さよならは知らないまま | ナノ
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 暑さが肌の上を滑るようになって夏服が解禁される頃は、部活動が直近の大会に向けて活動に励む時期。望む成績や賞を得られるよう、気温が上昇するにつれて生徒の熱も上がる。
 どこの部活にも所属していない私には関係ない忙しさは、どこにも混じれない私が感じる夏の訪れ。
 
 日直の日は普段より早く登校するため、アラームの時間も変える。だけど今日はうっかりしていたらしく、遅れて目を覚ました。
 すぐに顔を洗って歯を磨き、制服に着替えて家を出て、朝食は途中で寄ったコンビニで買った。できるだけ急いだおかげで学校には早めに着くことができたけど、バタバタしていたせいで朝だというのにもう疲労で体が重い。
 日誌を受け取ってまだ誰も居ない教室に入り、窓を開けて換気をして席に着いたら、真っ先にコンビニのビニール袋に手を突っ込んだ。
 焦っていたので、選ぶ時間も惜しくて手に取ったのはフルーツサンド。数種の果物と甘さ控えめのクリームとの相性が抜群にいいのでつい買ってしまう。
 侑くんが来る前に食べきってしまいたいと口へ運んでいたものの、一切れを食べ終わる前に姿を見せた。

「よし子ちゃん、おはよ」

 声量はないものの、明るくよく通る声は、人の居ない教室だとより響く。バッグを肩から下ろして自分の机に置くと、侑くんは私の前の席に腰を下ろした。
 席替えで侑くんとはすっかり離れてしまったけど、たまたま銀島くんが私の前の席になったので、銀島くんに話しかけるついでに私とも話すからか、あまり距離が遠くなった感覚はない。

「おはよう」
「ええもん食うてるやん」

 背もたれを胸につけ、まだ一切れ残っているフルーツサンドに侑くんの目が落ちる。食べたいのかな。でも私の朝食なので譲ってあげることはできない。

「寝坊しちゃって」

 バッグの中に入っている飴の袋に手を入れ、二つほど指先で取ってそのまま侑くんに差し出すと、「ありがと」と愛想よく礼が返ってきた。今日持ってきたのは、ビニールの両端をねじって留めてあるイチゴの飴。

「ちょっと遅れたくらい、誰も怒らんで」

 ぽい、と口の中に入れ、侑くんは空になった飴の袋を指先で摘まんで遊びながら言う。

「一年のときは、日直の仕事をサボったら次の日もしなくちゃいけなかったから」
「よし子ちゃんのとこ、そんな厳しかったん?」
「うん。何日も連続でやってた人もいたし」

 二年生の担任は一年のときとは違い、日直の仕事ぶりに関してはそこまで厳しくない。でも一年生のときに染みついた意識はそのままだったから、目を覚まして時計を見た際は心臓が止まるかと思った。

「だから宮くんも日直の日は早く来てたよ。バレー部って、そういうところきちんとしないと部活に行けないんでしょ?」
「せやねん。バレーで稲荷崎ここ入っとんのやし、バレーだけやらせてほしいわ」

 侑くんは大袈裟にため息をついた。やはりというか、侑くんはスポーツ推薦で稲荷崎に入学したらしく、となるときっと兄弟の宮くんもそうなのだろう。

「インターハイもあるしね」
「ほんまそれ。あー、はよ放課後ならんかな。なんで授業あんねん」
「学校だから」

 一切れ目を食べ終えて、次の一切れに手を伸ばした。

「侑くんってバレー以外に趣味とかある?」
「趣味ぃ?」
「ゲームとかするんでしょ?」
「まあな。いうても、夜中はバレーやられへんからゲームするみたいなもんやし」

 尖った端を食んでいく隙間を縫って訊ねると、侑くんは机の上で閉じられていた日誌を開き、ページを捲っていく。日によって異なる筆跡で二年二組の毎日が綴られており、隅には先生の一言が赤ペンで記されている。

「本当にバレー好きなんだ」
「好きやなかったら稲荷崎ここ来んって」
「いいね。羨ましい」

 本当に羨ましくて、心から言葉がこぼれた。

「何が?」
「『好き』ってすぐに断言できるものがあって、いいなぁって」
「よし子ちゃんはないん? 好きなもん」

 日誌からこちらに目を移し、侑くんがまっすぐに見つめてくる。
 私は人と目を合わせるのにちょっと居心地の悪さを覚える方だけど、侑くんはそんなことはない。物怖じしないタイプだからか、お喋りするときはいつでも最短距離で目がかち合う。宮くんとはずらされたり、合わなかったりすることもあるから、侑くんがじっとこちらを見ていると、ときどき宮くんに見られているみたいに錯覚して少しドキッとする。

「好きなことはあるけど、侑くんたちのバレーみたいに夢中になれるものはないかな」

 朝起きてすぐ頭に過ぎり、夜は眠りに就くまで考えるような、もはや囚われてしまっていると言えるほど熱心に抱え続けられるものを、私は持っていない。だからバレーで高校を選んだほど好きだと言える侑くんが単純に羨ましい。

「部活入ってへんの?」
「うん」
「バイトとかは?」
「してないよ」
「やったら毎日何してんの?」
「うーん……チョビちゃんと遊んで、家帰ってご飯作ったり」

 改めて自分の日々を振り返ると、侑くんに比べて実りのない、単調な毎日で少し恥ずかしさを覚えた。
 部活を頑張っているから偉い、そうじゃないからダメというわけじゃない。でも、バレーに熱心な侑くんと違って、どう暇を潰そうか考えるほど時間を持て余す自分は、なんだかちっぽけに思えるから。

「よし子ちゃんが飯作るんや」
「夜だけね。親の帰りが遅いから」
「へえ。料理うまいん?」
「どうだろう? 難しいのとか、時間かかったり凝った物はできないよ」

 ご飯は炊飯器が炊き上げてくれて、味噌汁もお鍋に水を張ってコンロで沸かして、具材と出汁と味噌を入れるだけ。揚げ物は危ないから一人でやるなと言われていて、調理としては焼くか炒めるか煮るくらい。
 そんなレベルだから、美味しいか否かの土台にすら立っていないと思う。ただ食べられる物を作れる、というくらいだ。

「やったら調理実習んときに野菜とか切るんは、よし子ちゃんにお願いするわ」
「いいけど。料理嫌い?」
「嫌い言うか、怪我すんのいややから」

 侑くんは自分の手を開いて、机の上にかざして見せた。

「そっか。バレーするもんね」

 バレーは手を使う競技。包丁で切り傷なんて作ってしまったら一大事だ。

「手、やっぱり大きいね」

 見せられた手のそばに、サンドイッチを持っていない自分の手を添えて比べてみる。一回り、もしかしたら二回りも違う。節の一つ一つが長く、室内競技だからかさほど日に焼けてはいない。

「よし子ちゃんのはちっこいな」
「普通だよ」
「あ、さかむけあるで」
「侑くんは、ないね」
「指先を笑う奴は指先に泣くねん」

 侑くんの手はとてもきれいだ。爪の形は整っていて短く、私みたいに小さなささくれなんてない。毎日きちんと気にかけている証がそのまま手に表れている。

「バレー大好きだね」

 侑くんは授業中によく居眠りをするし、教科書を忘れたり宿題を写させてほしいと頼んできたり、真面目とはとても言えない生徒。
 でも好きなバレーのためなら、指先を大事に育てることを厭わない。きっぱりと線引きする姿勢が、どれだけバレーに熱心なのか、大好きなのか自然と伝わってくる。
 侑くんは「まあな」と返して、二個目の飴の包みを剥く。つるりと光る薄赤い三角形の塊を押し込んだ口の端は、得意げに高く上がっていた。

それを知るひと


20231005

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