眉を寄せた。眉尻は垂れ下がって、瞳は潤んで、感極まったように言葉がつかえる。

「ふっと黙ったまま、ドラコのじっとわたしを見下ろしてきて……驚いて、わたしも彼の目を見つめたまま動けなくなった。だって、そうじゃない?彼がわたしのことを……み、見つめてくれたことなんて、今まで、ぜんぜん……。戸惑って動けないでいたら、ドラコのグレーの目が近付いてきて、わたし何も考えられなかった。ただ、綺麗だなって思うだけで……固まってたわたしの唇に、なにか柔らかいものが当たって、それでようやくドラコにキスされたんだって気付いたの!」

 パンジーはとうとう涙を零れさせた。
 何年もドラコに一途な恋をしていた。ダフネもつられて少し目の奥がジンと熱くなる。
「やだ、マルフォイって意外と素敵なキスをするのね。わたしまでドキドキしそうだわ」
「ちょっと、ドラコはわたしのものよ!」
「誰も盗らないわよ。ガールフレンドになったんだから、もう少し余裕を持った方がいいわ」
「あんなにカッコいいんだもの、余裕なんて……。でも本当に夢みたいだった。それで彼が『目を閉じない方が好きなら、僕はかまわないけど?』って意地悪そうな顔で少し笑って、あわてて目を閉じたらまたキスをしてくれて……。わたし少し泣いちゃったわ」
 うっとり思い出す余裕もなく、積年の思いをようやく実らせて本当に嬉しそうに笑うパンジーにシャルルは胸が締め付けられた。すごく可愛くて、すごくいとしくて、パンジーを手に入れたドラコは幸せ者だ。
 シャルルは一瞬、目を伏せた。

 恥ずかしそうに目をこすったパンジーが、「わたしだけばっかりなんてそんな話ないわ!みんなも吐きなさい!」と居丈高に言った。
「まずはダフネからよ!」
「いいけど、もう前に話したじゃない」
「恋の話は何回聞いてもときめくものよ」
 ダフネはこの中の誰より早くファーストキスを体験していた。彼女の恋はみんな知っていたから、せがまれてずっと昔にダフネは話している。パンジーの追求は昔から激しく、たぶんその時の仕返しで今日からかったんだろう。
「知ってのとおり、初めては2年生の夏休みで、相手はエリアス・ロジエールよ。告白して妹のように思ってるって言われた時は、分かっていたけどやっぱり切なかった。それで、最後の思い出にってお願いしてキスしてもらったの」
 何年も前から何回もせがまれて話しているので、ダフネの口ぶりはあっけらかんとしている。羞恥もなく、もはや投げやりで、でも僅かに初恋に思いを馳せる感傷的な響きがあった。

「ああ、何回聞いても切ないわ……」
 パンジーが胸を抑えた。大げさな、とダフネが白けた視線を送る。
「報われない初恋って、なんて胸に迫るのかしら」
 初恋を叶えたばかりのパンジーがか細く囁く。浮かれ切っているパンジーにダフネは嫌味を言うことさえバカバカしく思った。まあ、多少は幸せ気分に浸らせていてもいいだろうと、諦め混じりにため息をつく。
「それにしても6つも歳上の男の子に最後のキスをねだるなんて、ダフネって大人しそうな顔して、けっこう積極的よね?」
 ケラケラとトレイシーがからかった。拗ねたようにダフネが「その言い方、なにかいやだわ」と横目で睨む。
「でも、いつも自分から告白するじゃない。モテるのに、自分に好意を持つ男の子にはぜんぜん興味ないなんて言って」
 彼女の恋愛遍歴はすべて把握している幼馴染のシャルルが追撃した。ダフネは言い訳がましく言った。
「だってわたしを好きになる人って、同世代や年下が多いんだもの。その上妙に自信過剰な人ばっかりだし」
「穏やかでか弱そうだもんね、ダフネって」
「見た目だけはね」
「ちょっと!」
 3人が顔を見合わせてくすくす笑う。スリザリンの中でもいっとう儚げで優しそうな上に、他寮生との揉め事もめったに起こさないダフネは、その見た目や雰囲気から誤解を受けることが多いが、内面はシビアで大人っぽい。揉め事を起こさないのは優しいからでも寛容だからでもなく、ただ興味が無いからだ。

「トレイシーは?誰が相手だったかしら?」
 同室のダフネでもトレイシーの恋愛事情はあまり聞かない。ボーイフレンドのウワサもあまり流れなかった。ただ時折、トレイシーにはにかみながら話しかける男の子が現れるから、ダフネはなんとなく察している。
「ファーストキスはエディよ」
 なんてことの無いようにトレイシーは言った。
「エディ?」
「1つ下のエドワード・ベイジー。3年生の時に婚約したの」
「えっ!?」
 3人は揃って驚き声を上げた。
 そんなこと、誰も何も聞いていない。ベイジーはチェイサーの控え選手で来年には正選手として活躍を期待されている純血のスリザリン生で、女子生徒からそこそこ人気があるが、トレイシーと特別親しくしているところは見たことがなかった。
 青天の霹靂に唖然としている3人に、トレイシーは苦笑した。
「婚約したばかりの頃は、彼って垢抜けてなくてなんだか言うのが恥ずかしかったんだよね。それから何年も経って今更言うことでもないかと思って……」
「でも、ベイジーって今レイブンクローの彼女がいるんじゃなかった?」
「うん」
「うんって、うんってあなた……!」
 信じられない、とばかりにパンジーが口を開けている。

「何回かこっそりデートしたり、試しにキスしてみたんだけど、お互い恋は生まれなかったわ。婚約も親の仕事の関係だし。だからホグワーツにいる間はお互い火遊び程度の恋愛をある程度してもいいって結論になったの」
「トレイシーは、それでいいの?」
 おずおずと気遣わしげにダフネが尋ねた。婚約について長い間考えてきたダフネにとっては他人事ではない。トレイシーはある意味、自分がなりたくなかった未来を選ばされている女の子だ。
「気にしないわ。結婚なんて所詮政治のひとつだもの」
 彼女はさらりとしている。元々トレイシーが冷めた一面を持つことを知っていたが、さすがに空いた口が塞がらずにパンジーとダフネは圧倒された。
「彼もそれで気にしないの?」
「うん、納得してるわ。わたしたち、別にお互いには満足しているから」
「似た者同士なのね。それならいい家庭を築けそうね」
 シャルルだけは感慨もなさそうに、さらっと祝福を送る。冷めているのはシャルルも同じだった。
 恋愛にも、人にも、ちょうどいい距離感で滑るように人の間を泳いでいるシャルルに、トレイシーは親近感を持っている。そんなシャルルが誰を選ぶのか、誰を選んで来たのかトレイシーは気になった。

「シャルルはやっぱりファーストキスはトラヴァースなの?4年のダンスパーティーでパートナーだったよね?」
 衝撃から立ち直ったパンジーがニヤニヤと唇を釣り上げた。
「あの時のあなた達ったら、お熱すぎて見ていられなかったわよ。人前でもかまわずくっついて」
 パンジーには言われたくないが、たしかにあの頃シャルルはアランにべったりだった。
「でもわたし達、付き合ってたわけじゃないのよ?ただ、スリザリンでわたしに申し込んでくれたのがアランだけだったから、嬉しくて甘えていただけ」
「そういえばそんなこと言ってたわね」
 訳知り顔でダフネが頷く。シャルルはパーティーへはスリザリン生と行くことを決めていたが、思惑と違い、シャルルに熱い視線を送っていたはずのドラコはパンジーを誘い、いちばん仲が良かったセオドールはダフネを誘った。ザビニとはお互いを相手に考えることすらなかった。
 自尊心が傷ついて羞恥に苛まれ、ショックを受けていた心が、アランに申し込まれたことで慰められたから、少し舞い上がって甘い時間を過ごすことを楽しんでいただけだ。
 アランからもシャルルへの激しい恋心や執着心は感じられなかった。

「な、何それ、シャルルといいトレイシーといい、いちばん大人びた遊び方してたなんて……!」
 スリザリンの同学年の中ではいちばん初めに色気づいていたパンジーが愕然と呟いている。特にシャルルは恋もした事の無いお子ちゃまだったのに。
 まあ、今でもシャルルは恋をしたことはないのだが。

「でも、ファーストキスはアランなんじゃないの?」
「そうなんじゃないかしら。だってそれ以前にシャルルに噂なんてあった?」
「わたしたち、誰も聞いてないし……。大体シャルルは秘密主義すぎるわよ」

 非難されるように言われ苦笑する。少し考えて、悪戯を企む子供のように微笑みを浮かべた。ザビニとは関係を終えてかなり時間が経っているし、時効だろう。彼も相当に口が軽いから噂が回っても人のことを言えないはずだ。

「ファーストキスはザビニよ」
 今度こそ3人は、シャルルの言葉に度肝を抜かれた。
 言葉を無くす友人たちに、内心悪戯が成功したことを喜びながら、何食わぬ顔で言い加える。
「キスしたのは2年生の時だったわ。お互い恋心はなかったけど、1年生の頃からザビニはわたしの先生だったの」
「先生?」
「恋愛を操る先生よ。昔から彼は女遊びが派手だったでしょう。しかもモテるだけじゃなくて、恋愛を楽しみながら、恋愛にのめり込まずに、でも相手を自分に夢中にさせることが上手だった。だからわたしは彼の異性に効果的な手段を教わっていたの」

 理解が追いつかないという顔を見て、さらに付け足してみる。
「……もちろん、実践も含めてよ」

 その言葉の意味することが分かったのか、ダフネの顔がかぁっと赤くなった。それを見てパンジーも真っ赤になる。
「ザビニと仲がいいのは知ってたけど、まさかそんな関係だったなんて……」
「あら、トレイシーは知ってると思ったわ」
 彼女は首を振った。
「ザビニは高慢ちきだけど、敵に回したらいけない人の秘密は絶対に守るわ」
 だからザビニを選んだんでしょう?という視線を受け止めて、シャルルは満足そうに頷いた。


 初めてキスをした時のことが頭の中に浮かぶ。
「君って仕草や口調や異性の思考回路ばかり知りたがるけど、もっと即効性のある手段は興味無いのかい?」
「たとえば?」
「俺がよく使ってる手段さ。分かるだろう?」
「即物的で、下品な?」
「ハハッ!なんだ、実践が怖いなら無理に誘わないよ。初心なお嬢様なら躊躇って当然だ」
 小馬鹿にしたようにシャルルを尊重する振りをするザビニに気分が害される。その程度の挑発に乗るつもりはなかったが、「可愛らしく恋愛ごっこを楽しんでいるままがちょうどいいさ」という副音声が聞こえてくるようで、言わせたまま引くのも癇に障る。

 思考を読んだようにザビニが「ただ……」とわざとらしい助け舟を出した。
「僕なら、君に振り回されずにちょうどいい距離感を保ったまま、実践を練習出来ると思うけどね。もちろん、他に君にそういう相手がいるなら何も言わないよ」
 シャルルは挑発的に顎を上げた。
「あら、あなたの余裕がずっと持つとは思えないわ」
「クッ、君のそういうところ好きだな。大した自信家だ。もちろん君に夢中にならない男なんていないだろうけど、僕はその感情すら自分でコントロール出来る。証明してきただろ?」

 ザビニは笑うと高慢で大人びた風貌がくしゃっと歪んで、いかにも幼気になる。どこまで本気か分からない流れるような賞賛に、多少溜飲が下がったシャルルは、彼の申し出を脳内で咀嚼した。
 ふたりは自信家だった。お互い自分の魅力を客観的に自負している。
 シャルルが儚げにしなだれかかれば男子生徒はザビニも例外でなく頬を染めたし、ザビニが瞳を見つめて意味ありげに囁いてみせればシャルルも例外でなく鼓動を高鳴らせることが出来た。
 そしてザビニはときめきすら「遊び」として楽しんでしまえる。シャルルに恋を望まない都合のいい男の子は、たしかにザビニしかいないだろう。

 自分が、恋愛的な……性的な触れ合いをした時、どういう心の動きをするかはずっと確かめてみたいと思っていた。
 シャルルはザビニを見つめ返して、甘やかに微笑んだ。それが合図だった。

 節ばっている大きな褐色の手のひらをザビニがシャルルの頬に添え、シャルルはゆっくりと瞳を閉じた。そっと押し付けられた暖かい唇、掠った吐息、頬から頭の後ろに回された手の感触、生ぬるい自分以外の体温。薄く目を開けると熱を帯びたネイビーの瞳がシャルルを見つめている。
 シャルルは自分の頬が火照り、僅かにぼうっとする脳内を自覚し、胸が甘く疼くのを感じた。ときめきが全身をゆっくり流れていた。
 キスを終えた時シャルルは思った。
 ああ、こんなものか。
 これならわたしは、わたしを失わずに楽しめる。

*

 パンジーが思いを叶えてから、ふとした時にシャルルの強い視線を感じていた。不機嫌そうでどこか射抜くような瞳はパンジーと決して交わらなかった。彼女の瞳はいつも、パンジーのすぐ側の人に向けられている。
 一瞬で離れる視線だったが、パンジーは敏感に感じ取れた。彼に好意を向ける女子生徒にずっと牽制して来たけれど、シャルルにだけは通用しないことを知っている。
 射抜くような視線が何度も重なるにつれ、心の中にどんどん恐れと怒りが募った。

 ──やっとドラコに見てもらえたばかりなのに、いまさら彼を奪わないで!

 ドラコからの熱を孕んだ視線に、シャルルはずっと気付かないふりをしていた。いまさら、いまさら、ドラコの隣を望もうだなんて、そんなことは絶対ゆるさない。たとえそれが親友であっても。

 図書室の奥の奥の席はシャルルのお気に入りだった。授業後ドラコからのいつものお茶会の誘いを断り、とても惜しい気持ちになりながらもパンジーはまっすぐその席へ向かった。
 橙のアンティークランプの光に照らされ、ほの暗くなってきた図書室内で、本を捲る姿が美しく浮き上がるシャルルの横顔に、一瞬パンジーは気圧された。まるで芸術品みたいに完成された美だったから。
 そして気圧された自分に怒りが湧いてくる。
 パンジーはずっとシャルルが羨ましかった。当たり前のように、パンジーの欲しいものすべてを手にしている彼女が。

「シャルル」

 静かに視線を上げたシャルルが、少し驚きを浮かべてパンジーを見上げた。まばたきの度に星が散る。それにすら惨めな気持ちになりそうだった。
「どうしたの?ドラコは?」
「談話室にいるわ」
「なにか課題が終わっていないの?」
 答えず、パンジーはシャルルの隣の席に座る。彼女は戸惑っているようだった。
 静かで、どこか威圧感さえ感じるパンジーは初めてで、自然と顔が引き締まる。
 席の周りに人気はない。周辺の本棚は課題や授業に関係の無い雑学的な本が置かれているから、滅多に生徒がここの本を探しに来ることはないし、マダム・ピンスのヒステリックな金切り声もここには届かない。生徒たちの話し声も靄がかったように遠い。人に知られたくない話をするのに絶好の場所だ。
 シャルルはセオドール・ノットとここでよく過ごしている。

「ドラコがあなたを想っていたことには気付いていたでしょう?」
 喉から出た声は存外冷静だった。でも自分で言ったその事実に、鋭く心臓が痛む。シャルルは否定せずに困ったように俯き加減で視線を逸らした。
「でも、わたしはあなたのことをずっと応援して来たわ……」
 申し訳なさそうな、出来る限りパンジーの怒りを和らげるような声に顔が歪みそうになる。これに関してシャルルは悪くない。ただパンジーが惨めな気分になるだけ。彼女には分からないんだろう、シャルルがパンジーを尊重しようとするたびに、どれほど情けなくて惨めな感情に襲われるかなんて。
「言っておくわ。わたしは決して彼を離さない。あなたがドラコを求めても、彼があなたを想っていたのはすでに過去のことだわ」
「ドラコを求める……?」
「あなたが嫉妬に満ちた顔でドラコを見つめているって、わたしが気付かないとでも思った?」
 だんだん、声が震えてくる。パンジーが睨みつけるが、シャルルはただ途方に暮れていた。
「嫉妬……?わたしが?」
 白々しい!目の奥が燃えるみたいだった。
「そうよ!今まで彼の視線を見ないふりしていたくせに!それにわたしがどんな気持ちだったか……」
 甲高い声で怒鳴ってから、必死に自分の気持ちを落ち着かせる。いけない、マダムが来てしまう。それに今日パンジーはシャルルと喧嘩しに来たわけでも、絶好しにきたわけでもない。
 ドラコに選ばれた女として、ただ宣戦布告をしに来たのだ。

「手に入らなかったものをいまさら惜しんでも、もう遅いのよ、シャルル」

 彼女は強い口調にたじろぎ、パンジーを見つめながらもう一度口の中で呟いた。「嫉妬……」
 そして、いきなり燃え上がったかのように顔を真っ赤に染めた。首元まで朱に染まっている。うろたえて、火照った自分にさらに動揺して瞳を揺らすシャルルにパンジーは呆気に取られた。こんなに顔を赤くした彼女が見たことがない。
 いつも余裕そうに澄ましているのに、今はその余裕もすっかり消え去っていた。
 やっぱり……。
 パンジーの目から見ても、羞恥で潤んだ瞳や、熟れた頬や、そのせいでさらに際立つ絹みたいな肌はとても愛らしくて、それに何故か泣きそうになった。どうしてもシャルルにドラコを盗られたくない。どうしても、どうしても、ドラコの隣を譲りたくない。シャルルにかなわないと分かっているから、こうして彼女に言うしかない自分が悔しくて仕方ないけれど、なりふり構わずにでも、どうしてもドラコを誰にも渡したくなかった。

「そう……これは嫉妬だったのね……」
 シャルルは手のひらで顔を覆った。彼女が自覚していなかったことに、パンジーは初めて気付いた。恋に鈍感なのは理解していたつもりだったけれど、ここまでだったなんて。
 自分が余計なことを言ったんじゃないか。
 背筋が冷たくなる。
 半ば縋るような気持ちでパンジーがシャルルを見つめた。

 少し赤みの引いてきたシャルルが、パンジーを潤む瞳で見つめた。それにドキリとする。彼女がドラコに向けた射抜くような強い瞳だ。
「安心して、わたしは彼を望んでなんていないから」
「うそよ」反射的に返す。「ドラコに向けられる視線はわたしがいちばん分かってる」告発するような響きが篭もっていた。
「本当よ。見ていたのは、彼がパンジーを幸せにするかどうか分からないから」
「そんな綺麗事を知りたいんじゃないわ!」
 真っ白になるほど手をきつく握りしめる。
「わたしは全部分かってるの。隠そうなんて思わないで。シャルル、わたしはあなたのことも失いたくないのよ、大事な親友だもの……」
 言い終わる前に言葉尻がか細く消えた。
 もはやパンジーは涙を浮かべていた。それを見てシャルルが顔を歪ませ、皺が寄るほどぎゅっと目をつぶる。

「気付きたくなんてなかったわ……。でも、あなたが気付かせたのよ」
 悩ましく、苦しげな声で呻いて、シャルルが隣に座るパンジーの手のひらを掴んだ。そのままするりと指先を絡める。
 シャルルはそっと顔を寄せた。間近で見つめ合った宝石のような青い瞳が、きらきらと膜を張っている。鈴のような低い囁き声が掠れていた。
「たしかにわたしは嫉妬していたんだわ。わたしの隣からあなたを奪って、当たり前のようにあなたに大切にされて、わたしには向けてくれたことのない笑顔を向けられるドラコに……」
 まるで罪を吐き出すような声だった。泣きそうな、林檎のようなシャルルの表情と言葉の意味を理解する前に、パンジーの唇に熱い果実のような甘さが触れる。
 頭の先から痺れが広がり、パンジーは目を開いたまま身体を固くしていた。
 柔らかく下唇を食まれる感触に脳内が溶けるような気持ちの中で、頬を冷たい雫が濡らすのを感じた。シャルルが泣いている。

 古ぼけた紙の香りに包まれた図書室の片隅で、淡い橙の光に照らされながら、少女たちの影はひそやかに重なり合っていた。

*
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