さよならは知らないまま | ナノ
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 結仁依さんからの葉書は、数日後にポストに届いていた。白地に紫の筋が入った花の写真で、何という種類か分からなかったので図書室で調べてみたら、ペチュニアというらしい。名前だけは聞いたことはあるけれど、こんな花だというのは初めて知った。
 私もすぐに手持ちのポストカードから結仁依さんが気に入ってくれそうなカードを選んだ。いつ買ったかものか分からないけれど、水彩で描かれたきれいな金魚のイラストは、これからの季節にぴったり。
 コンビニで切手を買って貼り付け、ポストへ投函するときに鳴ったカタンと軽い音は、久しく遠のいていた時間の針が、また進みだした足音だ。



 気づいた瞬間、ドッと冷や汗が噴き出た。
 いくら机の中を探っても、バッグの中を確認しても、三時限目に必要な古典の教科書がなかった。バッグに入れ忘れて登校したらしい。
 忘れてしまったのはもうどうにもならないから、休み時間のうちになんとかしないといけない。『なんとか』というものの、他のクラスから借りて来る一択だ。
 でも、今日の私にはそれは難しかった。真っ先に頼りたいチョビちゃんが、家庭の事情で学校を休んでいる。となると、他に当てを探さなくちゃならない。
 私ははっきり言って友達が多い方ではない。学校の帰りに遊ぶのも休日に会うのもチョビちゃん。ただ、一年生のときのクラスメイトで、廊下ですれ違えば話す子はいる。休み時間は短いので迷っている時間はなく、急いでその子のクラスに向かった。

「古典? 今日はうちないから持ってへんわ」

 ごめんな、と謝る元クラスメイトへ気にしないでと返し、次のクラスへ。そこも似たような言葉を返され、三人回ったものの教科書は借りられなかった。
 もうこうなったら隣の人に見せてと頼むしかない。でも隣の人とはまだあまり喋ったことがないし、男子だから余計に頼みづらい。
 絶望しながら席に戻ると、後ろの席でスマホを触っていた侑くんと目が合った。

「なんや、どうしたん? 明日で世界が終わるみたいな顔して」

 よほどひどい顔をしているらしい。そんな顔を見られたことが恥ずかしくはあったものの、取り繕う余裕もない。

「古典の教科書忘れちゃって……」
「よし子ちゃんが? 珍しいなぁ。今日は外周あんのに、雪とか降らせんといて」

 侑くんと同じクラスになってからしばらく経つけど、教科書も含めて忘れ物をしたことはない。対して侑くんはすでに四回ほど宮くんや角名くんに借りに行く姿を見かけている。まだ衣替えもしていない時期でその回数は、なかなかの数字だと思う。

「もうチャイム鳴るで。はよチョビさんから借りてこんと」
「チョビちゃん今日休みで……」
「マジか。他に借りられそうな奴は?」
「みんな今日は持ってないって」

 チョビちゃんはおらず、他の友達を頼るも撃沈。項垂れる私に侑くんは「ついてへんな」と同情してくれた。

「ちょい待っとき」

 スマホを制服のポケットにしまい、侑くんが席を立つ。もういつチャイムが鳴ってもおかしくないというのに、教室を出て行ってしまった。
 待っていろと言われたので、椅子に座ることなくそのまま立っていたら、チャイムが鳴ると同時に侑くんは教室後方のドアから戻ってきた。同じタイミングで古典の先生も前方のドアから入ってきて、クラス全員が着席する。

「ほい」

 差し出されたのは薄い冊子。求めてやまなかった古典の教科書。

「あ、ありがとう……」
「返すんはよし子ちゃん行ってな」

 手渡したあと、侑くんも自席についた。今日の日直の号令が響き、先生へ一礼して授業が始まる。
 ギリギリだったけど、なんとか教科書を確保できた。隣の人に声をかける必要もない。ホッとしつつ教科書を裏返すと、『宮治』と記名されていた。



 授業が終わってすぐ、古典のノートは机に入れ、教科書を持って教室を出る。チョビちゃんが居ないと分かっている一組の教室は、いつもより足を踏み入れるのに抵抗を覚えた。
 一組の人でチョビちゃん以外に顔と名前が完璧に一致するのは、宮くんと角名くんと、一年のときのクラスメイトだったけど教科書を借りられるほど親しくはない数人。私だけかもしれないけれど、余所の教室には排他的な空気を感じてしまう。
 でも今は用があって入るのだからと、机と人で構成された入り組んだ道を抜けて、目的の席へ着く。授業が終わって一分も経っていないのに、宮くんはすでに腕を組んで伏せていた。

「宮くん」

 声をかけると、ゆっくりと頭が動いた。さすがに授業が終わったばかりで眠っていたわけでないらしく、目はしっかりと開かれて私を見上げている。

「これ、教科書。ありがとう」

 両手で持ち直して教科書を差し出すと、

「ツムを甘やかしたらあかんて言うとったやろ」

と眉を寄せた。その言葉と表情で、私が侑くんの代わりに返しに来たと勘違いしていると気づく。

「侑くんから聞いてない?」
「なんのことや」
「教科書忘れたの私なんだけど」
「御守が?」

 ちょっと重たげな印象の目は、瞼が上げられて丸くなる。どうやら侑くんは私が忘れたという説明はせず宮くんから借りてきてくれたようだ。

「チョビちゃん休みだし、他のクラスの子からも借りられなくて、困ってたら侑くんが」
「『思いやり』いう言葉から一番遠い奴がなぁ」

 丸めていた体を起こして、宮くんは教科書を受け取った。一組でも古典の授業があったのは不幸中の幸いで、借りられる伝手を持っている侑くんが後ろの席で本当に助かった。ついていないと思ったけど、逆に運がよかった気がする。

「やったら、今度から直接借りに来い」
「え……いいの?」
「別に教科書くらい貸すわ。お前はアホと違ってちゃんと返しに来るしな」

 その言葉は正直とても有難い。チョビちゃんや元クラスメイト以外に頼る当てができるのは、交友関係の狭い私には朗報だ。安心感が違う。

「ありがとう。そうだお礼……あ、でも移動教室……」

 貸してくれたことと、これからも貸してくれると約束してくれたことへのお礼がしたくて、バッグの中に昨日の帰りに買ったばかりのお菓子を思い出したけれど、四時限目は化学室で行われるので、休み時間のうちに移動しておかねばならない。
 化学室はここから遠く、廊下を見やれば、すでに二組のみんなも教科書やノートを持って歩いているのが見えた。今度は遅刻の危機だ。「また来るね」と言って、二組に戻って必要な道具をすべて持ち、小走りで化学室へ急いだ。



 四限目を終えて昼休み。二限目の終わりから休み時間はずっとバタバタしていたけれど、やっとゆっくりできる。
 とはいえ、先ほど宮くんにまた訪ねると言ったので、一組に行かなければならない。バッグから未開封のお菓子を取って廊下を出ると、ちょうど宮くんとバッタリ出くわした。

「あっ、宮くん」
「休み時間やいうのに、お前は忙しないな」

 呆れた顔を向けられ、苦く笑った。宮くんの隣には角名くんが立っている。いつも侑くんや銀島くんたちと食堂へ行くので、迎えに来たのだろう。

「はい。さっきはありがとう」

 お菓子を差し出すと、宮くんは目を輝かせた。新商品のポップが添えられていた品だから、宮くんはまだ食べたことがないと思う。本当はチョビちゃんと食べようと思っていたけど、今日はチョビちゃんも居ないし、また別の日にでも買えばいい。

「よし子ちゃん、またサムに餌付けしとんの? そのうち家まで付いて来て住み着いてまうからやめとき」

 後ろから侑くんの声がして振り向けば、やはり隣には銀島くんが居た。

「誰が野良犬や」
「そんなカッコええもんやない。よう肥えた野良豚や」
「豚はうまいしトンカツは人間が生み出した傑作やぞ」
「揚げて食われとるやないか!」

 方向性がよく分からないまま進む話に、角名くんも銀島くんも口を挟んで矛先を向けられたくないとばかりに黙って様子を窺っている。

「侑くんもさっきはありがとう。お菓子、二人で分けて食べて」

 私の危機を救ってくれたのは宮くんだけじゃなくて、侑くんもだ。お礼なら侑くんにもあげなくてはいけないけれど、残念ながら今日の手持ちのお菓子は宮くんに渡した一つしかない。宮くんは若干いやそうな顔をしたけど、「しゃあないな」と言ったのできっと分けて食べてくれるはず。多分。

「御守さん、チョビさん居ないなら一人で食べるの?」
「そう……だね。他に一緒に食べる人いないし……」
「なんや寂しいな。俺らと食堂に来るか?」
「ううん。お弁当だから、教室で食べるよ」

 気を遣った銀島くんが誘ってくれたけど、お弁当があってもなくても、女子一人で男子四人と食堂へ行く勇気は私にはない。
 食堂へ行く四人を見送ったあと、バッグからお弁当を出す。教科書の件でバタバタしたので、空腹よりも喉の渇きの方が強い。
 自販機でお茶でも買ってこよう。財布を持って教室を出て自販機まで歩くと、三年生たちが数人並んでいた。

「いや、やっぱリンゴジュースやろ」
「リンゴジュース飲むとなぁ、なんかたまにイガイガすんねん」
「それアレルギーやない?」
「えー、最悪。梨は平気なんやけどな」

 お喋りが続くばかりでなかなか買う物は決まらず、三年生たちはあれでもないこれでもないと迷っている。
 並んでいる私には気づいてもらえず、私も先輩方に声をかけて割り込ませてもらうほど豪胆ではないので、黙って順番を待った。
 やっと三年生たちが買い終えて、私も買って教室に戻り、席に座ってまずはお茶を飲んだ。

「はあ……」

 無意識のままため息をつく。今日は本当に疲れた。これから午後の授業もあるのに、もう帰りたい。
 ようやくお弁当を広げて、プラスチックの箸でおかずを口に運ぶ。今日の玉子焼きはカニカマがプラスされていて、私の好きな冷凍のから揚げも入っている。
 食べ始めるのが遅かった私と違い、周りはすでに食事を終えてお喋りに花を咲かせている。騒がしい中で一人ぽつんとお弁当を食べるのはかなり久しぶりだ。
 ちょっと――いや、かなり寂しい。寂しいけど、今日だけだ。
 今日限定の寂しさを紛らわそうと、箸を置いて携帯電話を取りチョビちゃんとのメールを確認した。二時限目以降は返す暇もなかったので、改めてバタバタした件を振り返りながら文章を作る。
 書くことがいっぱいあって長くなってしまい、最初から読み直しては文を減らしたり絵文字を加えたりしていると、前の席に人が座る気配がした。

「お前まだ食うてんのか」
「え?」

 てっきり席の持ち主が座ったと思っていたら声が違う。半身だけこちらを向いて座っていたのは宮くん。同じクラスの侑くんじゃない。隣のクラスの宮くん。

「あれ? ご飯は?」
「もう食った」

 言いながらも、その手はおにぎりの袋を裂いている。購買部に並んでいるのと同じパッケージなので、食堂の帰りに買ってきたらしい。もう食べたんだ。そして食べてきたのにまだ食べるんだ。男子高校生の胃袋に感心し、その長い指の動きをじっと見つめた。

「はよ食え。昼休み終わってまうぞ」
「う、うん」

 促されるまま、携帯は机に置いて箸を持ち直した。宮くんがおにぎりを食むと、パリパリと弾けるような海苔の硬い音が響く。
 一人ぼっちの寂しい気持ちはどこかに行ってしまって、空いた隙間をむずむずとした気恥ずかしさが占める。
 寂しいのは今日限定。だからこれも、今日限定。それが今度は寂しいな、と思った。

ふたり居る教室


20230929

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